1日目 夜を過ごす

 ジェシカは、大きなバックパックから小型に畳まれた天幕を取り出し設営を始めた。

 

 両手で抱えられる程に折りたたまれていた天幕が、広げれば人一人分ゆうに体を伸ばせそうだ。

 

 天幕のは非常に薄い布が張られていて、材質は見ただけではわからない。

 夜の闇と砂漠の砂に馴染むためか周囲の砂と同系色だ。

 

 目を凝らしてみても透けて見えず人目を遮ることができる。

 天幕も女神の魔法で作られたものなのであろうか。

 

「俺も手伝おう。俺の分の天幕はカバンの中にあるのか?」

「残念ながら貴方の分はないの。貴方はどこでも寝られるでしょ」

「では俺は砂の上で寝なければならないのか?」

 

 酷い話だ。

 

「敷物ならあるから使っていいよ。貴方はテントいらないでしょ。日焼けも砂も気にしなくていいんだし。じゃあ結界を張るから手伝ってね」

 ジェシカから円輪の付いた杭のようなものを8本、小指程の太さの縄を1巻手渡たされた。

 

「これを天幕を覆うように出来る限り広い範囲で砂に刺して周って欲しいなー。杭を刺したら杭の上に縄を通して結んで」

「この杭にはどんな効果があるんだ?」

「もし私たちが寝ている最中に縄に引っかかる生き物がいたら、凄く大きな音が鳴るの」

「大きい音が鳴ると?」

「私たちが飛び起きる事が出来る。音に驚いた臆病な生き物なら逃げていくかもね」

 

「追い払ってくれる訳じゃないのか……」

 

「贅沢言わないでよ! 雷を流したり、毒を流したりする結界も出来ない訳じゃないの! ただ大掛かりな仕掛けが必要になるから持ってこなかっただけ!」

 ここまで小型で汎用性高い結界を作るのだって凄いんだから!

 ジェシカはグチグチ言いながら拗ねてしまった。

 

 大きな音がどの程度か分からないが、無いよりは安心である。


 天幕の設営と、結界の設置の作業が完了したころにはすっかり日が落ちていた。

 雲1つない空には、零れ落ちんばかりの星々が煌めいている。

 周囲には広大な砂漠が広がっていて、どこまでも星空が広がっている。

 星と砂の境界線まで見渡しても何もない。砂と岩と空と星だけ。

 

 俺とジェシカのような生物の方が異物であると感じてしまう。


 太陽が沈んでから、顕著に体が重く感じる。

 日中は気付かなかったが俺の体はそれなりに重量があり、雑務をこなすだけでも億劫だ。

 

 太陽の加護が無くなって、自分本来の体力で過ごすとこんな感じなのか。

 生前の記憶がないので分からないが、鉛のように体が重く感じるのは普通なのか?

 それとも覚醒直後で体が慣れていないだけ?

 すっかり加護に体を慣らされてしまったのかもしれない。

 

 ふとジェシカの方を見ると地面に小石のような物を配置していた。

 

「何をしているんだ?」

「これはね、“楽園”に向けて祈りを届ける準備をしているんだよ」

「“楽園”?」

「“楽園”っていうのは私達がいた世界のこと。危険な生き物もいなくて食べるものにも困らない理想的な世界なの。だから“楽園”と呼ばれているんだ」

 

「なぜ祈りを届ける必要がある?」

「そういう約束だから。私はこの“砂の世界”の調査を命じられて来ているの。毎晩その日あった出来事や見つけた物を祈りを通して報告しなければならないの」

 

 ジェシカは、自身の周りを取り囲むように6個の光る小石を置き、中央で祈りを捧げた。

 両膝を地面につき、胸の前で手を組み目を閉じて祈る姿は、女神というよりは敬虔な信徒のようだ。

 許しを乞う罪人のようにも見える。

 

 小声で何か囁いているが、何を言っているか聞き取れない。


 小石は薄っすらと光り、点滅している。

 ジェシカの祈りに呼応しているようだった。

 しばらくの間一心に祈り続け、小石の光が消えると立ち上がり片づけた。

 祈りの時間は終わったようだ。

 

「祈りは“楽園”に通じたか?」

「多分ね……大丈夫だと思う。初日だから私も上手くできたか確証は持てないけど」

「楽園の向こうの神々と交信しているんだろ? 何か言っていたか?」

「“楽園”と“砂の世界”は時間の流れる早さが違うから会話が出来る訳じゃないんだ。こちらから一方的にあった出来事を伝えているだけ。明日からは向こうが伝えたいことは伝言のように残っているかもね」

「そういうもんなのか」

「そうだね。毎日やらなきゃいけないけど、お話出来る訳じゃないから……」

 

 そう呟くジェシカは少し寂しそうな横顔をしていた。

 こんな砂漠しかない異世界に落とされて元の自分を知っているものがいない。

 いるのは、死者であり記憶を失った俺だけ。

 そう考えるとジェシカの任じられた使命は、過酷で孤独だ。


「さて、夜のお勤めも終わったし、明日からは歩いて砂漠を渡らなきゃいけないから大変だよ! あんまり夜更かししてられないね!」

「俺は日が落ちてから体が重く感じる。もう寝るべきだろうか?」

「無理したら続かないよね。ハーヴィは昼間は無敵でも、夜は常人だよ。ちなみに転生して1日経った気分はどう?」

「うーん……記憶がないからどの状態が万全なのか分からない。一番強いのは困惑だな。次いで体の重さを感じる。これが不調の合図なのか? だが吐き気や倦怠感はない」

「なら大丈夫そうだね! 生まれ変わってまだ1日なんだから、これからもっと元気になっていくと思うよ!」


 ジェシカは俺の体調を気遣ったようだが、深刻さはない。

 良いも何も俺には判断がつかないので、こういうものだと割り切るしかないか。


 ジェシカは天幕の中に引っ込んでしまった。

 もう寝るつもりだろう。

 俺は、砂の上に敷物が敷かれただけの簡素な寝床の上に腰を下ろした。


 考えてもしょうがない。

 何も分からないから。

 ふと自分の体を眺めてみる。

 ジェシカと比べて太長い手足、腕・肩・胸・腹・尻・太もも・足と満遍なく発達した筋肉がついている。


 鏡がないので自分の顔は確認できない。

 俺は死ぬ前もこのような体だったのだろうか。


 ジェシカは大判のマントを身に纏っているが、俺は長袖の上着と下着1枚ずつだ。

 

 砂漠を渡るにしては軽装ではないだろうか?

 

 砂漠の夜は気温が低くなり、肌で感じる空気が少し冷たい。

 ジェシカに比べて丈夫な体になったから、服も軽装で問題ないのか?

 問題視してみた物の、自分自身は外気に対して特に不快に感じることもない。

 

 夜の砂漠は、昼よりも穏やかな風が吹いている。

 風の加護の力を実感したことはないが、少しは俺に力を与えてくれているのか。

 

 風の加護の力と何をもたらしてくれているのか?

 無風になってしまったら、今以上に体は重く感じるのか?


 砂交じりの風に身を晒しながら体を横たえて考える。

 疑問は尽きない。


 頭の中には疑問が浮かんでは消えを繰り返していく。

 分からないことが多く考えるのを止めた。

 

 気付いたら眠りに落ちていた。

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