24日目 冷たい夜

 会場を飛び出たレオトラは、まるで夢の中にいるような熱狂から、ようやく徐々にほとぼりが冷めて来た。

 

 貴族の屋敷から娼館へ帰る道中、レオトラはずっと話通しだった。

 俺の事を過去の英雄に例え、美辞麗句を並べて称賛してくる。剣闘通の名は伊達じゃない。聞いたことない固有名詞が次々と紡ぎだされる。

 何百年も前に活躍した戦士や現役の強者の名前を何十人と聞かされた。

 

 俺が唯一知っている名前はマミラリアのみだった。

 

 娼館へ送り届けた際に、2人で少し飲みなおしたいとの事で、レオトラの部屋に通された。

 パーティドレスを着替えてくる間、俺は1人部屋で待たされている。

 今日1日という約束が無ければ、既に帰っていただろう。

 夜は完全に深まっており、太陽の加護も切れて体が重たい。

 

 俺は飲まないが、飲むのを見ているだけでいいのだろうか。

 そして、レオトラは既に貴族の屋敷で5杯平らげていた。

 あと何杯飲むつもりだろう……。

 

 ナイトドレスに着替えたレオトラが、酒瓶を片手に部屋へ入ってくる。

 先程のドレスと違い、ゆったりとした布が体を最低限覆うだけの作りになっていて、乳も尻も露わになっている。とても扇情的な格好だ。

 出会ったばかりの男に見せていい姿ではないだろう。

 娼婦の感覚では普通なのか?


「お待たせ。貴方も寛いでいいわよ」

 部屋の中に机と椅子は一脚ずつしかない。

 座る場所がないので、部屋の中で立って待っていたが、レオトラが自身の天蓋付きの寝台に座るように促した。

 寝台の近くに、燭台立てとなった小さな台の上へ酒瓶を置いた。

 レオトラは寝台に、俺の真横に座る。

 異様に距離が近い……。

 大きく露出した二の腕同士が触れる距離だ。

 酒瓶は、片手で持てる程度のサイズで、酒は大した量が入っていない。


「ハーヴィ。今日はありがとう。とてもかっこよかったわ。あんなに興奮したのは生まれて初めててかもしれない」

 酒を舐めるように飲み、吐息交じりに語りかけられる。耳元でどうにか聞き取れる程の声量だ。

 レオトラの髪に使われている香料の香りが鼻をくすぐる。

 甘ったるいが、きつすぎない蠱惑的な香りだ。

 左腕が、俺の太股の上に乗せられ、ズボンの皴を伸ばすように撫でられる。

 

 ここまでされて気付かない程鈍くはない。

 レオトラは俺を誘惑している。

 鼻息のかかる距離にあるレオトラの瞳は、水気をたっぷり含み今にも涙が零れそうなくらいに潤んでいる。

 

「レオトラ、期待に応えて嬉しいが、そういうことはしないぞ」

「何故? 今日1日は私の物なんでしょう? 夜が明けるにはまだ早すぎるわ」

 

 レオトラが俺の手を取り、自身の豊満な胸に俺の掌を押し当てる。

 握り締めたら潰れてしまいそうだ。

 粘度のある液体をパンパンに詰め込んだような柔らかさが掌を通して伝わる。

 

「もしかして、ジェシカに遠慮している? 気にしなくていいじゃない、英雄は色を好むものよ。貴方とジェシカがどんな関係でも私は気にしない。この街で私を抱く事の出来る男は多くないわ。娼婦を引退してから幾人もの男が身体の関係を迫って来たけど、琴線に触れる男はいなかった。貴方を除いてね。私で1夜楽しんでくれればそれでいいのよ」

 掌から伝わる体温が、どんどんと高くなってきた。追従するように鼓動も早くなっていく。


 レオトラの高揚とは反対に、俺の感情はどんどん冷えていった。

 レオトラは間違いなく美しい女性だ。

 ジェシカとは違う妖艶さと高貴さを兼ね備えた美しさがある。

 

 しかし、俺はレオトラに対して

 脳が考える事と、体が感じる事に乖離がある。体に引きずられる形で、感情もどんどん落ち着きを取り戻し、今や街を散歩するのと変わらない平常心だ。

 俺は転生して以来、性欲と言うものを感じたことが無い。

 美しいものを美しいと感じる感性は持ち合わせている。

 しかし、女性に対する美しさは、自然や景色に感じる美しさと同じものだ。

 そこに獣欲は伴わない。


「俺はレオトラを抱く事は出来ない」

 あえて口に出し、きっぱりと断った。

「……私の事嫌い?」

 レオトラは指先で俺の胸をなぞり、脇腹を通って、ゆっくりと腰まで下りてくる。

「いや、嫌いじゃない。ただ、抱こうと思わないだけだ」

「いえ、そんなはずは……っ!」

 俺の股間にまで手を伸ばしたレオトラが、驚愕の表情を浮かべる。

 普通の男性であれば、この状況下で屹立している物が、


「貴方、もしかして……これもジェシカにやられたの?」

「いや、何のことを言っているか分からない。もしかしたら記憶を失う前に何かをされてしまったのかもしれないが」

 そう答えると、レオトラは今までの熱が冷めてしまったように、体を離し酒瓶を一気に煽った。

 最後の一滴まで飲み干して、乱暴に台に置き俺へ向き直って言う。

「酷い女ね……。貴方も可哀そうな男。今日の所は諦めるわ。私は一人寂しく、自分を慰めるから。でもまだ諦めた訳じゃない。娼婦の女王を舐めないでね。繋がらなくても気持ちよくなる方法はいくらでもあるんだから。……好きよ、ハーヴィ。いずれ契約無しで私の物にして見せるわ」

 

 最後にその細く長い腕を、俺の背に絡ませて口付けを交わされた。

 ジェシカに奪われた唇を奪い返すように、長く湿った熱いキスだった。

 燃えるようなキスをされても、俺の感情と体は冷めたままだ。

 

 別れ際、レオトラは呪詛のように俺に言葉を残した。

「ハーヴィ、いつかジェシカは貴方を。これは女の勘だけど、確信しているの。ジェシカに愛想が尽きたらいつでも私の元へいらっしゃい」

 

 俺はレオトラの部屋を出て、深夜の王都を宿に向かって帰っていった。

 

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