24日目 夜会の催し物
以前ジェシカの護衛をしつつ、この屋敷を訪れた時、貴族の屋敷の庭に、広大な広場があった。
私兵を飼っているのかと思っていたが、趣味のために準備した剣闘場だったらしい。
貴族の屋敷には既に来客が集まっていた。
来客たちは、玄関で招待状を提出して庭まで通される。
屋敷の外で行われる立食パーティ形式だ。
俺達も含めて20人程招待客がいるらしく、机が8個配置されていて、その上には料理が所狭しと並べられている。
配膳係の給仕がトレイの上にお酒を乗せて運んでいる。
“砂の世界”のお酒は、“サボテン”から作るテキーラだけではないようだ。
果実の風味が漂うワインのようなものと、ラクダの乳からつくるお酒が準備されていた。
水ですら高い金額で取引されるのだ、これだけの料理やお酒を準備するのは、よほど財力がある証だろう。
「実は今日、私のエスコートのために貴方を呼んだの。私の周りは女性ばっかりでね……エスコートを探すのにいつも苦労するのよ。前はあの子を男装させて、無理矢理連れてきたんだから」
あの子とは、俺が前殴り倒した蜥蜴の護衛の事だ。
男装させられて……仕事だからしょうがないか。
「本日は遠い所からよくぞお越し頂いた! レオトラ殿にはいつもお世話になっておるな!」
手続きを済まし、庭でレオトラと話をしていると、大柄な蜥蜴の男性が近づいてきた。
体に比例して声もでかい。
今まで見た中で最も装飾の多いゆったりとした衣装を身に纏っている。
そうか、こいつが噂の貴族か。
「こちらこそ、うちの女の子達を毎週のように可愛がって頂き感謝しております。貴方様に支えられて私達の娼館は成り立っております」
レオトラが恭しく、礼を返す。
蜥蜴の大男は、貴族というにはがさつな口調で、あまり優雅さは伺えない。
逆に礼儀を尽くした挨拶をするレオトラの態度の方が高貴に感じられた。
「そういえば、お主が寄越したヤツは大層面白い女だな! 最初は何事かと思ったが、不思議と話を聞きたくなる」
話題は派遣されたジェシカのことに移った。
レオトラとしても、娼婦ではなく不審者を送り込むことにリスクを感じていたらしく、貴族の好意的な反応に胸を撫で下ろした。
「それは私も安心しました。少々強引に向かわせてしまったもので、ご機嫌を損ねてしまったらどうしようかと思っていたおりましたわ」
「ハハハハッ! 弁舌の立つ女郎だと思ったが、まさか指一本触れさせず帰ってしまうとは思わなかった! まあ俺にも利のある話を持ってきたから手を出さずに返してやったぞ。あの美貌と体は少々惜しかったがな」
蜥蜴の貴族は、実に勿体ないことをしたと後悔した素振りを仄めかし、豪快に話す。
ジェシカの貞操は意外と紙一重だったのかも知れない。
「そういえばその男は何者だ? 見たこと無い奴だな……俺よりデカいやつは珍しいぞ」
蜥蜴の貴族は、横に無言で立つ俺に目を付けた。
俺の目線の高さくらいの身長で、“砂の世界”で出会った人の中では一番大きい。
「本日私のエスコートを務めるハーヴィというものです。何者かどうかは後程分かるかと」
レオトラが、含みを込めた笑みを浮かべて俺のことを紹介した。
俺は特に喋らず、無言で会釈した。
俺の言葉は意図せず貴族の機嫌を損ねるかも知れないので、黙っていた方が良いと言い含められている。
「ほほぉう、そうかそうか。それは楽しみだ。本日のメインイベントはとんでもない物を準備したからな。ぜひ楽しんでいってくれ! それでは、他の賓客に挨拶回りをしてくるので、食事を楽しんでいてくれ。君もこの後よろしく頼むよ!」
蜥蜴の貴族は俺の肩を叩き、さっそうと去って行ってしまった。
貴族というにはかなりフランクで、近所のおじさんみたいな雰囲気だ。
貴族が主催する夜会に、娼館の主を呼ぶくらいだから細かいことは気にしないのだろう。
「なんか貴族のイメージが変わった。もっと偉そうな奴かと思っていた」
「ここの貴族様は、若い頃自ら兵役を経験し、平民に混じって戦争に行った現場上がりなのよ。貴族としては異端だけど、私からすると付き合いやすい相手ね」
乳から作ったお酒を傾けて、レオトラは俺に囁く。
豪快な人物なようで、他の客にも大きな声で話し掛けて饗しをしている。
こうしてみるとジェシカの派遣先としては適切だったのだろう。
突如娼婦の代わりに訪れたジェシカにも、怒ったりせず話を聞く度量があるようだ。
会場を見渡してみると、俺達以外も色とりどりの衣装で身を飾った来客が談笑していた。
蜥蜴の種族が一番多いが、猫や鼠、犬(ほぼ人に見える)の種族もちらほらいて、見た目にも賑やかだ。
その中でも一際目を引く種族がいる。
肌は鱗に覆われ、服は動きやすさを重視した地味な服である。
蜥蜴とは顔の作りが違う。あれは“蛇”だ。
王都で初めて見たが、“蛇”の種族のようだ。
まるで囚人のように拘束された男が、パーティ会場の片隅で食事を摂ることもなく立っている。
蜥蜴の種族の警備員2人に両側から挟まれて、背中に腕を回し、縄で止められている。
確か蛇の種族とは戦争中だと言っていたはずだ……王都に住んでいる蛇がいたとは。
もしかして捕虜か?
そして会場の片隅には、もう1人立っている男がいる。
そちらは俺も見覚えがある緑色の髪に、槍を背負っていた。
特に拘束されているわけではないが、着飾ってもなく食事を取っている様子もない。
あの風貌は間違いない、カクタイ族だ。
歴戦の戦士の雰囲気を漂わせた男は、会場を一瞥することもなく目を閉じて、腕を組み微動だにせず立っている。
よく見ると、この賑やかな雰囲気にそぐわず、殺気を迸らせた男が他にもいた。
蜥蜴の種族で皮の鎧を来た男と、大きな角を2本生やした軽装の男だ。
角の生えた男の種族はわからないが、実用性に富んだ麻で編まれた服を着ていて、パーティの招待客ではなさそうだ。
俺にもなんとなく読めてきた。
「なあレオトラ、あそこにいる奴らは、剣闘士だろ?」
ほろ酔いになり頬を赤くしたレオトラに尋ねてみる。
するとあっけらかんと答えた。
「正解! このパーティはただ飲んで食べるだけじゃない、それぞれの招待客の自慢の兵士を連れ寄って力試しをするの。賭けの対象にもなるわ。権力者たちはより強い兵士を連れていることが誉れなのよ……今日は3試合も組まれているからゲストも多いわね」
「どうりで殺気立っているな。飲み食いしている奴らとは雰囲気がまるで違う」
「うふっ、ハーヴィより強い人なんていないわ。貴方のパンチで全員一撃よ」
レオトラは結構酔っ払っているようで、フラフラしながら俺の腹筋に軽く殴りかかってくる。
その細腕から繰り出される拳は虫も殺せないだろう。
娼婦の女王と言う割にはお酒に弱い。
レオトラはイメージとその実におけるギャップが多いな。
それがレオトラの魅力なのかも知れない。
ふと屋敷の入り口を見ると、見覚えのある黒い服を着た女がゆったりと歩き会場に入ってきた。
いつもはマントのように羽織っている服を、胸と腰をセパレートするように織り、肌の露出を増やしてドレスのように身に纏っている。
胸と背中とお腹を晒し、長尺の生地を靡かせる姿はけして下品にならず、元々がドレスだったように綺麗なシルエットに変貌していた。
ジェシカに間違いない。
そういえばパーティに招待されていると言っていたな。
「本日ご招待していたゲストの皆様が揃いました! それでは、主から夜会の挨拶をさせて頂きます!」
受付をしていた屋敷の従業員が声を張り上げ、注目を集める。
来客へ挨拶回りをしていた貴族が、歓談を切り上げて片手に酒の入ったグラスを持ち壇上へ上がる。
「本日は私が個人的に催す夜会にお越し頂き、誠に感謝する。本日は特別な一夜となるだろう! 皆様の目玉が飛び出る姿を想像するだけで、私はワクワクしている! 既に気の早い人は始めているだろうが、改めて乾杯をさせて頂こう」
招待された客は皆一様に貴族の方へグラスを片手に持ち、音頭に合わせてグラスを鳴らす。
俺は飲まないが、レオトラに付き合ってキンッとグラスを当てた。
「さて、これ以上時間が経ってしまうと肝心のものが見えなくなってしまうぞ! 早速始めるとする!」
貴族の号令を聞いて、来客達は庭の広場へ目を向ける。
いい加減日も暮れ始めて、日が沈む寸前の状態だ。
広場には木の杭を縄で囲んだ柵が組まれていて、四隅には大掛かりな松明が燃え盛っている。
一応日が落ちても最低限の明かりは担保されているらしい。
先程まで壁の隅で息を潜めていた剣闘士達が中央の舞台に集まってくる。
どうやらそれぞれの招待客が連れてきた子飼いらしく、近くに寄り添い声を掛けている。
漏れ聞こえる声からすると、少なくない額を自分の剣闘士に賭けているようで、血走った目で剣闘士に激を飛ばしていた。
「なるほど……貴族の趣味というのはこの剣闘か。しかも賭け事にして場代も取っているのだろ? 悪趣味だな」
先程までお酒を運んでいた給仕が賭博券の購入を促しに机を回っていた。
レオトラにも声が掛かったが、無言で首を振り給仕を追い返す。
「この国の人達はね、皆戦いが大好きなのよ。あの貴族は自分も兵士上がりで暴力の魅力に取り憑かれているわ。争いの魅せ方も心得ている。自腹を切って、庭を剣闘場として拵えて客を呼んで見世物にするのよ。元々自分も戦っていたんだけど、歳を取って自分が戦えなくなったら人に戦わせて金を稼ぐ……そうして成り上がったの」
4杯目のグラスを空にして、レオトラは少し離れた場所から剣闘場を眺める。
「レオトラは賭けないのか?」
「こんな前座じゃ心躍らないわね。この後、最高に痺れる試合が見られるはずだもの」
レオトラの目が妖しく光った。
俺の目を真っ直ぐ見て目線を切らない。
何となくレオトラの視線の意味が読めてきた。
もしかして俺もこの剣闘に出場させられるってことか?
「なあレオトラ……」
「さて、第1試合目は蛇の戦士と蜥蜴の戦士、因縁の戦いです! 皆様券の購入はお済みでしょうか!? 普段であればメインイベントとなるだろう大注目カードです!」
受付の従業員は、そのまま試合の実況と進行役を務めるようだ。
よく通る声が庭全体に響き渡る。
「この蛇の戦士は、御存知の通り、今我が国と戦争中の憎き敵国から捕らえた捕虜の兵士です! 本日ご招待した商人様が奴隷として買い取り、参戦致しました! 聞く所によると我が国の兵士を3人斬り殺した腕利きとのこと!」
紹介された蛇の種族の戦士は、木刀と盾を構えて剣闘場の中央に立っている。
目には殺気が迸り殺る気満々だ。
3人も殺した兵士が、何故捕らえられてこんな見世物にされているか気になるところではある。
「そして、対する蜥蜴の戦士は、元々我が国の兵士として槍を振るっておりました! しかし、軍規違反を重ね軍を解雇になった所、高利貸しを営むお客様に雇われて今日の剣闘に参戦です! 兵士時代は暴虐な兵として敵国を震え上がらせた猛者でした!」
皮鎧を身に纏い、木で出来た棒を手にした蜥蜴の戦士が、蛇の戦士と対峙し睨み合っている。
クビになるほどの軍規違反とは、何をやったのだろう?
実況の煽りもあって、周り観客から歓声が上がる。
応援の声から察すると、蜥蜴の戦士の方に人気があるようだ。
戦時中の今、敵国の兵士をコテンパンにすることで代償行為の快感を期待しているのかも知れない。
進行役の従業員から試合開始の合図が上がる。
両者とも刃物は持っていないので、木製武器で互いの隙を伺いながら殴り合っている。
木製といえども、屈強な戦士が力いっぱい振るえば怪我では済まないかも知れない。
戦いに酔っているのかお互いに打突を交わしながら、相手を殺す気勢を発奮させている。
意味の成さない叫び声が両者から幾度も上がる。
試合はどうやら蜥蜴の戦士の方が有利に進んでいる。
蜥蜴の戦士の方が体が分厚く、一撃が重い。
一方蛇の戦士はひょろりと長い体躯をしていて、片手剣を扱っているので、一撃の重量に優劣があるらしい。
蜥蜴の戦士から突き出される槍を盾を使い上手く捌いているようにも見えるが、蛇の戦士の攻撃は撫でるのみで、全く致命打を与えられていない。
「蛇の種族は蜥蜴の種族に比べて力が弱いのよ。その代わり視界が悪い夜でも、相手の姿を捉えることが出来る。日暮れ程度の闇では、お互いの姿がよく見えるから有利に働かないわね。あっ、ほら、もうすぐ勝負が決まるわ」
レオトラが戦いの行末を解説してくれる。
賭けには参加していないが、戦いを見るのは好きなのだろう。
レオトラの言う通り、蜥蜴の戦士が蛇の戦士が立てなくなるまで、棒で突き倒し、勝負が決まった。
蛇の戦士は、剣闘場の床に倒れて口から血混じりの反吐を吐いている。
観客の歓声が大きく上がった。賭けに勝った割合の方が多かったようだ。
倒れた戦士は、従業員によって担ぎ出されて、飼い主である商人の足元に転がされる。
寝たまま動けなくなっている戦士へ、追い打ちをかけるように腹を蹴り飛ばし鬱憤をぶつけた。
「さて、次の試合は希少な種族同士の戦いになりました! こちらはあの最強の武闘派民族、カクタイ族の戦士です! 我らの主が、今日のために傭兵として雇い、剣闘を盛り上げるべく戦いに投入致しました!」
先程壁に凭れ掛かって立っていた男が、進行役の声に合わせて歩み出る。
槍を背中に携えて余裕のある立ち振る舞いだ。
「一方こちらもまた珍しい、“角鹿”の種族の弓狩人の登場だ! 遠方の地より流れ着いた流浪人が我らが剣闘に参戦! 精密な弓使いと一昼夜走り続ける事が出来るスタミナが大きな武器です!」
頭に大きな角を2本生やした男が弓を担いで入場する。
主人はいないようで、流離の剣闘士としてこの闘技場に辿り着いたらしい。
矢筒には矢じりを落とした矢が何十本と突き刺さっている。
この狭い剣闘場で距離を離しながら弓を打つことが出来るのだろうか?
「この勝負は火を見るよりも明らかね。カクタイ族の戦士の勝ちよ。種族としての地力が違うわ」
5杯目の酒を飲みながらレオトラが呟く。
レオトラの戦士を見る眼は肥えているようで、非常に細かく戦力を分析していた。
ただ、かなり酔いが深くなっているのだろう。
ぶつぶつと予想と蘊蓄を垂れ流す姿は、休日に賭場へ通う中年男性のようだ。
試合はまたしてもレオトラの予想通りに事が進んだ。
試合が始まった直後、全力で距離を取ろうとする角鹿の狩人と、それを追従するカクタイ族の戦士。
おおよそ15m四方の剣闘場では満足に距離を取れず、やけっぱちになりながら矢を放つ。
カクタイ族の戦士は、力の篭っていない飛矢を槍で撃ち落とし、あと一歩の距離まで詰める。
距離を詰められた弓使いは、持っていた弓を手放し、腰に差していた木製の短剣を引き抜いた。
近距離用の獲物を構えるまでは良かったが、槍と短剣ではリーチが違いすぎる。
また、弓程扱いに習熟していないようで、カクタイ族の放つ槍を全く捌く事が出来ず、打たれるままになってしまった。
腹、鳩尾、横っ面と立て続けに槍の打撃を受けて、遂には地面に倒れ伏す。
最後まで角鹿の狩人は、有効打を与えることが出来ず、負けてしまったようだ。
この勝敗もあらかたの観衆は予想していたようで、賭けに勝つ喜びの声が聞こえてくる。
「まっ、予想通りね。カクタイ族に敵う戦士は中々いないわ。あの貴族も野に出たカクタイの戦士なんてどこから見つけて来たのかしら」
レオトラも結果に驚きもせず冷静に呟いた。
「もしかして、この戦士を自慢するためにこの催しを開いているんじゃないだろうな?」
勝利を持ち帰ったカクタイ族の戦士を称える、上機嫌な貴族がやたら目に付く。
戦士同士の力量に差のある取り組みだった。勝ちを確信していたかのようだ。
「それもあるかも。ただ、今日はとっておきの物が見つけたと言っていたの。あの戦士は以前の剣闘でも見たことがある。さらなる隠し玉がいるわね」
レオトラが周囲をねっとりと見まわし、次の出場者を探すが、武装した雰囲気のある戦士はもう会場にはいなかった。
3試合組まれていると聞いていたが、最後の戦士はどこにいるのだ。
「さて、次の試合が本日最後となります! 今回は、私達としても非常に挑戦的なマッチアップを組ませて頂きました! この試合は後世に語り継がれるかもしれません。では、剣闘士の紹介です!」
床に突き刺さった矢を回収し、整えられた剣闘場の中心で従業員が声を張り上げる。
「お集りの紳士の皆様には、お世話になった方もいるでしょう。娼館を統べる女王が満を持して、秘蔵の戦士を出場させます! 女王レオトラ様は、剣闘通としても有名で、実力のある戦士を見る目は確かです! そんな女王の推薦した戦士は見たこともない種族の大男! 噂によると狩人組合から現れた超新星の狩人です!」
アナウンスに従い、周囲の目がレオトラの横に立っている俺に集中する。
やはり俺が戦うことになっていたのか……。
「レオトラ、最初から俺を剣闘に参加させるつもりだったな?」
「せっかく貴方の1日を貰い受けたんだもの。貴方が勇ましく戦う所を見たかったの。負けたら許さないわ」
優しく背中を押されて剣闘場に送り出される。
周囲からも好奇の視線を感じる。
担ぎ出されてしまったなら拒否してもしょうがない。
俺は片手を振り上げて周囲の期待に応えた。
観客たちも前座の2試合で熱が上がっている。
そして俺の振り上げた拳に呼応するように歓声が上がった。
大勢の前で戦うのは、カクタイ族の村での決闘以来だ。
ふと観衆の中にいるジェシカが視界に入る。
貴族の横に陣取りこちらには聞こえない程度の声量で、貴族と何かを言葉を交わしている。
ジェシカは、俺と目が合ってひらひら手を振って来る。
思い返すと、ジェシカといいレオトラといい、俺の戦いは巻き込まれてばかりだ。
「女王の戦士と対するは、なんとこの剣闘会史上初のゲストを準備させて頂きました! あちらの小屋をご覧ください!」
司会の掌が指し示すのは、剣闘場に隣接して建てられた兵舎のような小屋だ。
扉が開き、屈強な蜥蜴の種族が5人掛かりで縄を引く。
何と中から小屋の天井程もある巨大な
あまりの異形に賓客たちから悲鳴が上がる。
縄を振り切るように大百足が身動ぎするが、5人がかりで取り押さえて、危うい状況ながら拘束出来ているようだ。
「こちらは、砂漠に巣食う怪獣。時には旅人を襲い、時には狩人すらも返り討ちにする獰猛な巨虫・大百足です! 狩人組合きっての凄腕が生捕りにした獲物を、我らがご主人が剣闘に出すため買い取りました! その巨躯から繰り出される攻撃、刃物も通さない甲殻に、果たして人に太刀打ちすることが出来るのでしょうか!? さて、今から賭けの投票を受付いたします!」
大百足の巨大な姿を見たレオトラが血相を変えて剣闘場内に入り、俺の元へ駆け寄る。
「ハーヴィ! ごめんなさい! あんな化け物が出て来るなんて聞いてなかったわ! 殺されちゃうかもしれない! あの貴族に文句を言ってこの試合を中止させる!」
今にも怒鳴りつけそうなレオトラを俺は引き止める。
「レオトラ、大丈夫だ。安心して見ていてくれ」
「でもハーヴィ、貴方素手じゃない!? そもそも一人の人間があの化け物に勝てるはずないわ! 棄権するべきよ!」
「大丈夫だ。まあ黙ってみていろ。……あの大百足と戦うのは2度目だ。何せ
大百足の右脚が何本か引き千切れている。
間違いない、ハクとハツ一緒にと生け捕りにした個体だ。
何故大百足の討伐が急に捕獲依頼に変わったのか合点がいった。
この見世物に出すためだったんだ。
そして、刺激的で残忍な公開処刑を見せつけたかったのだろう。
化け物に手加減は出来ない。
挑戦者がなぶり殺されるのを娯楽として楽しみ、財力と単純な暴力を見せつけることで、自身の立場を誇示したかったのだ。
悪趣味な貴族め。
レオトラが放心した顔で、元居た机に戻っていく。
大百足は腕程もある縄に先導されて剣闘場に連れ込まれた。
貴族のにやけ面が視界の隅で瞬く。
従業員の手斧により縄が断たれ、大百足は拘束から解放された。
剣闘場は簡易的な檻により囲まれているが、周囲の人間も危険なことには変わりない。
夜会を警備していた人員を全て剣闘場周囲に配置して、観客の距離を離した。
「賭けの方は、大百足に9割の票が集まりました。女王の戦士に賭けた方々は博打好きの大穴狙いかもしれません! それでは、試合の方を始めさせていただきます!」
先程まで剣闘場内で進行役を務めていた従業員も、場外に退避し開始の合図を上げる。
俺は大百足に睨みを利かせた。
大百足は、縄の拘束を解かれてから落ち着かない様子で脚をバタつかせている。
俺の事は視界に入っているだろう……そして俺の事を覚えているようだ。
大百足に向かいゆっくりと歩く、剣闘場は砂場を水で固めたような質感となっており、歩くたびにザッザッと音がする。
俺が近づくにつれて、大百足はよりジタバタと小さく身動ぎを繰り返す。
おそらく観衆には伝わっていないだろうが……こいつは俺に恐怖している。
以前固結びにされたことを覚えているのだ。
観衆も意外とおとなしい大百足の様子に、ざわざわと疑念が浮かんでいる。
「おい! 俺はこいつを殺しても良いんだろうな!? 虫相手に手加減はしないぞ!」
進行役の男に、大声で問いかける。
「勿論でございます。理性のない獣相手に躊躇など無用でしょう。貴方様が殺されかけても私達はすぐ止める事も出来ません」
進行役の従業員は、まだ自分たちの準備した大百足の勝ちを確信しているようで、余裕のある態度で俺の質問に答えた。
それを聞いて安心した。
今度は手加減を考慮せずに殴り殺すことが出来そうだ。
砂漠の日は落ちかけているが、まだまだ俺に加護の力を与えてくれる。
体の重さも感じない。
見世物の見栄えを気にしたのが徒になったようだな。
残念ながら大枚をはたいた大百足は1夜限りの玩具になりそうだ。
大百足にゆっくりと近づき、手を伸ばせば届く距離まで歩み寄る。
大百足はジタバタしていたが、覚悟を決めたようで、背中を反らせて顔を高い位置に保ち、俺を見下ろしてくる。
全長5~6mの長い体は、俺の遥か頭上で触角を動かし、顎を開閉させて威嚇してくる。
「おらぁっ!」
既に試合は始まっている。
がら空きになった細長い腹に向かって拳を叩き込む。
せっかく買ってもらった服に、虫の体液が飛ぶのも嫌なので、殴り破らない様に、絶妙な力加減だ。
1発、2発と殴られた、衝撃で頭を下ろし後ろによろめく。
俺の胸の位置まで頭が下がって来たので、一歩踏み込み右フックをかました。
俺の右拳に沿い顔がブレる。
左の触角がちぎれて宙を舞う。
大百足はまだ意識があるようで、こちらをにらみ返し口元に秘めた顎を全開にして俺の腕を食い千切ろうと噛み付いてくる。
少々手加減しすぎたようだ。
いつものただの丈夫な服なら、腕を噛ませて動かなくなった所を逆の拳で仕留めるのだが、今は高級な衣装を身に纏っている。
穴を開けられたらたまらない。
顎を開いて襲い掛かってくる大百足の頭を体を潜り込ませる形で避ける。
下から見た大百足の顎はうねうねと動いて毛も生えており、気色悪い。
右フックを放った拳を、今度は腰に下げ、下半身の踏ん張りを利かせて力いっぱい振り上げる。
俺への嚙みつきを空振った大百足の顎は、死角からの衝撃を受け、虚空に弾き飛ばされるようにして打ち上げられてしまった。
全長5~6mある体が、下からの衝撃に引きずられ、まるで吊り上げられた魚の様にピンピンに体を伸ばした状態で宙に浮く。
衝撃と速度により、衝撃波が発生したおかげで、拳にも汚い体液が付着せずに済んだ。
一瞬の無重力を体験し、重力に引かれて地面に寝そべる頃には、頭を全て失っていた。
俺の顎下からのアッパーカットを食らい、頭が全て爆散してしまったのだ。
尻尾から首に至るまで全面がひっくり返り腹を空に向けた状態で、死んでいる。
脳みそを失った大百足はそれでも、脊髄反射で体がピクピクと動いていたが、いずれ全く動かなくなるだろう。
捕獲するよりはるかに簡単な仕事だ。
そして、俺は綺麗なままの右腕を振り上げて、進行役に向かって叫ぶ。
「試合は決まったぞ! 俺の勝ちだ!」
大百足との試合に集中していた俺は、周りの観客の声や物音が全く聞こえなかった。
だが、改めて周囲を見渡しても言葉を発する者は一人もいなかった。
そして、俺の勝利の宣言を聞いて、じわじわと状況が認識出来て来たらしい。
まるで小波が津波に変わるように、歓声が高まっていった。
「大方の予想を覆し、この剣闘は女王の戦士が勝ちを納めました! 皆様、激戦に拍手をお送りください!」
20人程集まった賓客は、まるで熱に浮かされたかのように、剣闘場の周囲に集まり拍手と歓声を送っている。
皆が皆、俺を英雄として見るマミラリアと同じ目をしていた。
進行役の案内で、剣闘場を後にする。
そして、俺の元へレオトラが駆け寄って来た。
その目は酒とは別種の酔いの中にいる。
俺の戦いに酔ってしまったようだ。眼が溶けるように潤み、鼻息が荒く動作も忙しない。
「ハーヴィ! 貴方……まるで伝説の英雄のようだったわ! 信じられない! あぁ、私が今までで見て来た戦士の中でも最も強いわ! かっこいい、貴方を見ていると溶けてしまいそう……」
蕩けた瞳で俺に縋り、その端正な顔を俺の胸に押し当てて匂いを嗅がれる。
何故俺の匂いを嗅ぐ? 新品の服の匂いしかしないはずだ。全く汗は搔いていない。
レオトラの興奮が伝わってくる。
豊かな胸も俺の腕に押し当てられていて、心臓の鼓動を感じる。大きく、早い鼓動が確かに聞こえる。
例の貴族はどんな顔をしているのか探してみた。
剣闘場を挟んで斜向かいに茫然自失の様子で立っている。
周囲の熱気から隔絶されたように、一人時間が止まっているようだ。
そして、横にはジェシカが不敵な笑みを浮かべて、貴族に対して何か囁いている。
貴族の様子を眺めていたらジェシカと目が合い、手招きされた。
いい加減重く感じていたレオトラを引き剝がして、従業員に預ける。
興奮冷めやらぬ表情でゼイゼイ言っていたので、少し座って落ち着いてもらおう。
ジェシカと貴族の元へ歩み寄り声を掛けた。
「ジェシカが呼ばれたパーティってこれのことだったんだな。俺の試合は見ていたか?」
「勿論! 大活躍だったね。ハーヴィ、ちょっといいかな……」
ジェシカは、俺に耳打ちする動作をしたので、頭を下げてジェシカの声を聴こうとする。
すると俺の顔を両手で挟み込み、正面から俺の顔に覆いかぶさる形でキスをされた。
柔らかい唇の感触と、突如視界を覆うジェシカの端正な顔に俺は思考が停止した。
「っ、ジェシカ! いきなり何をするんだ!? びっくりするじゃないか!」
「いいじゃない、
ジェシカは俺に向かって片目を閉じて、アイコンタクトを交わす。
おそらく話を合わせろってことだろう。
「貴族様、このハーヴィは、今日1日だけレオトラ様へ貸し出しをしておりますが、普段は私の物なんです。もし、この男の力が必要な時は私に一声掛けてくださればいつでも融通いたしますよ?」
俺達のやり取りを黙って見守っていた貴族が、話し掛けられて、急に時が進み始めたかのように、ぎこちなく問いかけに答えた。
「おぉ……そうか。まさか俺の用意した大百足をいとも容易く殺すとは思わなかったぞ! 世の中には強い奴がいるもんだなぁ……分かった。明日までに何とか便宜を図ろう。その代わりいつか借りを返してもらうぞ?」
貴族とジェシカは、何かしらの約束を取り交わしたようだ。
俺はジェシカのダシにされたのか。
急にキスしてくるから何事かと思ったぞ。
ちなみに俺はジェシカのものではない。
「ちょっと! ジェシカ! 勝手に私のハーヴィに触らないで!」
レオトラが満面に血の色をみなぎらせて駆け寄ってくる。
せっかく落ち着かせるため大人しくさせておいたのに、またしても興奮がぶり返してしまった。
ちなみに俺はレオトラのものではない。
「今日1日はずっと私の物の約束でしょ!?
レオトラは、ジェシカから奪い取る形で俺の腕を引っ張る。
夜会の会場は、まだざわざわと戦闘の余韻を引きずり落ち着かない様子だ。
集まった賓客は俺達の所作に注目している。
レオトラは周囲の目に構う事なく俺を連れ出し会場を後にした。
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