34日目 別れの挨拶

 昨日倒れるように眠りについたジェシカは、翌朝何事もなかったかのように目を覚ました。

 俺が起きるのとほぼ同時だ。

 

「おはようジェシカ。昨日は倒れるように眠りについたが大丈夫か?」

「おはよう! 大丈夫、絶好調だよ。もうこの宿を引き払うから、ハーヴィも準備してね」

 ジェシカは自分の荷物をバックパックに詰めて旅立ちの支度を始めている。

 

「なんだと!? 随分突然だな。宿を変えるのか?」

「違うよ、帰るんだよ」

「帰るってどこに?」

「貴方が目覚めた場所。王都ともお別れだね。ハーヴィも、お世話になった人たちに挨拶してきたら? ……あの場所ってここから2日くらい歩かなきゃいけないんだよなぁ。結構遠いなー」

 

 そういえばカクタイ族の村を発つ時も唐突だったな。まるでデジャヴのようだ。既視感を感じる。

 王都から離れるという事は、ジェシカはここでやるべきを全て終わらせたということだ。


「分かった。俺もこの街には思い入れがある。別れの挨拶をしようか。どれ位に街を出るんだ?」

「明後日のお昼には向こうへ到着したいから、お昼には出るよ。……ハーヴィはこの街に残りたい?」

 ジェシカが荷造りの手を止めて、俺に聞いた。

 真剣な顔で俺の反応を伺っている。

「寂しくないと言ったら嘘になる。俺が覚醒してから、ほとんどの時間をこの街で過ごしたんだ。それなりに親しい知人も出来た……だが、ジェシカは俺が止めても出て行くんだろう? 着いていくさ」

 ジェシカは俺の言葉を聞き、一安心したようだった。

「ありがとう。その場所に行った後、また王都に戻ってきてもいいからさ! 二度と帰ってこない訳じゃないよ」

 そう言い放つとジェシカは荷造りに戻った。

 王都で色々なものを手に入れたようだ。

 見たこともない装飾品や、紙の資料、本などが机に散乱している。

 

 俺もジェシカとそれなりに密度の濃い付き合いをして来た。

 そんな俺だからこそ分かる。

 ジェシカはもう王都へ戻る気は無いのだ。

 第一また戻ってくるつもりなら宿を引き払わなくても良い。

 宿泊費をケチっている訳ではない。

 お金は使い切れない程ある。

 それこそ宿泊ではなく一軒家が買えるだろう。

 俺が狩りで稼いだ金は全てジェシカに預けているが、散財した様子もない。

 

 「じゃあ俺は旅立ちの挨拶をしてくる。昼に門集合でいいな?」

 ジェシカが了承の意を示したので、俺は1人で宿を出る。

 俺の荷物は背中の槍くらいだ。

 荷造りは必要ない。

 

 

 俺はまず狩猟組合に顔を出した。

 相変わらずレシーは忙しそうにしている。

 机に齧り付き必死に書類とにらめっこだ。

「レシー、今良いか?」

 俺が声を掛けて初めて存在に気が付いたようだ。

 髪の毛を一瞬逆立たせ目を丸くする。

 

 「ハーヴィさん! どうしたんですかこんな所に! てっきり兵隊さんにでもなったんだと思いました。……もしかして、また狩りに出てくれるんですか? ハーヴィさんにお願いしたい害獣共は沢山いますよ」

 討伐対象の載った書類を引っ張り出し、俺の前に並べようとするレシー。

 こいつ、ワーカーホリックだな。今思えばこの組合の事務員はレシーしか見たこと無い。

 大量の仕事をこなしているに違いない。

「いや、違う。王都を出ることになったから挨拶に来たんだ。いつ戻ってくるか分からないからな。レシーには世話になった、金のない俺の面倒を見てくれて本当に助かったよ」

「えっ! いなくなっちゃうんですか!?」

 レシーを資料を広げる手を止めて一瞬完全に停止した。

 ゆっくりと此方を見上げて、目が合う。

「ああ。今思えばレシーには、世話になったのにお返しが出来ていないなと思ってな。感謝の気持ちだ」

 俺はずっと首にかけていた“フタコブ”の核をあしらえた首飾りをレシーに渡した。


「これ!? 私が貰っちゃって良いんですか!? だって“フタコブ”の核なんて超一流の狩人の証ですよ、装飾品としての価値も非常に高いです!」

「ああ、良いんだ。戦いの時邪魔になるから。俺がしているよりもここにある方が良いだろ? 狩人組合の箔になる。……レシーが身につけてくれても構わないぞ」

 思い返すと、最初この首飾りを見せることで、俺の実績を証明しようとしたのだ。

 懐かしい。


「でもこれって確か、カクタイ族の人と狩りに行って手に入れたんですよね? カクタイ族の戦士でも“フタコブ”の討伐は非常に危険です。そんな貴重な物を本当に貰っちゃって良いんですか? しかも首飾りの紐とか手作りだし……ハーヴィさんに持っていて欲しいんじゃ?」

「うーん……まあ良いだろ。マミラリアにはこれだけじゃなくて、槍も貰って愛用しているしな。俺に首飾りは似合わない。レシーのような可愛い女の子の方が首飾りも輝くだろ」

「なぁっ、もしかして、これって“戦姫”マミラリア様からの贈り物なんですか!? ってか可愛いって!」

 レシーは何故かパニックになっている。

 恐る恐る核を撫ぜている。

 “フタコブ”の核は大きな真珠のように白く光沢を放っていて、磨けばより輝きを増すだろう。

「というわけで、大事にしてくれ。また縁があれば会おう」

「……ハーヴィさん、貴方クソ野郎ですね、女の敵です。マミラリア様悲しむと思います……」

 首飾りを愛でつつブツブツ言っているレシーに別れを告げて立ち去る。

 昼まであまり時間がない。

 次はハクとハツの家に顔を出そうと思う。



 ハクとハツの家に向かった所、直前に引っ越したばかりで、空き室になっていた。

 

 聞いていた住所が合っているか3回確認したから間違いないはずなんだが。

 そういえば引っ越ししたいと言っていたな。

 お金が溜まったから物件を探しているなんて言っていたのは約10日前だ。

 もう行動に起こしたのか。

 狭い部屋が相当嫌だったのだろうな……狩りの最中も文句を言っていた。

 

 残念ながら大家に聞いてみても、猫の双子がどこに引っ越しした知らなかった。

 

 しょうがない。

 また会うこともあるだろう。

 

 

 最後に俺はどうしても会わなければならない人物がいる。

 “娼婦の女王”レオトラである。

 高級な服を買って貰い、貴族への橋渡しもしてくれたのだ。

 娼館の場所は少々強引に遠いが、別れの挨拶をしたい。


 久し振りにスラム街を歩くと、以前より少し活気があった。

 もしかしたら戦の勝利の余韻がここまで届いているのかも知れない。

 そう思うと俺のしたことは、少しは王都の民のためになったのかと思い嬉しくなる。

 

 

「レオトラはいるか?」

 娼館に到着し、受付嬢を介し部屋まで案内してもらう。

 ここに来るのは3回目だが、相変わらず風俗を営んでいるとは思えない清潔感に圧倒される。

「いらっしゃい、ハーヴィ。急にどうしたの?」

「ああ、突然すまないな。忙しかったか?」

「王都一の娼館を経営しているんだから、私はいつも忙しいのよ。アポ無しで通すなんて貴方くらいだからね」

 文句を言いつつレオトラは少し嬉しそうだ。

 語尾が跳ねている。


 

 机の上を片付け、椅子に座るよう促してくれる。

 俺は改めてレオトラに、どのように切り出すべきか悩んでいた。

 別れを惜しまれるだろうか? 態々そんな事を言いに来たのかと邪険にされるだろうか?

 まごついている俺にレオトラの方から話題を振ってきてくれた。

「そういえば戦争では大活躍だったみたいね。スラム街にも噂が流れてきたわ。凱旋を見に行った娘が騒いでたの。良い話題のお陰で景気が良くなった。ここ数日で予約が殺到したのよ。……もしかしたら貴方のお陰で忙しいかもね」

「それは申し訳なかったな。相変わらず耳が早い」

 戦争に勝利したのはわずか2日前だ。

 俺が砦を陥したことをとっくに知っていたのだろう。


 

「それで用件は何かしら? ついにジェシカに愛想を尽かしたの? ウチくる?」

 レオトラは半ば冗談交じりに聞いてくる。

「……今の所その予定はない。俺とジェシカは王都を離れることになったんだ。レオトラには共々世話になった。別れの挨拶がしたくてここに来たんだ」

「それは急な話ね。貴方は今王都の中でも注目の人物なのよ? 噂では“戦姫”が砦を攻め落とした事になっているけど、事実は違う。貴方のお陰で勝ったんじゃないの?」

「まあそうだな。俺が敵兵の指揮官を殺して砦を制圧した」

 レオトラは俺の強さを知っている。

 確信を持っているようだったので変に謙遜はせず頷いた。

「そんな傑物を王様は放っておくのかしら?」

「特に何も言われていないぞ」

「……ジェシカが話をつけたのね」

 口元に手を当て考え込む動作をするレオトラ。


「それで、王都へはいつ戻ってくるの?」

 数拍の時間を置いて、再度質問を投げられる。

 

「全く決まっていない。もしかしたらもう二度と王都へは戻って来ないかも知れないんだ。……レオトラ、お前は俺を認めてくれた。知り合いの少ない俺にとっては大事な友人だ。別れが惜しいが最後に感謝を伝えにきた」

 俺は最後の挨拶のために握手を求めた。

 

 しかし、俺の差し出した手はレオトラに黙殺された。

 そしてレオトラは睨むように俺の目を見つめる。

 

「王都を出るのはジェシカが決めたのでしょう? 貴方はいつまでジェシカの金魚のフンをしているの?

 断言するわ。貴方は絶対に裏切られる! 私は何百人もの女を見てきたわ。人を騙している女も、隠し事をしている女も、あの女と同じ顔をしていた。

 私の事を友人だと思うなら、私の助言を聞き入れなさい。

 あの女に着いて行ったらいつか後悔する! ……私と一緒に娼館をやりましょう。貴方は用心棒として居てくれればそれでいい。お金は私が稼ぐから」

 そう俺に説くレオトラの瞳の端には涙が滲んでいた。

 俺は彼女の感情の奔流に気圧されていた。

 ジェシカのことを気に入らないのはなんとなく察していたが、ここまで情熱的に引き止められるとは思わなかった。


「レオトラ。気持ちは嬉しいが、それは出来ない。俺にとってジェシカは友人であり親でもある。俺から裏切る事はない」

「ハーヴィ、可哀想。貴方は愛を知らないから分からないのね。ジェシカは貴方のことをだと思っているわ。貴方にとって大事な人でも、ジェシカにとってはそうじゃない」

 

 空気の澄む音が聴こえる程の沈黙が流れる。

 まさかここまで強く批判されるとは。

 レオトラが俺のことを好意的に思ってくれているのは感じていた。

 どのように答えていいか分からなかったので、俺はしばらく口を噤んでいた。


「ハーヴィ、私だったら貴方に本物の愛をあげる……ここに残って」

 掠れ声でボソッとレオトラが呟く。

「ありがとう。レオトラが心から俺の身を案じてくれているのは分かる。だがお別れだ。もう決まったことだ」

 改めてレオトラの手を握り握手を交わす。

 レオトラの手には力が全く入っていない。

 手を離すと重力に伴いだらんと垂れる。


「……あの女に捨てられたらいつでもいらっしゃい。待ってるからね」

 俺は振り返ることなく娼館の扉を閉じた。

 レオトラは懐の深い女性だ。

 本気で俺の事を思って言ってくれたのだろう。


 むず痒い気持ちが胸中に満ちる。

 言葉では表現しづらい切なさ、歯がゆさ、後味の悪さを感じた。

 しかし、レオトラに別れの挨拶が出来て良かった。

 もう二度と会うことはないかもしない。


 俺は王都の門へ向かう。

 スラム街からは少し遠い。

 集合時間は過ぎるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る