書き下ろし掌編

駅と荷物と筋トレと

      著/時雨沢恵一  


 序


「はあ……、まいったな……」

 とある人気の無い、地方の駅でのこと。

 ホームへ続く長い登り階段の下で、一人の女性が途方に暮れていました。

 唯一あるエレベーターは、故障中で工事中。誰もが、この階段を使って登るしかありませんでした。

 その線の細い若い女性の脇には、ここまで転がしてきた大きなスーツケースがありました。

 女性が頑張って持ち上げようとして、どうにか数センチは浮かびました。それを持ってこの階段を登るなど、どう考えてもムリでした。

 女性は、駅員に手伝ってもらおうか、しかしこんなことで、それでなくても人がいない駅の駅員の手をわずらわせていいのか、とても悩みました。

 そこに、一人の青年が通りかかりました。

 Tシャツにショートパンツ姿の青年は、たくましい体つきをしていました。

 胸板も厚く腕も足も太い青年は、一瞥いちべつして事情を察して、

「あの、不躾ぶしつけに失礼ですが」

 女性に丁寧に話しかけました。

「その重そうなスーツケースを貸していただけませんか? 今日は忙しくて、日課の筋トレがまだなんです。それを階段の上まで持ち上げると、とてもいい運動になるんです」

 その物言いに、女性は一瞬驚きましたが、すぐに意図いとを理解しました。微笑ほほえんで、

「そういうことなら、喜んで協力させてください。なんでしたら、百往復くらいしてもかまいませんよ?」

 青年もクスリと笑って、

「百回では足りませんね。三百回でどうでしょう?」

「本気ですか?」

「それくらいやらないと、筋トレになりませんよ」

 青年はそう言って小さくウインク、それから太い腕で、スーツケースをサッと持ち上げると、軽やかに階段を登り始めました。



 破


「どうしたあ、まだ百九十回だぞ!」

 女性の声が、誰もいない階段に響き渡り、

「ぬおおお!」

 青年の気合いが、それに続きます。

 スーツケースを頭の上に持ち上げた青年が、一歩一歩、階段を登ります。

 その腕が、はち切れんばかりにふくらんで、血管が浮き出ています。

 脚の筋肉に境目が浮かび、汗が流れていきます。

「ぬう」

 階段の一段一段が、その男の脚に襲いかかります。

 頭上のスーツケースが、男の腕と肩を、そしてそれらを支える腰を痛めつけます。

「どうしたどうした! お前の実力はそんなものか!?」

 女性の激励げきれいが、

「ノー! まだまだやれる!」

 男を突き動かすのです。

「そうだ! お前の本当の実力を見せてみろ!」

「イエス! マム!」

「痛みは苦しみじゃない! 至上の喜びだと思え!」

「イエス! マム!」

「あと百十回も、階段を楽しめるぞ!」

「イエス! オウ、イエス!」

ほとばしる筋肉の喜びを、全身で感じろ!」

「イエス! イエス! イエス!」

 階段の下から、

「あのー、エレベーター直りましたよー?」

 ヘルメット姿の工員が大声で話しかけましたが、

「よし! 百九十回終了! よくやった! 水分をって二分休憩していい!」

「イエス! マム! ありがとうございます!」

 二人は聞いていませんでした。



 急


「フィニッシュだ!」

 とうとう、青年が三百回、階段を登り切って、スーツケースに潰されるようにその場にへたり込んだ、その瞬間――、

 スーツケースが光りました。

「え?」

「きゃっ!」

 眩い光に包まれたスーツケースが、ふわりと宙に浮かび、ゆっくりと開いてきます。

 そして光が消え、そこに現れたのは、ウサギを膨らませて角を取ったような、白くて可愛らしい謎の生命体でした。

「見事だ。めてつかわす」

 謎の生命体は、二人の頭の上から、上から目線で話しかけました。可愛らしい声でした。

はいの名は、《ウッサー》。この銀河を守る女神の忠実なるしもべにして、勇者へのメッセンジャー」

「はあ……?」

 へたり込んだままの青年が間の抜けた声を出して、それからウッサーに訊ねます。

「その話……、長くなります? 先にプロテインを飲みたいんだけど」

「それならここに用意しておきましたよ」

 女性がスーツケースの中から、シェーカーと粉のプロテイン、そしてペットボトルの水を取り出しました。手早く作り始めました。

「ああ……、ありがとう」

「どういたしまして。筋トレ後三十分以内が、ゴールデンタイムですよね?」

「よくご存じで」

「話を聞けよ。特別に、それ飲みながらでいいから」

 ウッサーが可愛い顔のまま、顔に青筋を立てました。そして、

「“スーツケースを運んでこの駅の階段を三百往復したとき、それが勇者復活の証”と、伝承は伝える。我が輩は、それを九十億年も待ったのだ。お前達二人こそ、真の勇者。お前達はこれから魔王『ザ・ダーク・ギャラクシーMk2』に囚われた女神様を救うために、大宇宙の海原へと旅に出るのだ」

「ブルーベリー味ですね」

「好きかなと思って」

「大好きです。美味しい」

「話を聞けよ」


 こうして選ばれた勇者達の冒険が始まり、やがて全銀河を巻き込んだ一大叙事詩へとつながるのですが、それはまた別のお話。


                            おわり つづかない

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