白雨の叫び

サトウ

第1話

 僕の頬に水滴が降ってきた。その水滴に指先で触れ、唇に持っていく。しょっぱい。今日も彼女は空の上で泣いているらしかった。


 最初はポタリ、ポタリと儚げに降ってきて、そのうち抑え込んでいた感情が爆発したらしく、すぐに豪雨になった。目の前の草原が雨の白さで閉ざされていく。

 僕はうんざりしたけれど、近くの木の下で雨宿りをする。いつものように十分くらい待っていればやってくるだろう。


 天を見上げれば、お天道様はからりと大地を照らそうとしているというのに、降り注ぐ水滴はあまりにも不自然だと言えた。全てをかき消すような雨音は、きっと君の心の叫び声であり、焦燥の表れなのだろう。


 しばらくして彼女も少しは落ち着いたのだろうか、雨が止んだ。そして、目の前の草原に一つの影が現れる。空を見上げると翼をしょんぼりとたたみ込んだ彼女が私を見下ろしていた。


「また泣いていたのかい?」


 努めて優しく言う。本音はまたか、とうんざりしていたが、それを態度に出すと彼女は拗ねてしまうから。まぁ、だいたいバレてしまうのだけれど。


「私にはやっぱりできないんです。みんなのように上手く雨を降らせることができないんですよ」


 彼女が地上に舞い降りてきて、開口一番にそういった。


「しかし、雨を降らすことはできているじゃないか? もっと努力すればきっと上手くいくさ」


 実を言うなら、少し厳しさを感じている。雨を降らすことはそれほど難しいことではないと、彼女の仲間達が神妙そうに語っていたから。

 彼女は僕の言葉を聞いて、両の手をギュッと握りしめる。


「……どうせ無理ですよ」


 彼女は僕の言葉の裏側を如実に感じ取ったようだった(僕の嘘が下手なのか、彼女がそういうことに敏感なのか、その両方なのか僕には分からなかったが)。


「しかし、雨の精霊として生まれたからと言って、本当に雨を降らすことだけが君の運命なのだろうか?」


 僕はずっと考えていたことを言った。彼女がどうしても他の仲間と同じように雨を降らせたいというから応援してきたが、彼女は明らかに苦しそうだった。

 苦しいなら辞めればいい。これはひどく真っ当な考えだと思う。


「これしか自分にはないと身構えていても、実はそれが自分を縛りつけている鎖だということもあるさ」


 彼女が私をじっと見つめている。僕は居心地の悪さを覚えた。


「あなたは雪を降らすことを諦めたことで、何を得たんですか?」


「自由とは名ばかりの迷宮かな」


「キザな言い方してますけど、それって目標を見失ったってことですよね」


 咎めるような強い口調、しかしその口調の中に、僕は隠れた恐怖を感じた。この僕のようになるのが嫌なのだろう。そう思った。僕だって嫌だ。


「あっ」


 僕が自己嫌悪になっていると、彼女が声をあげた。彼女の視線の先には薄暗く、大きな雲が見えた。


「私がちゃんとできなかったから……」


 彼女はそのまま黙って木の根元に座り込んでしまった。僕もその隣に座り込む。いつもより幾分涼しい風が身体を撫でていく。

 太陽が隠れ、雨がやってきた。僕ら二人は黙り込んでいるからザァーっと降る雨の音だけが聞こえてくる。僕は、つまらない質問を彼女にぶつけた。


「雨を見ると憂鬱かい?」


「私が雨を見て憂鬱だと思ったんですか? それは勘違いですよ。ほら、聞いてみてくださいよ。この美しい音色を」


 彼女は目をつぶり、雨音に心を寄せる。僕もそれに習い、目をつぶる。先程の激情にかられた土砂降りではなく、大地に恵みを与える優しげな音色が響き渡る。きっと、そういう心遣いで雨を降らしているのだろう。


「君の雨音はやはり過剰すぎるね」


 僕が目を開けて彼女の方を見ると、彼女は手を合わせて祈りを捧げていた。どうやら自分の世界に入っているらしい。


「……どうか」


 彼女はきっと、自分自身に祈りを捧げているのだろう。彼女は自らの信仰者だから。僕はもう一度、目をつぶった。

 どんよりとした空から、僕は雪を生み出すことができなかった。とっくの昔に、僕は祈りを捨てていた。

 陰鬱な空から、誰にも染まっていない無垢な結晶が誕生する。それは僕にとって神話であり、まさしくおとぎ話だった。

 純白の世界で、僕だけが異物だった。


「あの頃の僕は冬になるといつも、僕以外の誰かが降らせた雪を肩に積もらせて泣いた。肩に積もる雪以外の何かが、僕を押しつぶそうとした」


 僕は目をつぶりながらそう言った。彼女が聞いていようが聞いていまいがどうでもよかった。それに、きっと彼女の目を見て話すことなんてできないから。


「僕はそれに耐えることができなかった。その日から、僕は祈るのを辞めた。秋が過ぎれば、冬が来る。それが怖くて、僕は何度も旅に出た。でも、僕は……」


「雪が好きだった、そうなんですよね? 私と同じ」


 僕は目を開け、彼女の方を見た。彼女も僕の方を見ていた。


「そんなに面白いか」


「面白いから笑ってるんじゃないですよ、嬉しいから笑ってるんです」


 恥ずかしくなって、僕は顔を背けた。また、僕らは黙り込んだ。

 しばらくして、太陽が顔を出した。遠くの空に、虹が浮かんでいる。僕は虹をぼんやりと眺めていた。何層もの色が重なり、橋のように見える。今日はさぼらなかったようだ。


「また、来ますね」


 彼女はそう言って空へと飛び立っていった。唐突にいなくなるのはいつものことだった。

 カラリと晴れ渡る空に飛んでいく彼女を、僕はその姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。


「空は晴れ渡り、君が泣き、僕はこんなところで曇りきっている。やるせなくて、いやらしいね」


 僕は一つの決心をした。次の冬は僕の勇姿を彼女に見せてやろう。そうすれば、僕の励ましにも少しは泊がつく。


「いつもは憂鬱だった冬が待ち遠しいなんて、僕はなんて馬鹿な奴だ」


 そんなことを一人愚痴りながら、僕は歩みを進める。夏の暑さが生み出す、あの陽炎に向かって。

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白雨の叫び サトウ @satou1600

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