第26話「怪物二号」





 第二十六話『怪物二号』





 広大な草原とわずかな森を荒野が囲む『エイフルニア大陸』


 そのエイフルニア大陸南部に在る小さな離島、さびれた街の片隅、太陽が西に沈んで間も無く、おびえを含んだ女性の悲鳴が上がると共に、元気な赤ん坊が生まれた。


 赤ん坊は男の子。母親の股から血まみれで勢いよく飛び出した彼を、老いた産婆が慌てて受け止め、次いで悲鳴を上げる。



「ヒィッ!!」



 見ていたのだ、産まれた直後に目を見開き、赤ん坊は産婆を見つめていた。


 産婆となって二十余年、数多の赤子を取り上げてきた老婆だからこそ恐怖し、怯えの悲鳴を上げた。


 有り得ない、恐ろしい、有り得ない……


 母のはらから外に出て間も無く、わった首に支えられた頭をかすかに動かし、その真っ赤な瞳で周囲を『観察』する赤子など、普通の子であろうはずがない。


 産婆は不吉な考えを巡らせながら、赤子が向ける視線をかわして呼吸を整える。


 やがて落ち着きを取り戻した産婆は自分が犯した失態に気付き、赤ん坊を産んだ母親に目をった。


 母親は硬いベッドの上で仰向けになり憔悴しきっていたが、我が子に何か問題が有ったのかと首を上げ産婆を見た。


 そんな母親の姿を見た産婆は、僅かに逡巡の様子を見せる。


 母親『マジク・ソヴィッチ』の脳裏に不安がよぎった。


 乱れた長い金髪が、マジクの汗ばんだ青白いほほに張り付く。



「……ババチョップさん、その子、何で泣かないの?」

「あ、ぁあ、そうだね……いや、あぁ……」


「……赤ちゃんを、見せて」

「まぁ、こんな事もある、あるさ、大丈夫」



 焦りで余裕を失っていた産婆のババチョップ。


 何やらブツブツと呟く産婆は、血まみれの赤ん坊を微温湯ぬるまゆで洗う事もせず、ベッドで仰向けになり憔悴した母親マジクの顔に赤ん坊を近付けた。


 顔を右に向け、異臭漂う我が子に視線を向けるマジク。

 産婆の震える両手が持つ小さな命と視線を交わす。


 マジクの虚ろな瞳がとらえたソレを、彼女の脳が否定する。



「……幾らで売れるかな」


「っっ!! あ、あぁ、そうだねぇ、見世物屋なら……いや、この赤ん坊は、無理だ」




 その日、老婆がボロ布に包まれた何かを海に捨てた。



 その日、人間からのがれる一人の『魔族』が、海に浮かぶ何かを拾った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 金髪灼眼、引き締まった妖艶な肢体と恐ろしいほどの美貌、透き通るような白い肌、その長身を包む黒いロングドレスは魔力製。



 女の名は『オマーン・ハーン=キュベレイ』、二千年を生きる女吸血鬼。魔族狩りが進む中央大陸から西にのがれ、エイフルニア大陸に潜伏していた。


 しかし、エイフルニア大陸でも魔族は劣勢、人間と『獣人』の連合軍によって魔族の土地は奪われていった。


 敵の執拗な魔族狩りに辟易へきえきしたオマーンは、安住の地を海に求める。


 彼女は吸血鬼、隠れ住む場所が無人島では食事に困る。ある程度人間や獣人が住み着いた島で、なおかつ戦略的に重要視されておらず戦力の低い場所が良い。


 オマーンは夜になるたびにエイフルニア大陸東部海上を飛び、ゆっくりと南下していった。


 都合の良い有人島を探して十数日、複数の人間から香る独特の匂いがオマーンの整った鼻をくすぐった。



「晩餐の時間か」



 低めの凛々しい声で呟くオマーン。


 灼眼に映る小さな島に狙いを定め、飛行速度を上げた。



「ん?」



 眉をひそめたオマーンが空中で急停止、スンスンと鼻を鳴らす。


 ほんの僅かに、潮風に紛れて良質な血の香りが運ばれて来る。


 オマーンは『漁師か?』と船影を探す。

 しかし、見通しの良い空からでも船は見当たらない。


 オマーンは高度を下げ、自慢の嗅覚を頼りに深夜の海を飛んだ。



「……布?」



 ソレはすぐに見つかった。


 なかば沈みかけていたが、厚めに巻かれた油汚れの酷いボロ布が僅かな空気を逃さず、かろうじて沈水をまぬがれている。


 オマーンは赤子の『水葬』かと考えたが、嗅覚が捉えたそれは生きた香りだ。


 彼女は二千年の経験と信頼する嗅覚に従い、ボロ布で巻かれた物体を魔力で右手に引き寄せた。汚すぎて直接触りたくないようだ。


 しかし、オマーンは確信を得る。


 香りもそうだが、汚物を掴んだ魔力から伝わる弱々しい心臓の鼓動、そして人間が持つ魔力。神の加護を得なかった魔力。


 なるほど、良質だ、ゴミのツバが付着していない人間エサの血、これは良質なエサだ。


 フッと軽くわらったオマーンは、エサを包む汚れたボロ布を魔力で消し飛ばした。


 ボロ布に包まれていたエサを見たオマーンが舌打ちする。


 小さい、汚い、見た目がヒドい。

 これは口を付けたくない。


 乾燥した血液と羊水は良質なエサの調味料に相応しくない。


 ハァ、と溜息を吐き、エサの汚れを魔力で消す。


 エサを空中で回転させながら汚れをチェック。


 うむうむ、綺麗になった、エサを顔に近付けご満悦のオマーン。


 真っ赤な唇の隙間から鋭い犬歯をのぞかせ、オマーンはエサの首筋に口を寄せる。


 そこで違和感。


 オマーンが灼眼を違和感に向ける。


 目が合った。


 どう見ても生まれたばかりの、シワくちゃの醜いエサと目が合った。


 オマーンは近付けていた顔をエサから離し、魔力で浮かせたエサをゆっくり左右に動かしてみる。


 エサの赤い瞳はオマーンを追う。視線を外さない。



「貴様、見ているな、このオマーン・ハーン=キュベレイが見えているな」



 エサを自分の鼻先まで浮かべ、射殺いころすような眼光と凍えるような声で威圧する。


 だがしかしっ、泣かない、エサが泣かないっ!!


 カチンとキたオマーン。


 この世界では魔族・人間・獣人の三種族は憎しみ合っている。これは『世界』が定めたルール。


 そのルールには決してあらがう事が出来ない。


 現在は魔族殲滅の目的で人間と獣人は手を組んでいるが、お互いに憎悪の感情は消えていない。


 三種族は相容れない、絶対に。


 それにも係わらず、眼前のエサは泣かない。


 二千年を生きた上級魔族、高位吸血鬼、闇の女王はカチンとキた。



「よかろう、貴様は私のワインだ、ワインとして死ぬまで飼ってやろう。クックック、肥え太って血を増やせ、簡単には死なせんぞ」



 オマーンは魔力で包んだエサと共に、南に浮かぶ小さな島へ降り立った。



「まずは晩餐だな。貴様はその辺の犬畜生から乳でも……夏季に乳を出す犬はらんか。ふむ……」



 オマーンは鼻を動かし、目当ての家畜ひとづまを見つけた。


 夜泣きをする赤ん坊を抱え、家の外で授乳中のようだ。


 漁師である夫の暴力と誰の助けも無い育児に疲れ果てた女。


 高位吸血鬼の【魅了】スキルで洗脳するのは簡単だ。



「貴様のえさやり奴隷を見つけたぞ、死なん程度に吸い尽くせ、クックック」



 魔力で逆さまに吊られた赤ん坊は、静かにオマーンを見つめていた。





 オマーンが潜伏するその島に、宇宙一危険な幼児が遊びに来たのは、エサと呼ばれた赤ん坊が生まれて三年後の事。





「んゅ、居た」










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