第11話

 翌朝、ヴェロニカは檻の中で動き回るウサギを眺め、次いでその下に散らばる砂を見つめた。

 ウサギの額に、角はもうない。

 角だったものは今、ヴェロニカが神力を注いだことで壊れ、砂と化して崩れ去っていた。

 シカやイノシシ、キツネには檻越しでも近づくのは難しいが、ウサギならなんとかなるだろうと考えたのが就寝前だ。獣を殺せば必然的に誰かが一人犠牲になるのだから、簡単に死体が出るわけでもない。でも角は調べたいし、と悩んで、体当たりされたところで大した怪我はしないだろうと判断し、さっそくウサギの角に神力を注いでみたのだ。

 結果、

「やっぱり角は吸収器官みたい。影を吸収しなくなったら、ウサギも元に戻った」

「角が無くなった途端に倒れるんだもの。死んじゃったのかと思ったけど、良かったわね。元気に葉っぱ食べてるし」

「ってことは、角さえなくせば動物たちはみんな元に戻るってこと、よね? 多分」

 今のところ「神力を注いだら壊れる」としか分かっていないが、仮に折るだけならどうなのか。完全な角と違って不完全なそれなら、影の吸収量が減るかも知れないし、暴れ回っている獣たちの動きも少しは抑えられるのではないか。崩壊前の角はかなり強靭なので、折るにもそれなりの時間がかかりそうだが。

 一匹だけでは何とも言えない。ヴェロニカは他のウサギにも同様に神力を注いだが、どの個体も元に戻った。

「角が消えたら元に戻る。つまり幻獣と似て非なるものじゃなくなった……」

 ヴェロニカは角だったものの欠片を摘まんだ。力を加えるとボロボロに崩れ、息を吹きかけると簡単に手のひらから舞った。どこからどう見ても石、あるいは砂だ。

「なんだか壊れた〈核〉みたいねえ」

「え?」

「うーんと昔なんだけど、アタシ、幻獣を見たことがあるのよ。悪さをして処分されることになった子でね、〈核〉を抉りぬいて叩き壊してたんだけど、幻獣も〈核〉も、石みたいになってバラバラに崩れ落ちたのよ」

 そもそも、とキサリはヴェロニカに問いかけてくる。

「ヴェラは〈核〉をどうやって作るか、知ってる?」

「全然。だって知る機会もないし、知ったところで幻獣は作らないし」

「幻獣に材料があるように、〈核〉もそうなのよ。例えば、その辺の石」

 キサリが指さしたのは、ヴェロニカの足元に転がるごく普通の石だ。手のひらくらいの大きさで、ごつごつとしている。手に取ると、「これに神力を注いだら、はい完成」とキサリが手を叩いた。

「えっ、それだけ?」

「もちろん簡単じゃないわ。とんでもない集中力がいるし、注ぐ量もずっと一定でなきゃならない。作りたい幻獣によって〈核〉の大きさも左右されるしね。ドラゴンなんて大きなもの作ろうと思ったら、それこそヴェラより大きな岩を〈核〉にしなきゃいけないし、必然的に神力の量も膨大になるわね」

 神力を注ぎ続けると、石は次第に内側に光を溜め込んだように輝きだし、神力の塊である〈核〉になるのだという。

 やけに詳しいなと思ったら、生前に作り方を教わったのだそうだ。

「実際に作ったことはないの?」

「うかつに〈核〉なんて作ろうものなら、幻獣を作ろうとしているんじゃないかって疑われちゃうじゃない。念のため教わっただけよ。いつか必要になる時が来るかもしれないし、いつかのために次世代に引き継がなきゃいけないからってね」

 ヴェロニカはもう一度ウサギと、散らばった砂を見た。角だった欠片を見て、キサリは「〈核〉みたい」と言ったが。

「本当にそうだったりするんじゃないかな」

「そんなまさか」

「あり得なくはないと思う。叔父さまたちは〈核〉が体内にあるんじゃないかって調査を進めてるけど、そうじゃないとしたら? 〈核〉は体内じゃなくて、この角だったとしたら?」

 それならいくら解剖をしたところで、体内に〈核〉がない説明がつく。

 そもそも体内にあるなんて固定概念だ。幻獣にとっては心臓代わりなのだから、同じように角の生えた獣たちにとってもそうなのではと。だが幻獣と違って、獣たちには心臓がちゃんとある。

 現に角が無くなったウサギたちは、なんの問題もなく生きている。

「叔父さまに報告しよう。調査が一気に進むかもしれない!」

「間違えて獣を殺して、また誰かが犠牲になるのも防げるわね。角に神力を注げば大丈夫なんだから」

「だけど大型の動物には簡単に注げないとも思うわ。神力が必要なら、学者さんたちみたいな普通の人にはどうしようもない」

「さすがにそろそろレティシアも回復してる頃だろうし、王都に呼んだ方がいいかも知れないわね。ヴェラやナクシャとかアタシほどじゃないけれど、角を壊すには十分な量の神力を持ってるはずだから」

 アウグストも呼ぶべきかと思ったが、弟に神力はない。呼び寄せたところで役に立つかは難しいところだ。やはり自分は神力、アウグストは薬草に特化した性質なのだと改めて感じた。

「でもあいつ、『広い薬草園があるなら見たかった。どうして呼んでくれなかったんだ』とか言いそう」

「そんな気がするわねえ……家にはない珍しい薬草とかあったもの。もしレティシアと一緒に呼んだら、あの子、薬草園に引きこもって出て来なくなりそう」

「挙句の果てにご飯を食べるのも寝るのも忘れて、お母さんに『いい加減にしろ』って怒られるのが目に見えるわ」

 母のことだ。周囲が恐れおののくほどの剣幕で叱りつけることだろう。ヴェロニカはいまだに怖くて竦んでしまうが、アウグストは平然と受け流して己の好きなことに没頭するに違いない。

 昔の母を知る弟子たちによると、ヴェロニカの父が死ぬまでは凪いだ水面のごとく穏やかで静かな人柄だったそうだ。だが夫が死に、子どもたちの母でもあり父でもある存在になろうと決めてからは、口調もがらりと変えて、感情の変化も表に出すようになったらしい。

『旦那が……先代当主のラジークがそういう人だったのよ。こわーい口調で、いっつも眉間に皺が寄っててね。レティシアはそれを真似てるのよ。彼がどんな人だったか、忘れないように』とはキサリの談だ。

 工房に戻る道すがら、ヴェロニカは指を折りながら数えて小さく唸った。

 式典は一週間後。ゼクスト家に事態の詳細と応援を求める書面を出すのが今日だとして、母たちはいつ来られるのだろう。王都と自宅では馬車で三日の距離がある。馬を走らせれば往復ともに時間の短縮は出来るだろうが、式典までに全てが終わるかは際どい。

「動物だって、叔父さまが捕まえたのだけで二、三十頭はいる。学者の人たちがどれだけ捕獲したかは分からないけど、もし叔父さまと同じくらいだとして……」

「暴れるのを抑えながら注がなきゃいけないし、みんながみんなヴェラほど神力を持ってるわけじゃないから、圧倒的に人数が足りないわね」

 神力は使えば使うほど疲労がたまり、食事や睡眠など、十分な休息をとることでしか回復しない。有する量も個人差があるし、ナクシャの弟子がヴェロニカと同じようにウサギに神力を注いだとしたら、それだけで死ぬほど疲れて倒れるだろう。立て続けに二羽、三羽と注ぐ力はない。

 ヴェロニカに「神力は水に例えなさい」と教えてくれたキサリによれば、ヴェロニカは海、ナクシャや母は湖、ナクシャの弟子たちはそのへんの水たまり、という風に神力の保有量が異なっている。それも考慮すると、

「……間に合わなくない?」

「ヴェラが誰よりも神力を注がなきゃいけないわねえ、きっと。でもあなただって疲れないわけじゃないもの。海の水くらい膨大な量を持っているって言ったって、限界はあるんだから。無理はしちゃダメよ」

「分かってる。まずは叔父さまに伝え、」

 伝えなきゃ、と言いかけて、ヴェロニカは足を止めた。

 なにやら前方から甲冑姿の兵士たちが近づいてくる。誰もが緊迫した表情を浮かべ、無言でこちらに迫ってきていた。

 物々しい雰囲気に、また町に獣が出たのかと思った。それを捕らえたから調べろと命じるために、工房まで来たのかと。ヴェロニカは彼らの進路の邪魔にならないように道の脇に避けたが、

「ヴェロニカ・リジーナ・ゼクストだな?」

「え」

 兵士たちはヴェロニカの目の前で止まった。

 名前を訊ねられ、ぎこちなくうなずく。キサリが不安そうに腕に縋りついてきた。

 一体なんだろう。叔父ではなく自分に用があるというなら、恐らくシウバか、あるいはアタラム関連だろう。シウバに神力を補給しているのはヴェロニカだし、アタラムとは図書館や庭園で同じ時間を過ごしている。

 いや、それとも叔父に伝言を頼むとか、単純な話だったりして。なかなか次の言葉を言わない兵士たちからは、ひしひしと威圧感が発されている。

「あ、あの」沈黙が耐えられなくて、ヴェロニカはおずおずと問いかけた。「私になにかご用でしょうか。叔父たちなら今、工房に……」

「貴様を反逆罪で捕える」

「――――は?」

「連れて行け」

「なっ――――」

 どういうことですかと声を上げる間もなく、ヴェロニカの両手に縄がかけられた。訳が分からず反射的に抵抗すると、怒鳴られた上に両脇を抱えられ、動きが封じられる。

「ちょっと待ってください! 反逆罪って、意味が分かりません!」

「詳しくは牢で聞く」

「牢って……!」

「待ちなさい! 国王陛下やそのご家族の死を画策、実行した人が反逆罪に当たるんでしょう。だったらヴェラは違うわ、そんなことしていない!」

 キサリがいくら訴えようと、引き止めるべく腕を掴もうと、彼らに声は聞こえないし触れない。腕を広げて道を塞いでも、兵士たちは意に介した様子もなく彼をすり抜けていく。当たり前だ、見えないのだから。

 どういうことですか、説明してくださいと必死に叫んでいると、何事かと工房からナクシャの弟子たちが顔を覗かせた。「お嬢さま?」「どういうことだ」と口々に困惑を述べ、何人かは駆け寄ってきてヴェロニカと同じように事情の説明を求めた。だが腕に掴みかかってもいともたやすく払われ、徹夜続きで体力をすり減らしていた弟子たちはあっさりと尻もちをついてしまう。

「反逆罪の疑いがかかっている。今からそれを調べるのだ」

「はあ? なんだよそれ、お嬢さまがそんなことするわけがない!」

「そうですよ。だいたい、いつどこで、誰を殺そうとしたっていうんです? ここ数日は俺たちが獣を調査するのを手伝ってくださいましたし、合間には薬草の調合を勉強しておられました!」

「その薬草に毒を仕込んでいたのだろう」

 ――薬草に毒?

 なんのことだ。ヴェロニカは悩乱しながら、あたりを見回した。

 弟子たちがいるのに、ナクシャの姿がどこにも見当たらない。工房から様子をうかがう面々の中にもいない。談話室で仮眠をとっている様子もなかった。

 思えば今朝から姿を見かけていない。てっきり調査でこもりきっているのかと思っていたのに、どこかへ出かけているのか。

「これは貴様が薬草を包むのに使っていた布だな」

 必死にナクシャを探すヴェロニカの前に、兵士の一人がなにか突き出した。

 見間違うはずもない。彼が持っているのは、ヴェロニカが練習で調合した薬草の粉末を包んでいたすみれ色の布だった。

「今日の朝、これを飲んだシウバさまが倒れられた。残っていた粉末を調べたところ、毒草が仕込まれていることが分かった」

「シウバさま、が……?」

「貴様が仕込んだのだろう」

 兵士の冷淡な目に睨まれ、ヴェロニカの体が足元から冷えていく。

「ヴェロニカ・リジーナ・ゼクスト。貴様をシウバさまに対する反逆罪の疑いで連行する」

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