第13話
「シウバが飲んだ薬の粉末はどこだ?」
慌ただしく行きかう学者の一人を呼び止め、アタラムは彼らが使っている研究室に連れて行ってもらった。
研究室には今朝シウバが服用したとされる粉末の残りのほか、ヴェロニカが王宮に来た初日に渡したと思しき包みが持ち込まれている。調合されていた薬の成分が、黄色い袋とすみれ色の袋とで明らかに違うのです、と学者の一人が語った。
「こちらの袋にだけ毒草が含まれているのです。黄色い方も一つ残らず調べましたが、なんの問題もありませんでした」
「単純に調合を間違えただけという可能性は」
「どうでしょう。ゼクスト家は薬師なのですから、どれが毒であるか分からないはずがないでしょう。我々は意図的に混ぜたと考えておりますが」
考えているというより、確信ですねと学者は鼻を鳴らす。優秀な薬師といえ、所詮は魔術師だと。
シウバへの反逆罪でヴェロニカが捕えられたことは、すぐさま王宮中に知れ渡った。当然アタラムの耳にも届いている。
彼女がそんなことをするはずがない。動機だって分からない。なにかの間違いだとすぐに国王である父に訴えたが、どういう訳か聞く耳を持ってくれなかった。目の焦点が合わず、呂律もうまく回っていない。異変を感じながらヴェロニカとの面会を求めたが、許可できないと部屋を追い出されてしまった。
「今もシウバさまのそばには、ゼクスト家の魔術師がついているでしょう。全く腹立たしい。我々だけでなく医師も入室を許可されなかったのですよ」
「俺もだ。なんでも神力を注ぐのに集中したいんだそうだ。従者も入れずに廊下で困っていたよ」
「陛下はそれを許可なさるなど、一体なにをお考えなのか……」
やれやれと学者がためいきをつく。ついでに父の異変も話してみたが、彼らや医師は「シウバが再び毒を盛られたことで気を揉んでおられるのだろう」と考えているようだった。
ひとまず今はヴェロニカの無実を証明しなければ。アタラムは手がかりを見つけるため、研究室を訪れたのだった。
「使用された毒草は判明しているのか」
「まだです。王宮の薬草園では毒草を栽培していませんし、恐らく持ち込んだのだろうと……ああ、ちょうどいいところに」
見習いらしき若者が革製のカバンを持って駆け込んでくる。肩から提げられるそれは、長年使われてきたのか所々が剥げている。
「これは?」
「虜囚ヴェロニカのカバンですよ。証拠の毒草が入っていると思いましてね」
学者が一つ一つ中身を取り出していく。次から次に出てくるのは紙とペンがほとんどで、必要最低限のものだけを持ってきたことがうかがえた。それらしきものが出てこないなか、最後に取りだされたのは白い袋だった。振ってみるとカサカサと音がする。袋をひも解き、学者は「やはり」と唇を曲げた。
「毒草か?」
「ええ。確定です……が、おかしいですね」
机の上に置かれた毒草は何本か束になり、根元でくくられている。どの葉も摘みたてのように青々として瑞々しい。対して薬に混ぜられていた粉末は乾燥した薬草を砕いたものだ。
薬草園に生えていないというなら、近場で見つけてきたのだろうか。
けれどヴェロニカがこれまでに王宮を出た様子はない。獣の件で叔父たちの補佐のために工房にこもっていたし、それまでも主に図書館で調べ物をしていた。付き添っていたのは他でもない自分である。仮に初日から持ち込んでいたとすれば、干からびていなければおかしいだろう。
「分かりません。種を持ち込んでいたのであれば、薬草園に紛れ込ませて育てることもあり得ます」
「だが彼女たちが来て一週間程度しか経っていない。薬であれ毒であれ、草というのは短期間でここまで成長するものなのか」
「時季や水の量もありますから、なんとも言えませんが不可能ではない。なにせ魔術師は神力を使うでしょう。古くは『万能の力』とも呼ばれたそれを使えば、簡単にやってのけるに違いありません」
しかしヴェロニカに薬草園を案内したのは一昨日だ。最初期から紛れ込ませるのは難しい。でしたら工房のそばで、雑草に見せかけて栽培していたのかも知れませんねと学者は譲らない。念のため薬草園も調べると言っているが、なんとしても彼女の仕業に仕立てたいように見えた。いや、犯人だと決めてかかっているというべきか。
――彼女が魔術師だからなのか。
どれだけ時代を経ても、薬師として実力を築いていても、魔術師の肩書が表に出た途端に風当たりが変わる。いつまで経っても認められない。実際、学者も何度か魔術師と口にしているが、侮蔑的な色合いが拭いきれていない。
――昔の俺と同じ状況だ。
なにをしても疑いや蔑みの眼差しがからみつき、潰されてしまう。過去にシウバが倒れた時も、弟に見舞い品を持って行こうとしただけなのに疑われ、正攻法で部屋に近づくことは許されなかった。
ヴェロニカは今頃、牢の中で尋問を受けているだろう。やっていないと訴えても、嘘をつくなと厳しく追及されているはずだ。
早く助けなければ。焦るあまり思考がまとまらない。落ち着けと自分を諌め、深呼吸を繰り返す。いくらか冷静になったところで、ふと疑問を覚えた。
葉の表面は柔らかな毛に覆われ、手触りはなめらかだ。色もありふれた緑色で、だからこそ知識がなければ毒と分からず口にしてしまうだろう。
これと同じものを、自分はずいぶん前に掴んだ記憶がある。それと同時に、この草はなにかと訊ねた覚えもあった。
――この毒草は。
「間違っていたらすまない。これは……ジギタリスじゃないか?」
「ええ、そのようです」
「――――違う」
「はい?」
「ヴェロニカじゃない!」
学者たちが一斉に目を丸くする。アタラムが突然声を荒げたことに驚いたのだ。
色のない図鑑や、地面に生えているものを見たことが多かったせいで気付くのが遅れてしまった。症状の度合いが軽ければ下痢や嘔吐、頭痛で済むが、重症化すれば心臓マヒを起こす危険な毒草だ。
事典で得た知識だが、それ以前に「食べたら死んじゃうかもしれない」と教えてくれた人がいる。
他でもないヴェロニカだ。
「彼女がこれを間違えるはずがない」自分の中で、予想が確信に変わる。「何者かがヴェロニカをはめたんだ。そうとしか思えない」
「し、しかし現に彼女のカバンからジギタリスが……」
「鍵をかけられる厳重なものではないんだ。ヴェロニカが知らないうちに仕込ませるのは難しくないだろう。摘みたてのように新鮮なのも違和感がある。少し借りていく!」
「あっ、アタラムさま!」
喋っている暇はない。すみれ色の袋とジギタリスの束、ヴェロニカのカバンを手に、アタラムは研究室を飛び出した。あとから何人か追いかけてくる気配があったが、こちらの脚が圧倒的に速かった。
彼女が捕えられている地下牢の入り口には見張りの衛兵が立っていることだろう。彼らはきっと、相手が誰であろうと決して立ち入らせるなと言われているはずだ。
それならば。
――無理やり入るだけのことだ。
アタラムの口元に、毒々しい笑みが浮かんだ。
うつろな視線をさまよわせながら、シウバはベッドの上で唇を噛みしめた。
天蓋の内側には神話の一部が描かれている。仲違いしてしまった光の神と闇の神が再会し、お互いの非を認めて関係を修復する場面だ。雄々しく暁光をまとう男神が光の神で、濃艶な月光を漂わせる女神が闇の神。二柱の背景にはそれぞれの化身である太陽と月が雄大に描かれ、様々な生物が仲直りを祝福している。
慣れてしまって、普段ならなんとも思わない一場面だ。けれど今は、微笑みを浮かべあう神々が無性に腹立たしくて仕方がない。
おかしい。毒自体は神力が作用して消えたはずなのに、呼吸のたびに目の前がかすむ息苦しさと、衝動的になにもかもを壊したくなるようなわけの分からない怒りが胸にわだかまり続けている。
「くそっ……」
「お加減はいかがですか、シウバさま」
かたわらの声に「最悪だよ」と吐き捨てる。
「なんでナクシャなんだよ。おっさんに手を握られる趣味はないんだけど」
「申し訳ありません。いましばらく我慢していただければと」
いつもなら野に咲く花に似た素朴で愛らしい少女が座っているそこに、今日は髭面のむさくるしい男が腰かけて、シウバの手を伝って神力を注いでいる。なにを考えているのか分からない気持ちの悪い笑みだ。顔を見ないように目を閉じると、今度は自分の中で黒い衝動が渦巻いているのに意識を向けることになって、結局まぶたを上げるしかなかった。
ナクシャのがさついた手ではなく、ヴェロニカの滑らかな手が恋しい。そばにきて笑いかけてほしい。ちょっと呆れた顔をしながらでいいから頭を撫でてほしい。
どうしてヴェラが来てくれないんだよ。不機嫌を隠すこともなく呟くと、
「ご存知ないのですか。ヴェロニカはあなたさまに対する反逆罪で捕らわれております」
「……は?」
「シウバさまが今朝お飲みになられた薬に毒が混ぜられていたことはご存知ですね? それを行ったのがヴェロニカだと疑われているのですよ」
「なん、で、ヴェラが、僕に」
手から始まり、次第に全身が震えてくる。困惑ではなく、怒りのせいで。
「今は牢で取り調べが行われている頃でしょう。なぜ凶行に及んだか、じきに明らかになります」
「僕をヴェラのところに連れて行け」
体が鉛のように重い。関節が軋んで痛みもあるが、構うことなく上体を起こす。シウバは荒い息を繰り返し、もう一度連れて行けと命令した。だがナクシャは首を横に振った。
「まだ注ぎ終わっていません」
「僕に逆らうのか」
「滅相もない。ただシウバさまには万全の状態になっていただきたいだけです」
どくりと〈核〉が跳ねた気がした。ナクシャの手を振り切って飛び出したいのに、意思に反して体はゆっくりとベッドに倒れていく。どうしてだ。いいから手を放せと叫びたいのに、実際に口からこぼれるのは真逆の身を委ねる言葉だ。
自分が自分で無くなるような心地だ。頭では混乱しきっているのに、まあいいかと受け入れている自分もいる。
――だって、その方が楽だから。
つい最近も似たようなことがあった。ヴェロニカとキサリ、アタラムが部屋に訪ねてきたあの日、シウバは急に頭に血が上って、感情の赴くまま、手当たり次第に調度品を叩きつけたりカーテンを引き裂いたり、とにかく暴れ回った。
どうして僕はこんなことをしているのかと煩悶したが、同時に楽しかった。
――楽しい? 虚しかったんじゃないのか?
なにがあったのかと心配してくれたヴェロニカたちにはそう言った。けれど本当は、楽しくてたまらなかったのでは?
「シウバさま。一つお尋ねしたいのですが」
「なに……」
「ヴェロニカにどのような感情を抱いていますか?」
「はあ?」
急になにを聞いてくるんだ。気を紛らわせようとするナクシャなりの世間話なのか。
「どうって……」
なにも想っていないわけではない。むしろ他のなによりも、誰よりも執着していると言っていい。自分だけに笑いかけてほしい。自分だけに話しかけてほしい。アタラムなんかと一緒にいないで、僕から離れないでほしい。
考えたことを口に出す寸前で、なんで答えなきゃいけないのかとうんざりした。答えてやるものかと口を噤んだ。
はずだった。
「…………憎い」
ひどくひび割れた声色をきっかけに、喉の奥から意に反した憎悪の言葉が次々に吐き出されていく。
違う。そんなことを言いたいんじゃない。目を見開き、僕の意思じゃないと訴えたくて何度も首を振りながらナクシャを見る。その間も口は蔑みと怨嗟をつむぎ続ける。
「可哀そうに、シウバさま」
ナクシャの手がシウバの頬を撫でる。そこからなにかが流れ込んでくる感覚がした。
神力ではない。禍々しく、得体の知れない力だ。
「抑えることはありません。身を委ねればいい」
声にならない悲鳴がほとばしる。まるで醜悪な断末魔だ。それを真っ向から浴びながら、ナクシャは笑っていた。
慄然とするような、歪んだ笑みだった。
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