第12話

 冷たい石の床に敷かれているものはない。窓もなく、通路に置かれた燭台のロウソクだけが心細い明かりを牢全体に放っている。

 虜囚を捕えておくための牢は王宮の地下にあるらしかった。目隠しをされて連れて来られたために具体的な位置は分からないが、両脇を支えられながら階段を下った感覚がある。ヴェロニカはイモムシのように這いつくばりながら、なんとか手足を縛る縄をほどけないかと奮闘していた。

「ダメ、全然抜けない……」

「大変だわ、手首に血が滲んでる。これ以上動かしたらダメよ!」

 両手は腰の後ろで縛られている。ひりひりするなとは思っていたが、まさか皮がむけているとは。

 ヴェロニカを床に放置してから、兵士たちは消えてしまった。尋問に長けた人物でも呼びに行ったのだろうか。縄から抜けるのを諦め、ヴェロニカは壁を背にして座った。起き上がるのに時間がかかって無駄に疲れた。

 牢は細長い通路に面して四つ並んでおり、人が二人寝転べる程度の広さしかないので、窮屈さと暗さに閉塞感を覚える。おまけになんとも言えない臭さが充満しており、においは各牢の隅にあいた穴から漂ってきていた。きっと排泄用の穴だろう。

「アタシにちゃんとした実体があれば縄なんてかんたんに解いてあげられるのに」

 ごめんなさい、とキサリは悔しそうに唇を噛む。

「こんな体じゃなにも出来ない。自分が情けなくて仕方ないわ」

「気にしないで。いてくれるだけでありがたいもの。こんなところに一人でいたら、今ごろ訳が分からなすぎて泣きじゃくってる」

 これは本音だ。キサリがいてくれるから、寂しく感じずにすむ。自分にしか見えない、特別な味方がいると思える。彼がいなければ、ヴェロニカは手首に縄を駆けられた時点で絶望して、気力を失っていたに違いない。

 ヴェロニカが笑いかけると、キサリはようやく微笑み返してくれた。

「さっきの兵士たち、シウバさまに対する反逆罪の疑いって言ってたけれど……」

「シウバさまは毎朝薬を飲んでるでしょ? それに毒が混じっていたってことだと思うけど」

 でもと唸ったヴェロニカの表情が曇る。

「今日の朝に飲んだっていう薬の袋、兵士が出したでしょ。袋はすみれ色だった。おかしいと思わない?」

「……確かにそうだわ。お渡ししていた薬の袋って、黄色だったわよね?」

「ええ。すみれ色は、私が練習で使っていた袋よ。同じ色で包んで、万が一間違えたらいけないからって、全く別の色を使ったんだもの」

 当然シウバの部屋には持ち込んでいないし、王宮に来る前に包みの中を確認した時にはもちろん紛れ込んでいなかった。そもそも練習を始めたのは、王宮に来てからだ。

「それにどうして、あの人たちは私があの色の袋を使ってたって知ってるの?」

「袋にはサインをしろって言っただろ? 加えて俺も証言したからな」

 コツコツと乾いた足音と共に声が聞こえた。入り口と思しき場所から黒い影が伸び、だんだん近づいてくる。

 聞き覚えのある――いや、聞き馴染んだ声だった。ヴェロニカたちの前に現れたのは、

「叔父さま……!」

「ナクシャ!」

「ヴェロニカ、それに多分、キサリもいるのかな?」

 ナクシャは牢の前にしゃがみ込み、心苦しそうに表情を歪めた。

「可哀そうに、こんな冷たいところに入れられて。乱暴はされていないな?」

「ええ。でも、叔父さま……」

 ヴェロニカは尻を動かしてなんとかナクシャに近づいた。連日放置されっぱなしだった髭は整えられ、衣服も清潔なものに変わっている。

 証言したから――ナクシャは確かにそう言った。どういうことだ。問うより先にナクシャが口を開く。

「調査の進展を報告しに、今日は朝から陛下のところへ行っていたんだ。その途中でシウバさまの容態がおかしいと耳にしてね。急いで駆けつけたら、殿下は血を吐きながらもがき苦しんでいた」

「そんなっ――!」

「神力が流れてるから死にはしなかった。けど衰弱はひどかった。なにが原因か調べていたら、机の上にこれがあったんだ」

 ナクシャが衣服のポケットから取り出したのは、兵士が見せてきたのと同じすみれ色の布だ。

「すぐにヴェロニカが練習で使っていた布だと分かったよ。それを使うように指示したのは俺だしね。布にはまだ粉末が残っていたから、そっちは学者たちが調べた」

「そうしたら毒草が混じっていたと分かったのね?」

「でも私は混ぜてなんかいないし、そもそもシウバさまの部屋に持っていってもいない!」

「俺だってなにかの間違いだと訴えた」だけど、とナクシャは力なく首を振る。「ヴェロニカは昨日、シウバさまの部屋に行っただろう? その時に間違えて持ち込んで、置き忘れていった可能性もなくはない。レティシアの時の件もある」

 母が寝込んだ時に薬草を調合して、その中に毒草が混じっていた件のことだ。いうなれば前科がある。自分では間違えていないと思っていても、あの時のようにうっかり見極め損ねて、毒草を混ぜてしまったかも知れない。

「でもっ!」ヴェロニカは腹の底から声を張り上げた。薄暗い牢と通路に悲痛な叫びが反響する。「シウバさまの部屋には持ち込んでない! 絶対に!」

「もうすぐ本格的な取り調べが始まる。俺は多分、もうここには来られない。今だけ特別に通してもらえたんだ」

 面会の終了時間を告げていると思しき音が響く。鉄の扉を力任せに叩いているのだろう。ひどく不快でやかましい音だった。ナクシャはため息をつき、「じゃあな」とヴェロニカの頭を撫でて立ち上がった。

「少しでも罪が軽くなるよう、俺も訴えてみるよ」

「え……」

 エストレージャ王国の尋問は厳しいと有名だ。決して折れるなと言い残し、ナクシャは去っていった。

 扉が閉まり、重そうな鍵をかける音が聞こえる。ヴェロニカは力なく床に寝そべった。

「叔父さま……『罪が軽くなるよう訴える』って……」

 無実だと抗言するのではなく、だ。つまりナクシャもヴェロニカを疑っている。見放されたような心地に、力強く唇を噛む。

「他の誰よりもヴェラの潔白を訴えなきゃいけないはずよ。なのに、どうして」

「分からない。けど、分かった。私自身が声を上げなきゃいけないって」

 どんなことを聞かれ、なにをされるのかは分からないが、自分に出来るのはただ無実を訴えることだけだ。幸い調合にどの薬草を使ったのかは覚えている。改めて頭の中で確認してみたが、毒草と言えるものはなかった。

 材料は薬草園から調達してきたものだが、どれもナクシャに言いつけられた薬草だし、母の時と違ってキサリにも助言してもらった。ヴェロニカだけならともかく、キサリまで毒草を見間違うはずがない。仮にヴェロニカが誤っていたとしても、キサリが気付いて注意してくれる。

「量を間違えたってことも無い、はず……」

「アタシがそばで見てたもの。間違えてなんかなかったって証明できるわ」

「でもキサリは私とシウバさまにしか見えないし、声は聞こえないし、証明しようがない」

「ああっ、もう! ヴェラを守るために残ったってのに、アタシって本当に情けない! ナクシャだって、なんなの!」

 ぐしゃぐしゃとキサリは髪をかきむしる。よほど悔しいのか、壁まで殴り始めた。透けてしまうので音はしないし、彼も痛みは感じないはずだが、あまりにも繰り返し殴り続けるのでさすがに止めた。

「見てるこっちが痛くなってくるから! キサリ、お願いだから止めて!」

「……ごめんなさい。取り乱したわ」

 二人は向かい合って座り、ひとまずこれからのことを考えた。

 取り調べがいつ始まるかは分からない。同じゼクスト家であるナクシャが捕えられていないということは、大昔の魔術師たちのように一族全体が疑われているわけではない証であり、あくまでもヴェロニカ個人の企みと見なされていると考えて良さそうだ。シウバの容態も気になる。彼の様子ならキサリが見に行けないこともないし、行ってくれないかと提案したが、断固拒否された。

「アタシが離れてる間に取り調べが始まって、ひどいことをされたらどうするの」

「でも――言い方は悪くなるけど――いたってなにもできないじゃない。だったらシウバさまの調子を見てみて、それを教えてくれた方がいい」

「分かってるけど……」

 よほどヴェロニカから離れたくないらしい。うつむいたキサリの双眸から大粒の涙がこぼれ落ちる。しずくは床に達する前に、幻のように儚く消えていく。

「大丈夫」少しでも安心させたくて、ヴェロニカは気丈に笑ってみせた。「私のことなら心配しないで。脅されようと鞭うたれようと、やってないものはやってないんだから。絶対に折れたりしない。今はとにかく外でなにが起こってるのか知っておきたいの」

 いつもは自分が励まされる側だ。普段と違う感覚にむずがゆくなる。

 じっと考えるようにキサリはうつむき続けている。膝の上に乗せた拳に力が入っているのが分かった。

「……分かった」ようやく決心がついたらしい。キサリの表情はもう憂えていなかった。「辛くなったら大声でアタシを呼びなさい。どこにいてもすぐに戻ってくるから」

「お願いね」

「任せておきなさい」

 ヴェロニカの体が優しい風に包まれる。キサリが抱きしめてくれたのだ。彼は小さく手を振り、牢の天井に吸い込まれるようにして消えた。普段はヴェロニカにあわせて歩いているが、実体のないキサリは浮かぶことが出来る。鳥みたく空を飛んで移動することも可能だ。

 ――今知りたいのは……。

 一人になった牢の中で、ヴェロニカは努めて冷静に考えた。

 なぜ持ち込んでいないはずの薬がシウバの部屋にあったのか。そしてなぜシウバはそれを飲んだのか。不審に思わなかったのだろうか。――彼はヴェロニカが調合したものを望んでいた。サインを見てヴェロニカが作ったものだと思い、服用した可能性もなくはない。神力で回復したものの衰弱していたということは、それなりに強力な毒草が混じっていたとみていいだろう。

 かたかたと指先が震える。キサリの前では泰然と振る舞ったが、本音を言えば一人になった瞬間から不安で仕方がなかった。

 でも、まだ辛くはない。自分を奮い立たせるために笑うだけの余裕はある。

 考えているうちに、扉が開く音と複数人の足音がした。焦らすように、ひどくゆっくりと近づいてくる。

 これから尋問が始まるのだ。絶対に折れるものか。ヴェロニカの瞳に、力強い炎が宿った。

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