15日目 スラムの女王

 昨日はジェシカの娼婦になるという発言を聞いて、俺は二の句が継げぬまま、ジェシカは寝てしまった。

 話を強制的に中断されて、質問をさせて貰えなかった。

 

 ジェシカも日中街を駆けずり回って情報収集に奔走しているらしく、疲れているらしい。

 2日そこらで文字を読めるようになるためには、尋常ではない体力を消費しているのだろう。

 俺は夕方まで寝ていたため、夜は中々寝られなかったが、次の日が早いと聞かされて、寝台に潜り込み目を閉じていたらいつの間にか寝てしまっていた。


 そして、朝ジェシカが目覚める物音に反応して、俺も目が覚めた。

 手早く準備を整えて2人揃って宿を出る。

 目指すスラム地区までは歩いて2時間ほどかかるらしく、ようやく俺は事の詳細について問うことが出来た。

「それで、娼婦になりたいとはどういうことなんだ? 何故スラムへ向かう必要がある?」

「あれ? 話してなかったっけ? ハーヴィにして貰う事は特にないんだけど……じゃあ一応流れだけ説明しておくね」

 ジェシカはそう前置きして、王都の仕組みから娼婦になるという判断をするまでの流れを話し始める。

 

「まず、私の今の目的は“貴族”と繋がりを持つことなの。この国のお偉いさんに便宜を図ってもらうと良いことが沢山あってね。でも、数日前にふらっと来たばかりの旅人には中々会ってくれないんだよね。そもそも、王都に住む一般人では、本当に限られた人しか面会できないの。じゃあ、どうやって会うかと考えた場合に、娼婦になって会うのが一番手っ取り早いんだよね」

 

 ジェシカは他にも商人として会う方法と、潜入して会う方法と、旅芸人として会う方法など複数案考えたらしいが、もっとも確実なのが娼婦だという。

 もっと良い方法があるような気もしたが、ジェシカが言うならそうなのだろう。


「ただし王都の法律では娼館を営むのは違法なの。昔性病が大流行した歴史があるらしくて、先代の王様が禁止したんだって。でも、人の性欲を全て法律で縛ることはできないから、非合法で運営している娼館がスラムにある。その娼館を営む主人が今日会う予定の人だよ」

「しかし、娼婦になった所で、お目当ての貴族がすぐ来るとは限らないんじゃないか? 何日もスラムの娼館で待ち続けるの無理だぞ。俺は明日狩人仲間と狩りに行く約束がある。いつまでも一緒にいられない」

「それは大丈夫! 王都の風俗の仕組みは、手紙で予約を入れて娼婦を自宅に派遣するの。派遣の道中、送迎の男とペアで移動することになる。貴族の家に行って事を済ませて、娼館に帰るのが一連の流れなの!」

 “楽園”で言う所のデリヘルだねと、ジェシカが補足する。

 顧客側から予約と時間指定が必要なので、不要な待機時間が生まれず、決められた時間だけ活動すれば済むようになっているらしい。

 

 この女神は、“砂の世界”の風俗文化にも精通し、利用しようとしているのか。

 ジェシカの手管に空恐ろしい物を感じた俺は、言葉が出ず黙ってしまった。


 歩いて2時間ほど経ち、聞いていたスラム地区にそろそろ入るはず。

 俺は周りを見渡してみるが、今迄歩いてきた街並みと大きく変わらない。

 ただ、天幕を構えた店は明らかに少なくなった。

 雑多な商品と思わしき物を地面に敷いた敷物の上に並べている、露天商のような店がちらほら見える。

 鼠や猫の種族の他に一目見ただけでは分からない人種が入り混じって見える。

 街中で多く見かけた蜥蜴の種族は見つからなかった。

「なんかスラムという割にあんまり変わらないな。境目もなかったし、普通に生活しているように見える」

「ぱっと見ではそう見えるけど、ここの人達は明確に違うんだよ。何が違うか分かる?」

 ジェシカが教え子に問題を解かせるようにして、俺に聞いてきた。

 

「何だろうか……? 蜥蜴の種族がいない? そういえば警邏の兵士も見なくなったな」

「それだけだと不正解だね。蜥蜴はこの国で一番力を持った種族で、貴族や王様も蜥蜴だからスラムに住む人は少ないらしいね。でもいない訳じゃないよ」

「降参だ。答えを教えてくれ」

 ジェシカが勿体付けた様子で答え合わせをする。

 

「正解は、“税金を納めていない”だよ。見た目だけでは分からないし難しかった? 税金を納めていないから、戸籍もないし、住所も不定。国の支援を受けられないし、公に商売を始める事も出来ない」

 

 スラムとは、主に王都に存在を認められない人達が集まる区域だ。

 俺達は旅人として、王都の滞在許可を持っている。

 ジェシカは許可証を使って図書館を利用しているし、俺は狩人組合に登録して王都の運営している施設の恩恵を受けている。

 しかしここの住人は、それらの恩恵を全く受け取ることが出来ない。

 医者に行くことも出来ないし、兵士などの公務員になることも出来ない。


 見た目では分からないが、不平等な扱いを受けた存在が追いやられた末に行きつく場所だとジェシカは言った。


 そんな場所で、非合法な娼館を営む主を頼って”貴族”と繋がりを得ることが出来るのか?

 ふと湧いた疑問をジェシカにぶつけてみる。

「風俗そのものが違法だからね……悪法だと思うけど、法律は法律だから。娼館がどんなに稼いでも納税することはできないし、需要があるから無くならないよ。今日行く場所は、最高級の店だから、むしろ顧客はお金持ちしかいない」


 そのまましばらく歩くと、周囲から目立つ一際大きい建屋が見えて来た。

 ジェシカ曰くここがそうだと。

 俺には集合住宅か、大きな事務所にしか見えなかった。

 狩人組合の建物よりよほど立派だ。


 扉を開けて中に入ると、女性が1人座っていた。

 受付なのか、褐色の肌と綺麗な黒髪を持ち、紫色の瞳をした綺麗な女性である。

 肉感的な肢体に体のラインを強調する様なシンプルなドレスを着ており、種族は分からない。


「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いします」

 座っていた女性は、俺達の様子を確認すると優雅な動作で立ち上がり、丁寧な言葉遣いで対応する。

 受付には、花の香りが漂っており、とても非合法な娼館とは思えない洗練された雰囲気を感じる。

「レオトラ様と面会の約束をしているジェシカと申します」

「ジェシカ様。お待ちしておりました。主人がお待ちですので、奥の部屋にご案内させて頂きます」

 娼館の2階に案内され、扉の前で受付の女性が部屋を3回ノックする。

 2階建ての建物は非常に珍しい。

 王都の街並みのほとんどが平屋だ。

 娼館は物凄く儲かっているのだろう。

 

「レオトラ様、ジェシカ様がお越しになりました。お通ししてもよろしいでしょうか」

 落ち着いた女性の声で、承諾の返事が聞こえる。

 ジェシカが部屋に入る前、受付の女性からボディチェックを受ける。

 特に武器を持ち歩いていないので、すんなりチェックを通る。

 一緒に入ろうとすると背負っていた槍を見咎められてしまった。

 俺は受付の女性に槍を預ける。槍が無くても戦いに支障はない。

 

 部屋の中には、豪華な木製の机に座ってこちらを臨む妖艶な美女がいる。

 一目見ただけだは、何の種族か分からない。

 その隣には、蜥蜴の種族の、おそらく女性が、直立不動で傍仕えしていた。

 俺と同じく護衛だろうか。

 

「いらっしゃい。“水売り”のジェシカ」

 美女は微笑みを浮かべて俺達を招き入れる。

「お会いできて光栄です。“スラムの女王”レオトラ様」

 ジェシカも同じく微笑みを浮かべて、感謝を述べる。

 

 俺には、お互いを欺きあう魔女同士の邂逅にしか見えなかった。

 レオトラと呼ばれる女性は、ただ美しいだけではなく形容しづらい雰囲気を纏っている。

 砂漠においては珍しい白い肌と、金髪碧眼。

 俺らと同じ“人間”に見える。

 “砂の世界”の種族はどこかしらに、動物の特徴を持っている事が多い。

 しかしレオトラにはそれが無かった。

 何の種族なんだろう?

 

「街で噂の“水売り”の美女が、私を訪ねたいとアポイントを入れてくるだなんて。用件は一体なんなのかしら?」

 レオトラが手に持った手紙でひらひらと煽いだ。

 ジェシカが事前に送ったものだろう。

 ジェシカは、字が分かるようになったと言っていたが、既に手紙を送ることも出来るようになっていたのか。

 

「早速ご面会の機会頂きまして有難う御座います。レオトラ様にお願いがあって参りました」

「私は水を買う予定は無いわ」

「今日は水を売りに来たのではありません。貴方の本業に関わるお話です。私を貴方様の娼婦にして頂けませんでしょうか?」

「……話が読めないわね。てっきり何かを売り込みに来たのかと思っていたわ。貴方お金に困っていると聞いていたもの」

 怪訝な顔をするレオトラ。

 王都に来て数日のジェシカの事を既に知っているようだった。

 調べたのか耳に入ってきたのか分からないが、女王と呼ばれるだけあって、情報に敏感なようだ。

 

「確かに先日までお金に困っておりました。ですが、今は解決致しました。私が王都へ来た本当の目的を果たすために今動いております。そのためにはレオトラ様の力が必要なんです」

「貴方は王都へ娼婦となるために来たの?」

「正しくはそうではありませんが、手段の一環として娼婦になるのが良いのです」

「まどろっこしい言い方は止めてくれない? 目的は何?」

 レオトラはジェシカの言葉に、苛ついたように苦言を呈す。

 

 おいおい、大丈夫か?

 

 ふと横に立つ蜥蜴の護衛を見ると、無表情のままジェシカを見つめていた。

 

「では、単刀直入に。私を娼婦として、貴方のお客様である貴族へと派遣して欲しいのです。私は貴族との知見を求めております」

「なるほど……馬鹿な事を考えるものね。貴族の愛妾にでもなるつもりかしら。それをすることによって私にはどんな利があるの?」

「レオトラ様は私に借りを作ることが出来ます」

「借りはどんな風に返してくれるの?」

「貴方様の望む願いを1つ叶えて差し上げます」

「へぇ……大きく出たわね」

 レオトラは顎に手をあて思考する。

 対価として何を要求するか考え込んでいるようだ。

 ジェシカは微笑みを浮かべた表情のままで、何を考えているか全く読めない。

 

「最近まで無一文だった貴方に、何が出来るか全く分からないわ」

「対価にお金を要求されるようでしたら、300万デューンならすぐお支払いすることが出来ます。それとも力を求められるようでしたら、“世界最強の男”を1日お貸しすることが出来ます」

 ジェシカが交渉の手札を切る。

 俺の戦果が全て交渉材料に使われてしまった。

 まだ狩人組合からお金貰ってないからすぐには払えないぞ。

 大丈夫か?

 

「ふぅん。ゼロから数日で300万デューンを稼いだのだとしたら大した手腕ね。でもその程度のお金だったらすぐ手に入る。お金より”最強の男”の方に興味があるわ」

 そこで初めてレオトラの目線が俺に向く。

 妖艶な美女がねっとりとした視線で俺を上から下まで舐めるように見た。

 

 

「数々の力自慢の男達を見て来たけど、この子に勝てる男は今までいなかったわ。私が見つけた最強の護衛なの。貴方はこの子よりも強いのかしら?」

 レオトラは横にいる蜥蜴の女性を俺達に見せつけた。

 護衛の強さに自信を持っている。

 

 俺にはこの後の展開が何となく読めた。

 

「勿論。彼はかの戦争の功労者“戦姫”マミラリアが認めた男です。入り口で預けた槍はマミラリアから譲り受けた彼女自身の槍です」

 ジェシカは舌なめずりするように獰猛な笑みを浮かべ、俺のことを紹介する。

 罠に掛かった獲物を見る狩人のようだ。

 

「貴方が望むなら彼を1日お貸しします。扱ってもらって結構です」

 ジェシカはしれっと無条件で俺の1日を提示した。

 勝手に交渉材料にしないで欲しいが、口を挟むような雰囲気でもない。

 空気を読んで黙っておくことにした。


「この男が本物ならね」

「試してみますか?」

 レオトラの横に立っていた蜥蜴の女性が一歩前に出て来た。

 俺と同じく武器は持っていない。

 護衛は阿吽の呼吸で、主人の前に立ち戦闘準備の構えを取る。

 

 俺はジェシカの方を見ると、こちらに向かって小さく頷いていた。

 

 やはりこうなったか。

 レオトラが護衛の話をし始めた時から戦わされる予感はしていた。

 

 

「分かった。殺しさえしなければ良いんだろ?」

「場所狭いから暴れないでね」


 レオトラの部屋は、俺ら2人が立ちあうことが出来るくらい十分な広さがある。

 机やオイルランプなどの配置に気を付ければ、相撲位なら取れそうだ。

 レオトラは部屋が荒れる事も気にしないのか、俺達の立ち合いの開始を楽しげに見守っている。

 

 マミラリアと言い、この世界の人は力試しが好きだな。


 

 

 蜥蜴の護衛の女性は、特に語ることもなくあっさりと床に沈んだ。

 俺に向かって殴り掛かって来た所を掌で受け止めて、お返しに拳を腹に打ち込んだらお終いだ。

 武器もなく、アリジゴク程の力も早さもない普通の人間だ。

 それでは俺には勝てない。

 上手く手加減したので死んではいないだろう。

 拳での力加減はお手の物だ。

 

「貴方の護衛では弱過ぎて、彼の本当の力をお見せ出来ないのが残念です」

 

 ジェシカが勝ち誇るようにして、レオトラに告げる。

 実に性格の悪そうな顔をしている。

 一方レオトラは、護衛が負けた事に腹を立てる様子もなく、冷静に事の顛末を見届けた。


「いいわ。貴方の護衛1日で吞んであげる。話を詰めましょう」

 恐ろしい程の切り替えの早さで、レオトラとジェシカは話の詳細を詰めていった。

 まだ床で伸びている護衛に同情してしまう。

 お前も厳しい主人に仕えてしまったな。


 派遣される貴族の希望を伝えて、予約が入ったらジェシカに連絡が来るような段取りを組んだ。

 週に1~2回の頻度で、予約の手紙が届くので、近いうちに派遣されることになりそうだ。

 ジェシカは自分の身が安全なまま貴族と交渉できるように、本物の娼婦も連れて行くつもりらしい。

 ジェシカの対人折衝能力なら問題なく切り抜けられるだろうが、危険な橋を渡ることには変わりない。

 

 何がここまでジェシカを駆り立てるのだろうか。“楽園”の使命はそこまで重要なものなのか。

 


 レオトラと話し合いを交わして、何やら契約書を書いていた。

 相変わらず蜥蜴の女性は失神していて、俺達が打ち合わせを終え部屋を出るまで起き上がることはなかった。


 レオトラは笑みを浮かべて手を振りながらお見送りしてくれた。

 まるで純粋に友を送り出す友人のようだ。


 

「この世界の人達は、力こそ正義の価値観で生きてるからね」

 ジェシカが帰り道そう言った。

 砂漠の村の戦士に始まり、狩人や、娼婦の女王に至るまで、皆強い奴が好きらしい。

 

 ハーヴィの事を気に入ったんじゃない? と言うジェシカの顔は、お気に入りの玩具を見せびらかす子供の様に無邪気だった。

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