第5話

 夜。

 暗い。

 電気がやたらと明るい。

 都会は煩い。


 カラオケ屋さんの店外に備え付けられたスピーカーが、最近のヒット曲を垂れ流している。

 今はこんな曲が流行っているのか。生徒に話題を振られたときに、少しでも答えられるようになっておきたいな。


 そう思った矢先だった。


 何故、今日に限ってこんなことになるのだろうか。

 目に映るのは、カラオケ屋さんの前にいる、男女。


「ちょっと! やめっ……!」

「もう少しだけ! 近くに良いお店があるんだって」


 ほら、お願い。

 そう言いつつ、中年男性は女子高生の腕を強く握りしめていた。あれは無理矢理連れ込もうとしているようにしか見えない。あと、女子高生の制服がうちの学校のものとしか見えない。


「いや、マジ無理だから! せっかくお説教から抜け出してきたのに……」


 というか、小鳥遊纏愛だった。


 俺も昔、やんちゃをして夢葉さんに説教をくらったことはあるが、それを抜け出してくるとは……。なかなか問題児のようだ。


 そんなことより、何をやっているんだあいつは。


「じゃあ帰ったら怒られちゃうんでしょ? その前にさ、もうちょっとおじさんと楽しいことして行こうよ! ね?」

「あーそうそう! ママに怒られないといけないの! だからこれ以上帰りが遅くなったらもっと怒られる! だからもういい加減にして!」


 たしかに、夢葉さんの説教から逃げて、帰りが遅くなった理由が「夜遊びしてました」なんて言ったら、火に油だ。まあ正直にそんな言い訳はしないとは思うのだが、小鳥遊はどうやら素直な言葉ばかりを選んでいるような印象を受ける。まだそんなに彼女のことを知っているというわけではないが、なんとなくそんな気がする。


 というかこの状況、やばくないか?


 冷静に、目の前の現状を一言で表すなら。

 パパ活相手にホテル連れていかれそうになっている。


 こんなところだろうか?

 中年男性が小鳥遊の父親という線も考えたが、自分で「おじさん」と名乗っていたし、それはないだろう。


 なら、割り込んでも問題は無い。


 道を歩く人々も、見て見ぬフリをしているようで、誰も助けようとはしていない。

 まあ関係の無い人のトラブルなんて、見て見ぬフリが一番だろうな。それでいて、実は警察に通報しておきました、みたいな人がいればいいんだけど。


 それは置いておいて、教師としてこれを見過ごすのは大問題だ。

 中年男性の視界から、小鳥遊が見えなくなるよう割り込んでから、にこっと笑って。


「あのー」

「あぁ? なんだお前」


 ぴくっと、中年の眉毛が動いた。

 遊んでくれていた女の子が、言うことを聞いてくれない。それでいて、邪魔者が入ってきた。ストレスが溜まってきている。


「いや、実はですね……今さっき、そこの人が通報してるとこ、聞いちゃったんですよね……」


 彼の耳元で小さく、電話をしている歩行者を適当に指差した。


「あ、申し遅れました。私、この子の担任をしている教員なのですが……」


 そう言って、鞄から勤務時に首から下げているネームプレートを取り出して見せる。


「私たちとしても、生徒が問題になることは避けたく……あぁ、別にこのまま問題になっても構わないんですけどね。でも、貴方は問題になるだけじゃぁすまないってことくらいは、わかってもらえますよね?」


 目の前の男は腐っても社会人だ。

 警察沙汰となれば、何かとペナルティを受ける。それも相手が、未成年となれば、大きなものを背負わなければいけない。


「な、なんだお前! 教員? だからなんだってんだ! こっちは金払ってやってんだよ!」


 うぅむ。

 これはなかなか厄介なことになりそうだ。


 最初の一手でなんとかするつもりだったが、詰めが甘かった。現実と二次元ではそう簡単に上手くいかないものだ。これもまた後日、どうすればよかったのかを先生方にアドバイスを貰いに……あてにできるかは、さておき。


「そうですね……ではこうしましょう」


 俺は右の握りこぶしを見せてから、続ける。


「じゃんけんしましょう」

「はぁ?」

「私はグーしか出しません。貴方が勝ったら、私はこの場から去りましょう。なんなら、彼女を好きにすると良い」


 すると、中年の顔色が良くなった。  


「ちょ、なに話を勝手に――」

「では、全力でじゃんけんしましょう。男同士、正々堂々とね」


 小鳥遊の言葉を遮って、俺は中年に勝負をかける。

 そして、追い打ちの煽り。


「まさか、じゃんけんでズルとかしませんよね? お互い、左手で右手を隠して、同時に右手を出す! これくらい、小学生だってできることですからね?」


 すると、中年は小鳥遊から手を離し、手首をぐりぐりと回し始めた。


「うるせえ! そんなことより、そっちこそグーしか出さないって言ったからには、グーしか出すなよ」

「えぇ。それはモチロン」


 お互い一歩ずつ下がり、じゃんけんを構える。

 都会の夜中に何をやっているのだろうか。だがこれは、自分の生徒を守るためのじゃんけんだ。


 策略はある。


 第一段階はもう成功した。

 あとは――。


「では、いきましょう。最初はグー、じゃんけん――」


 互いに右手を振りかぶる。


 その刹那。


「小鳥遊! 走れ!」


 振り向き、彼女の手を取った。


 二人とも、自分の鞄は手に持っていた。


 この場をやり過ごす手段として一番良いのは、逃げることだ。しかし、中年は小鳥遊の腕を掴んで離さなかった。


 だからどうやって手を離そうか、どうすれば両手を空にできるか。どうそれを想起させるか。


 パッと浮かんだのが、じゃんけん。

 じゃんけんは勝敗がある。ここに、中年が有利になるようなハンデ、そして彼の願いが叶う餌を用意すれば、乗ってくれると思った。


 そうして、第一段階――両手が空いた

 あとは、この状況から逃げ出せればそれで良い。


「あ、ちょ! 待て!」


 中年が叫ぶ。

 しかし、その時にはもう角を曲がり、走り回っていた。彼が俺と小鳥遊を、見失うまで。


「どこいった! おい!」


 遠くから聞こえてくる声は、目的を達成した合図のようなものでもあった。


 よし、上手くいった。

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