お医者さんの話

      著/時雨沢恵一 



「“武士の幽霊ゆうれいが見える”、ですか?」

 小さな診療しんりょうしつで、その医者は、患者の若い女性にたずね直しました。

 昭和感を漂わせるせまい診療室には、三人の男女の姿がありました。

 一人目は医者。ネクタイを締めたシャツの上に白衣を羽織はおった、そして黒縁の眼鏡をかけた三十代前半の男性です。ちょっと線の細いところがありますが、総じてなかなかの美男子です。

 二人目は、患者である若い女性。大学生くらいでしょうか? 今日はジーンズにスウェットというラフな格好。十代と二十代の境目を、服と化粧によって行ったり来たりしていそうな風体でした。

 三人目は、ナース服を着た女性看護師さん。二十代後半くらい。良く言えばシャープな顔立ちの、悪く言えば少しけんがあるような顔つきです。

 白いナース服を着て、首に赤いスカーフを巻いているのが、かなり変わっていました。

「そうです……。赤いよろいを着て、頭に矢が刺さって、血まみれの男が……、視界のあちこちに突然現れるんです。もう三ヶ月ほど前からです! 何をしてくるとかじゃなく、フッと現れて、気持ち悪い笑顔を見せてから消えるんです! そして、初めて見たときから、ずっと体が重いんです! 私は今まで、肩こりなんてなったことが無かったのに、ずっと何かが乗っているような気がするんです! 信じてくれますか?」

 患者の女性が、必死そのものの顔で言って、

「いいえ、信じません」  

 医者はバッサリと切り捨てました。そして、ひどく悲しげな顔をしている患者に、言葉を続けます。

「幽霊というものは、科学的、物理的に存在しません。存在できれば、これだけ科学が進んだ今、探知できないわけがないからです」

「そうですか……。もういいです……」

 そう言って、絶望と共に椅子から立ち上がろうとした患者に、

「でも! 聞いてください、ここからが重要です」

 医者は、整った顔をまっすぐにぶつけてきました。なので、患者は、立ち上がるのを思いとどまりました。

「人間の心は、時に目に見えないものを見せてしまいます。乱暴に言えば、“思い込み”というものです。一度でも幽霊がいると思ってしまったあなたは、何もない空間に、幽霊を浮かび上がらせてしまうのです。でも、これだけは言いたい。あなたの心は壊れてはいません。心とは、たとえれば“車”みたいなもの。変な方向へ行ったとしても、それは運転手が、ちょっと変な方向へハンドルを切っているだけです。車は壊れてなんていません。だから、そのことに気がつけば、すぐにでも修正はできるんです。“修復”ではなく。――分かってくれますか?」

 静かな中に熱量を感じる医者の言葉に、

「…………。はい」

 患者は静かに頷きました。

「じゃあ、あなたの心の向かう先を修正しましょう。今から目を閉じてください」

「はい」

 患者がしっかりと頷き、目を閉じました。

「いいですね。そしてたった一言、呟いてください。『幽霊はいない』。そして目を開けてください」

「幽霊はいない……」

 目を開いた患者に、

「肩はどうですか?」

 医者は問いかけました。 

 患者の素敵な笑顔が、その答えでした。

「先生……。ありがとうございます……! 魔法みたいに、肩が、楽になりました!」

「でしょ? あなたのハンドル修正が上手く行った証拠ですよ」

 


 もう患者ではなくなった女性が、診察室から立ち去り際に、

「先生は、友だちが紹介してくれたんです。私達の言う事を、親身になって聞いてくれる人がいるよ、って。正直言うと、ごめんなさい、ほとんど信じていませんでした……。でも、来てよかったです。私の心を修正してくれて、本当にありがとうございました」

 そんな言葉と、深いお辞儀じぎを残していきました。深すぎて、後頭部が見えるくらいのお辞儀でした。

 残された医者が、壁際の天井をそっと見上げて、

「ふう……」

 静かに息を吐きました。

 看護師が、黙ってその様子を眺めます。クール過ぎるその表情からは、何を考えているかは伺えません。

 そして医者は、誰もいない天井近くの空間へと、語りかけるのです。

「見たところ、鎌倉時代の鎧だね。ずいぶんと長い間、この地で幽霊をやっているようだけど、怖がらせてはだめだよ」

「ちょ! 人聞きの悪い! 怖がらせるつもりなんかなくて、あの女人にょにんが、自分の娘に良く似て可愛かったから見つめただけだ!」

 天井近くでうっすらと姿を見せ、そう言い返してきたのは、紅い鎧を着て、兜がない頭に矢が刺さっていて、そこから血がドバドバと流れている中年の男でした。

 医者が、大きく溜息をつきました。

「だからそれが怖いっていうの。あなた……、幽霊の自覚ある?」

「失敬な! まだ自分が生きているなんて、微塵みじんも思ってはおらんわ!」

 武士の幽霊は、本気で怒っている様子でした。そして、言葉を続けます。

「それを言うのなら、今の女人に対してだろう! あの女人、後頭部がパックリと割れていたぞ! ワシが思うに、固い地面に落下死でもしたのだろう。なぜ言わなかった?」

「あの人はね、そもそも自分が幽霊だって気付いていないの。そういう人に、自覚云々言ってもしょうがないでしょう?」

「ならば、さっきみたいなくち八丁はっちょうで丸め込めばよかろう!」

「彼女がその点についての解決を求めてこなければ、何を言っても無理だよ。あなたに、“実はまだ生きているんです”って言っても信じないでしょ?」

「ふん! 口だけは達者な男だ! ワシはこれで失敬する! 怖い女人が睨んでいるからな!」

 そう言って武士の幽霊が消えて、

「はあ……」

 医者は、大きな溜息ためいきと共に振り向いて看護師を見ました。そして問いかけます。

「まだいたの?」

「何時までもいますよ」

 クールな声が、クールな顔から発せられました。

「私が知っている限り、ちゃんと幽霊が見えて、ちゃんと受け答えができる生者は先生だけですから」

「ここは、生きている人間用の病院なんだけどね……」

「生きている患者なんて来ないじゃないですか。現に今も、待合室には誰もいませんよ?」

 看護師が、扉の向こうを指さしながら言いました。

 扉にはガラスはなく、待合室はまったく見えません。

「そうなんだけどさ……」

「先生、見えるんだから責任を持ってくださいね。これからも、バシバシ幽霊を集めて、るのです。あとはさっきの口八丁でどうにかすればいい」

「はあ……」

「さもないと、私が先生を呪い殺しますよ?」

「はあ……」

 力なく呟くだけの医者に、看護師は首のスカーフを取りました。

 横一文字にバッサリと斬られた、グロテスクな切り傷があらわになって、

「私と同じように、こうやって連続殺人鬼に殺された幽霊がいつかきっと来るはずです。その人が犯人の特徴を少しでも覚えていれば、探せます!」

「だから、それは警察に――」

「その警察がいつまで経っても、被疑者はおろか重要参考人すらリストアップできていないから、私は今ここにこうして、化けて出ているんでしょうが!」

「はあ……」



 後日、同じように首をバッサリと斬られて死んだ女の幽霊が右足の親指の巻き爪の診療に訪れ、そこから一気に情報を得て、医者は連続女性首斬り殺人犯へと迫っていくことになるのですが――、

 それはまた別のお話。


                                  おしまい

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