第2話「雲の上に寝る赤子」






 第二話『雲の上に寝る赤子』





「……近付けぬ、と?」


「はっ」



 片膝を突き、頭を下げる四人の女騎士達を前にし、ポアティエ王は軽くうなった。


 四人の報告は侍女長の報告と大差無い。結果は同じである。


 彼女達は後宮騎士団長が王に勧めた猛者、臆病風に吹かれたわけではないと分かってはいるが、現場に向かわないポアティエ王は理解出来ない。


 王が自ら後宮へ向かい状況を確認する手段もあるが、宰相がそれを止める。どうにもその肉塊が不気味だ、何らかの“魔法”を使っているかもしれない、そんな得体の知れないバケモノが居る場へ王を向かわせるべきではないと考えたからだ。


 しばらく黙考していた王は、肉塊と侍女を事件現場の後宮内で処刑する事にし、眼前の四名を再び後宮へ向かわせた。



「広場に晒すのはむくろだけでもよかろう」



 ポアティエ王が呟き、宰相が無言で頷く。




 それからしばらく経って、四名の後宮騎士殉職の報が王に届いた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 侍女サテンは王都に居を構える小さな道具屋の四女として生まれた。


 冴えない兄姉とは違い、サテンの容姿は非常に優れ、年を経るにつれてその差は顕著となり、その長く美しい金髪が男を魅了し、女に嫉妬を植え付けた。


 サテンが十五歳になる頃には、その美貌は王都で知らぬ者無しと言われるほど名が広まった。無論、国内の情報が集まる王宮にもその名は届く。



 サテンの美貌を耳に入れた王太子セバン、彼は即決でサテンの登城を侍従に命じ、彼女を強引に城へ入れ、その日のうちに侍女として後宮勤めを命じた。


 サテンが登城した日の翌日、彼女の事情を説明するために道具屋へ訪れた侍従の話を聞いたサテンの両親は、それを大いに喜んだ。


 サテンがこのまま実家へ戻らずに後宮に住まうと聞いても悲しむそぶりを見せず、「それは良い!!」と手を打って喜んだ。


 娘との急な別れにもかかわらず、ただ喜ぶだけの二人を侮蔑の目で見つめた侍従は、王太子に指示された金貨三枚をサテンの両親に渡し、早々に引き揚げた。


 この日、道具屋の娘サテンは金貨三枚で王太子に売られ、その夜、屈辱にまみれながら純潔を失った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 白い世界、何も無い、果ても無くただ白く温かい世界。


 サテンは目だけを動かし、その白い世界を見渡す。


 はて、ここはどこだろうかと彼女は考える。夢かと考えたが、四肢が思い通りに動かせた時点でその考えは捨てた。


 意識は少々ボンヤリしているが、自由に動ける夢など見た覚えがない。サテンは両頬をパチンと叩き活を入れ、熟考する。


 いったいこの不思議な場所はどこだろうか?


 何かの存在が脳裏をかすめる。

 軽い頭痛を覚えたが、今は置いておく。


 現在、自分は裸だ。しかし、寒くはないし暑くもない。ただ温かく心地よい場所である事は認識出来る。


 裸である状況を考えると、あの傲慢な王太子がこの空間を誰かに作らせ、自分を辱める為の場所……とも考えたが、この優しい温かさが王太子の関与を否定する。


 周囲をよく見れば自分の右隣に先ほどまで着ていた妊婦用のドレスも有る。ただし、シワもシミも何一つ無い新品の状態であった。


 衣服を手に取りそれを見つめる。


 汚れ一つ無く、咽返むせかえる後宮の甘ったるいお香の移り香もない。


 やはり夢なのだろうかと考えだしたところ、再び脳裏をかすめる何かの影、サテンは急いで周囲を見渡す。


 違う、違う、そうじゃない、こんな所で呑気に考察している場合じゃない。


 脳裏をかすめる何かを必死に捉えようとするサテン。


 次いで強烈な不安に襲われる。

 早く、早く、早くっ!!


 そして、捉えた。



「赤ちゃんっ!!」



 何故忘れていたのか、先ほど産んだ初子を必死に探すサテン。


 必死に探すが赤子は見当たらない。


 如何に憎い男の血を引いた子であろうとも、たとえその姿が異形であったとしても、母親としての愛情が完全に消える事はなかった。


 そして気付く、理屈ではない、身を包むこの温かさは我が子の温もりで間違いない、と。


 必ず近くに居るはずだと確信し、彼女は耳を澄ます。


 ――しばらくして、彼女の耳がそれを捉える。


 遠くから微かに聞こえる赤子の泣き声だ。


 その泣き声に向かって彼女は走った、しかし、いくら走ってもその場所へ辿り着けない。


 空間が狂っているのか、彼女の距離感が狂っているのか、赤子の泣き声はしっかり聞こえているのに、そこへ辿り着けない。


 だが、不思議な事に息切れもなければ疲れも無い。サテンはそれを好都合と判断し我武者羅に走り続けた。




 サテンは太陽が三度沈むほどの時間を走り続けた。三日間、立ち止まる事無く走り続けた結果、彼女はようやく辿り着いた。



 フワフワとした綿のような、雲のような物になかば沈み込み、優しく包まれるようにして、その赤ん坊は元気に泣いていた。


 あまりにも神々しいその姿に、サテンは一瞬立ち止まるが、そんな驚きより勝る愛情が彼女の足を動かした。


 赤ん坊はサテンが近付くと泣き止み、口をムニュムニュと動かした。


 頭髪は薄く首も据わっていない、目も耳も正しく機能していない、生まれたばかりの新生児。


 赤ん坊が眠る不思議な雲の隣に両膝を突き、腰をかがめて『我が子』を見つめるサテン。


 何故、それが自分の子であると分かるのか?


 この時、誰かにそう問われれば、サテンは「私にしか分からない」と答えただろう。


 サテンも理解出来ていない。

 だが確信している。


 無意識に流れる涙と歓喜による笑みで顔をクシャクシャにしながら、サテンはその赤ん坊を不思議な雲ごと抱き寄せた。


 胸いっぱいに染み渡る幸せ。


 我が子が与えてくれた心地よい感情、それが王太子による今までの凌辱で溜まった心の闇を吹き飛ばす。


 我が子が生まれた時の奇怪な姿など、サテンは既にどうでもよくなっていた。現在自分達が居る場所も状況も、彼女は気にしていない。



 ただ、この白い空間に『時』というものが無い事実を彼女は知らず、空間外が血の海と化している事も知らない。






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