第6話「栗の花と残り香」





 第六話『栗の花と残り香』





 侍女サテンの父サポネは凡庸な男だ。

 商人としては三流と言っていい。


 流行物を流行後しばらくして仕入れる、それは良い、しかし、流行遅れの物を流行当時の値段で店頭にズラリと並べ、結局売れずに買い叩かれる、その繰り返し。


 大局など見えない、人の真似を数歩遅れてし続ける、それがサポネ五十二歳である。



 妻のメメイ四十八歳は夫を上回る凡庸、もはや凡愚とすら言えない愚者。


 息子と娘の頬を叩く事に情熱を捧げた道具屋の名物気狂い。


 視野が狭く、権威や権力を平民の夫から感じるという小さな社会で生きているメメイ。


 王国宰相の権力がどれほどのものか理解しておらず、彼女的には『旦那より怖くない』といった程度の認識だ。



 二人は、これから自分達が為すことの意味も、その結果の影響も分かっていない。


 宰相アーライは二人に真実をそのまま伝えた。

 そして、肉塊を恐れる必要は無いと強く念を押した。


 肉塊は悪意さえ向けなければほぼ無害だ、わざわざ二人を怖がらせて嫌悪感を植え付ける必要は無い。


 ただ、祖父母が孫に向ける愛情を以って転居を願ってくれるだけでよいのだ。


 宰相は一般的であろう祖父母と孫との絆や繋がりを説いた。


 しかし、二人は一般的思考の持ち主とは言えない。


 宰相アーライのミスである。


 特に貧しいわけでもないのに金貨三枚で娘を売り、別れの言葉も伝えようとしなかった下衆の無思慮と無情を舐めていた。



「ったく、サテンのやつぁ親の在り方ってのをわかってねぇな」


「うんうん、アンタの言うとおりだよ」


「後宮に居座るわがままな赤子ガキなんざぁ、ゲンコツで一発よ」


「うんうん、アンタのゲンコツは効くからねぇ」



 赤ん坊をガキと呼び、拳骨を喰らわすと言う非人、それを称賛する狂人。


 二人を先導していた侍女『オズゥ』は顔が真っ青になっていた。


 彼女はサテンと特に仲の良かった人物だったという理由で、今回の先導役を命じられたわけなのだが……


 背後から聞こえてくる不穏な会話に眩暈めまいを覚える。


 宰相様は何故この狂人達をあの部屋へ向かわせるのだろうか?


 オズゥは『貴人の考えが理解出来ない』と泣きそうになる。


 侍女オズゥは城内でも一二を争うほど健康だ。肉塊による生体燃料搾取対象から完全に除外されている。


 そんな有り難い立場も今日で終わりかと思うと乾いた笑いがこぼれる。



「お? ねえちゃんもそう思うかい?」


「……え? あ、はい」


「ちょっとちょっと、うちの亭主に媚び売るのはしな」


「は?…………あ~、はい、申し訳ございません」



 オズゥは思った、宰相様はこのアホな二人を肉塊ちゃんに処刑させるつもりだ、と。


 なるほど合点がいった。


 この二人が王族の外戚となるのは国の恥っ!!

 せめて孫の手による瞬殺で死を……っ!!


 さすが宰相様よと小さく唸る。


 名宰相による切れ味抜群の謀略を垣間見たオズゥは、大人の階段を昇った気がした。


 気になるソバカスも、目立つ赤毛も、国家の大事に比べれば何と小さな事か。そう思うと、オズゥはリラックス出来たのであった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 老神官『モッコス』は女官がれてくた紅茶でのどを潤し、ホゥと息を吐いて眼前で走り回る子供達を見つめる。


 この白い世界で、誰からも危害を加えられること無く、楽しそうに遊ぶ子供達。


 彼らの多くは少数民族出身の元奴隷、残りは貧困街出身の孤児。


 そんな彼らの中心で寝転んでいる幼児がこの白い世界の主。


 その名は『イズアルナーギ』、侍女サテンが産んだ男の子である。


 肉塊が生まれて百日しか経っていないが、白い世界に居る赤子ことイズアナーギは、既にその体を二歳児ほどまでに成長させていた。



 その幼い体から発せられる神気、モッコスは身震いして祈りを捧げた。正直言えば勃起をきたしている。




 モッコスがセゾン三世に招聘され、肉塊説得のために後宮へ訪れたのは外の世界で七十日ほど前の事。


 肉塊が居座っているという部屋に案内されたモッコスは、後宮に入る少し前から畏怖を感じていた。


 後宮に居る何者かが発する威圧、体を圧し潰されそうになる感覚、忘れもしない、彼はそれと似たものを数年前に経験していた。


 案の定、部屋に入ってみれば肉塊など存在せず、ベッドの上でスヤスヤと眠る赤子、いや、神が居た。


 モッコスの体に稲妻が走る。一般的にはこれを絶頂と言う。


 モッコスは小さな神の前へ進み、両膝を突いて祈りを捧げた。


 先導した侍女や御付きの者達はその行為に驚いた。当然だろう、彼らには老神官が醜い肉塊へ祈りを捧げているようにしか見えなかったのである。


 心に穢れ一つ無い稀有な存在たる老神官には、肉塊の真なる姿がハッキリと見えていた。


 そして、その小さな存在が、今まで自分が信奉してきた神を軽く凌駕する存在であると見抜いた。



 かつて、モッコスが聖国へ赴いた際、女神から神託を得たことがあった。


 その時、彼は初めて神の存在に触れる事が出来たが、嬉しさよりも困惑、さらには失望と悲しみを覚えてしまった。


 彼が五十年以上信奉し続け、運よく邂逅に至った女神は、人々の救済よりも信者獲得を喜ぶ俗物でしかなかったのだ。


 モッコスに告げられた神託は、何の事は無い、自ら率先して行っていた辺境での布教。しかし、布教のみを命じられた。


 初めての神託は人々の救済を目的とするものではなかった。


 口八丁手八丁、美男美女を用いての勧誘。狂信者集団アーカーベー48の信者獲得と事を同じくせよ、そう言われたのだ。


 彼はそれを黙って受け入れた。非常に悲しい事だったが、救済を禁ずるとは言われていない、ならば、やる事は決まっている。


 彼は一切の勧誘行為を絶ち、女神の意向に逆らう形で人々を救済し続けた。


 それは主に魔法を使った治療行為だったが、結果的に入信者は増え、女神はモッコスを褒め称えた。


 しかし、女神が彼を褒め称えれば褒め称えるほど、彼の信仰心は下がっていった。



 その下がりに下がった神への信仰心が今、再び燃え上がる。



 あの女神が灰燼ゴミに思えるほどの『神気』に溢れた小さな神。


 その小さな神は何も言わず、ただ温かい神気をモッコスに当てるのみ。


 私をはかっておられるっ!!

 モッコスの股間がモッコするのは必然。


 城の人々はこの小さな神が肉塊に見えると言う。


 モッコスは思う。神は鏡であり、鑑である、と。


 肉塊に見える者は相応の理由があるはずだ、その理由を知る、それこそが今の自分に与えられた使命なのではないか。そうすれば、城の者は救われる。


 モッコスは深く腰を曲げ、床にひたいを当て祈った。

 

 ――願わくは、この老いさらばえた老骨に尊き教えを――……




 そして、気高き老神官モッコスは後宮から消えた。




 その場に栗の花の香りを残して……





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る