第10話
「体調不良の原因は神力の不足と考えていいんだな?」
そろそろ存在を主張してもいい頃合いだと感じたのか、アタラムが問いかける。シウバはようやく異母兄がいたことに気付いたようだった。ヴェロニカの肩の上で、彼の表情が露骨に歪む。
「なんでいるの?」
「心配だったからだ。あの部屋のありさまはなんだ? なにがあった」
「どうしてお前に教えてやらなきゃいけないのさ」
まるで睨みあう犬と猫だ。シウバの髪が逆立っているようにさえ見える。
「俺だけじゃない。ヴェロニカも気になっているはずだ」
「そうなの?」
「は、はい」
「……部屋を荒らしたのは僕だ」どうしてかなと目を伏せ、シウバは膝の上で両手を組む。「自分を抑えられなくて、なにもかも壊したくなってさ」
「俺が最初に来たときに物音は聞かなかった。ヴェロニカを呼びに行っている間に、あんなに荒らしたのか」
「初めはわけもなく不愉快だったんだ。けど急に暴れたくなって、ああなった。正直あまり覚えてないけど」
まるで夢を見ているような気分だったとシウバは項垂れた。暴れている間は楽しいというより、こんなことをしてなんの意味があると虚しさを感じていたという。虚無感を覚えながらも、暴力性を抑えられなかった。気が付いた時には寝室に閉じこもり、まともに意識がはっきりしたのはヴェロニカに神力を補給されてからだという。
「ひとまず、神力が満ちたとはいえ、その状態で町に出るのは控えた方が良さそうだな」
「ていうか、なんでアタラムが僕のところに来たわけ?」
「共に獣の残党や被害の影響がないか確認しに行くために決まっているだろう」
「一人で行けばいいじゃん」
「二人で行けば捜索範囲を分担出来る」
ああ言えばこう言うとはまさにこのことね。キサリの呟きにヴェロニカは無言でひそかに首肯した。
そういえば、とシウバがこちらに目を向ける。獣で思い出したことがあるという。
「ヴェラたちって工房で獣たちの調査を進めてるんだっけ?」
「はい。ちょうどさっき、角が生えたイノシシを叔父の弟子が殺してしまって……」
彼や、初めに命を落とした弟子の葬儀はゼクスト家に戻ってから正式に執り行うことになっている。
「ヴェラも気を付けなよ。学者たちも独自に調査を始めたって聞いたけど、何人かしくじって死んだって聞いたから」
「私は主に叔父たちの手伝いを任されていますから、直接的に調査はしないんです。あ、でもさっき、死んだイノシシを見たりはしましたが」
「なにか分かったことはあったのか」
ヴェロニカは身振り手振りでイノシシやそれに生えていた角の形を説明し、自分が神力を注いだところ崩れてしまったことを話した。兄弟そろって驚いているところを見ると、どうやらこの話は初耳らしい。
角が壊れたのは神力を吸収したからなのか、それとも別の理由があるのか。他にも試してみなければ分からない。
「町に出たときに何体か殺している。学者たちのところに行けば、死体があると思うが」
「でも私が行って邪魔になるといけませんし」
ついでに学者たちの多くは反魔術師派だ。神力などという非科学的なものなど信じておらず、ゼクスト家に反感を抱いている。だから獣の調査にも乗り出したし、自分たちが先に解明してやろうと張り切っている。
そんなところにヴェロニカが行こうものなら、問答無用で追い返されるか、動向を探りに来た間者として相応の仕打ちを受けるかだ。
「僕が言えば渡してくれると思うけどね、死体。でもあいつら、僕のこともあまりよく思ってないみたいだし、正直嫌いなんだよね」
「角が力を吸収するうんぬんは、叔父にかけあって生きている個体を調べさせてもらいます。あーでも、まずは薬草を調合しろって言われるかな……」
「調合?」
ヴェロニカはシウバに渡す薬を調合していることを話した。今は練習しているだけで、すぐには渡せないことも。
「将来的には調合も叔父から引き継ぐことになると思うんです。なので手伝いの合間をぬって練習していて」
「そっかあ。楽しみだなあ」ふふっと笑う姿は純粋な少年らしくもあり、どこか蠱惑的な色気にも満ちている。「やっとヴェラの作った薬を飲めるんだね、僕」
「ナクシャが作るのとヴェロニカが作るのとでは味が変わるのか?」
「いいえ、全く」
「作り手が誰かって重要だと思わない? 口に入れるたびに髭面と可愛い女の子、どっちを思い浮かべたら楽しいかって、どう考えても可愛い女の子でしょ」
それもそうだなとアタラムが同調した時、寝室の扉を従者が叩いた。来客だという。部屋はきれいに従者が片付けておいてくれたようだ。カーテンが無かったりクッションがしぼんでいたりと違和感は残っているが、先ほどに比べればずいぶんまともだ。ヴェロニカたちが隣の部屋に移動したところで、客が入室してきた。ナクシャだった。
「叔父さま、どうして」
「シウバさまの様子がおかしい、それをヴェロニカが見に行ったって聞いたから、俺も念のためにと思ってきたんだよ」
「心配どうも」なにやら機嫌が悪いのか、アタラムと喋る時ほどではないものの、シウバの声が刺々しくなった。「わざわざお前が来なくても良かったよ」
「そう仰らずに。ああ、でも良かった。お元気そうで安心しました。アタラムさまもいらっしゃったのですね」
「俺がヴェロニカを呼びに行ったからな。原因は神力の不足だろうと予想したから、ついさっき補給してもらったところだ」
「というかお前、その風体はなに? もう少し整えてから来なよ、みっともない」
ナクシャの装いは、工房にいた時よりも多少見栄えがよくなっている程度で、シウバが睨みつけるもの仕方のないことだった。ナクシャは伸びたままの髭を撫でつけ、「申し訳ない」と苦笑する。
ヴェロニカに神力の補給を引き継いで以降、ナクシャがシウバの部屋に入る機会はほぼ無くなった。叔父は懐かしそうに室内を見回し、ふと机に目を留める。毎朝飲むようにと伝えてある薬を入れた小包がちょこんと乗っていた。
「失礼。中を確認させていただいてもよろしいですか」
「は? なんで?」
シウバが訝しげに首を傾げる。ヴェロニカも疑問に感じていると、ナクシャは小包のふたを開けた。
「ああ良かった。ちゃんと日数分減っていますね」
「僕が飲んでないって思ってたわけ。心外だよ」
「私が直接お渡ししていた時、何度か意図的にお忘れになっていたではありませんか」
シウバの薬嫌いはずっと前からだったのか。ナクシャの指摘に、彼はバツが悪そうに鼻を鳴らして外を向いた。
「やはりヴェロニカに交代してからでしょうか。シウバさまはずいぶん素直になられた」
「そうなんですか?」
「ちょっと、余計なこと言わなくていいから」
シウバの頬が赤くなっている。今でも時々わがままな顔を見せるが、現在は丸くなった方なのかとヴェロニカは少しだけ驚いた。キサリも知らなかったのか、おかしそうに腹を抱えて笑っている。次いでアタラムを見ると、彼は彼で不満そうに唇を引き結んでいた。ヴェロニカの視線に気づいたのか、アタラムはぽつりと呟いた。
「あなたが少しだけ羨ましい」
「はい?」
「あーもう。元気になったし、また町に出なきゃいけないから、みんな出てってよ。ほら早く」
どういうことかとアタラムに詳しく聞きたかったが、シウバにぐいぐいと背中を押され、ヴェロニカたちは追い出された。ばたんと扉が閉ざされた後、ご丁寧に鍵をかける音もした。一緒に追い出された従者は困惑顔でヴェロニカたちを見つめてくる。
「少し面白がり過ぎたかな」
「ナクシャの悪いところだわ。子どもの頃からいじわるが好きだったもの」
「キサリは叔父さまが子どもだった時も知ってるの?」
「当たり前でしょう。他の誰よりも知ってるわ」
ヴェロニカとキサリの会話が気になったのか、アタラムとナクシャが首を傾げている。彼の言ったことを伝えると、叔父は不思議そうに目を瞬いた。
「彼はそんなに前からゼクスト家を見守ってくれてるのか」
「私もびっくりしてる。昔のお母さんのことも知ってたし……」
「知れば知るほど、キサリは不思議な存在だなあ」
ナクシャはキサリがいるであろう位置に目を向けて礼を述べているが、実際は逆方向だった。相変わらず見えていないのねえ、とキサリは諦め気味に呟く。
工房に戻るヴェロニカたちは、アタラムとは部屋の前で別れることになった。来てくれて助かったと謝辞を述べる彼に、ヴェロニカは「そうだ」と手を叩く。
「アタラムさま、さっきの……あと庭園でのことなんですが」
「羨ましいと言ったことか? シウバには絶対に言うなよ。ふざけるなと間違いなく怒られる」ヴェロニカの問いに、彼ははにかみながら首を振った。「庭園での話なら、事態が落ち着いた頃に改めてしよう。今はあなたも忙しいだろうから。ベラアーダは萎れてしまったか」
彼が手折ってくれた花は瓶に活けてあったが、少しずつ枯れている。蝶に似た花弁は先からくしゃりとすぼみ、ゆったりと首をもたげ始めた。それはそれで退廃的な美しさがあり、疲れた心を癒してくれている。
「近いうちに新しいものを届けさせる。楽しみにしていてくれ」
「ヴェラ、ついでに彼にアタシから一言いいかしら」
きっと仕事が滞っているだろうに、キサリから伝言があるから少し待ってほしいと頼むと、アタラムは文句も言わずにうなずいてくれた。早くしろと急かすことも無い。
「『言外に察しろなんて甘っちょろい考えは捨てなさい』」
一言一句そのまま、口調も違えないでほしいというキサリの要望で、ヴェロニカは内心、怒られないかと冷や冷やしながら言葉を続けた。
「『もしかしてアタラムさま自身、この子になにを伝えたいのか、分かってないんじゃないの?』」
「……かも知れないな。確かに俺の中でまとまっていない部分はある」
「『やっぱりね。自分がなにを伝えたいのか、ヴェラにどうしてほしいのか。しっかり決めておきなさい。アタシからは以上』……だそうです」
「反省しておく。それと、ありがとう」
アタラムにはキサリが見えていないはずなのに、彼は確かにキサリの目を見て礼を言った。
「調査に進展があれば報告してほしい。どんな些細なことでも」
「もちろんですとも」
「アタラムさまも、ご無理はなさらないでくださいね」
シウバやナクシャほどではないものの、アタラムにも多少の疲れが見てとれる。
そうだ。ヴェロニカの脳裏で「プルウィア」がドレスの裾をひるがえした。作中で、少年が晴れの王様に立ち向かうさいに彼女が祈りを捧げる場面がある。ヴェロニカはアタラムの手を取り、手のひらで包み込んだ。温かくて頼もしいそこに、通り抜けてしまうと分かっていながら神力を注ぐ。
「『我は月の娘 豊穣と苦難を司る者なれば 我が涙を癒しの雫に変え 勇ましく慈悲ある魂に 月光の加護を授けん』」
「それは……」
「プルウィアの真似ごとをしてみました」
アタラムは不思議そうに何度も手のひらを握ったり開いたりを繰り返した。あくまでも真似ごとなので、本当に加護が働いているわけではない。しかしアタラムは先ほどよりもいくらかほぐれた笑みを浮かべていた。
ありがとうと礼を残し、彼は背を向けた。見えなくなったころ、ナクシャがくすくすと笑っていることに気付いた。
「いつの間にアタラムさまと仲良くなってたんだ? 恋人みたいだったぞ」
「恋……えっ! ちが、そんなんじゃ」
いきなりなにを。赤面して否定すると、ナクシャはおかしそうにふき出した。
「雰囲気が恋人同士みたいだったから勘違いしたよ。そこまで嫌がらなくても」
「嫌がってるわけじゃなくて……!」
「恥ずかしいのよねえ」
キサリまで笑い始めて、ヴェロニカは耳まで真っ赤になった。
まだ近くにアタラムがいたらどうしようと焦ったが、廊下の先を眺めてみても彼が顔を出す様子はない。ひとまず安心して、ヴェロニカは胸を撫で下ろした。
「アタラムさまとは仲良くさせていただいてるけど、好きな本や作家が一緒だからです。とても話しやすくて、なんていうか……友だち、みたいな」
「ふうん?」と一応は納得してくれたらしいが、ナクシャの顔からはニヤつきが取れていなかった。
そもそもアタラムは王族で、ヴェロニカは未熟な魔術師だ。身分が違う。友だちだと思うのも恐れ多い。そう考えて、なんだか胸がちくちくとうずいたのはなぜだろう。
「興味本位で聞くけれど、ヴェラはアタラムさまともシウバさまとも仲がいいじゃない? 実際のところ、どっちが好みなの?」
「えー……」
「いいじゃない。誰にも言わないから。アタシにだけ教えて」
誰にも言わないのではなくて、言ったところで誰にも聞こえていないの間違いではないか。正確にはヴェロニカ以外にシウバもいるが。
どちらが好みかと言われても、特に考えたことがないから難しい。というより、仮に自分がどちらかに恋心を抱いたとしても、叶うはずのない恋だと分かっているから、考えたことがないと言った方が正しい。
――本当に?
悩みに悩んで、結局顔がますます赤くなるだけで答えられないまま工房に戻ると、シウバに呼ばれる前に比べて静かだった。連日の無理がたたって何人か倒れたそうだ。そこでナクシャが戻ってくるまで休憩にしたという。今は縛られたシカだけが懸命にもがいている。
「さて、再開するか」談話室で死んだように眠っていた弟子たちを起こし、ナクシャが疲れ切った顔で袖をまくる。「疲れているのは分かるが、倒れるのはまだ早い。まだ捕えた獣は残っているんだから」
「叔父さまも少しお休みになられた方がいいわ」
死者が息を吹き返したかのごとくぞろぞろと起き上がる弟子たちは、わずかな差とはいえ顔に生気を取り戻している。それに比べるとナクシャの顔は土気色で少々気味が悪い。ヴェロニカは休息を勧めたが、叔父は穏やかな笑顔で提案を拒んだ。
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「大丈夫って……今にも倒れそうなのに」
背筋を伸ばしていた叔父だが、工房に戻ってきた途端、足元が覚束なくなった。シウバの前では気張っていたようだ。
「叔父さまの代わりに、私が調査をすれば」
「危ないって何度も言っただろう。仕方ないんだ。この場にいる誰よりも、力が豊富なのは俺だから。退くわけにはいかないよ。悪いんだけど、ヴェロニカはまた手伝いに回ってもらえるかな。薬草の調合も練習も忘れずにね。あと工房には迂闊に入らないように。頼んだよ」
「あっ、叔父さま!」
止める間もなく、ナクシャは弟子たちと共に工房にこもってしまった。扉も鍵がかけられて開かない。
ヴェロニカの身を案じてくれる優しさは理解している。が、手伝いしかできない歯がゆさは拭いようがない。肩を落とすと、キサリが穏やかに抱きしめてくれた。
「叔父さまに角のこと、言いそびれちゃった」
「残念ね。でも触って壊れた角は一つだけだったもの。ねえ、檻の方には行くなとは言われなかったでしょう?」
確かにそうだ。工房には迂闊に入るなとしか言われていない。
「他の角も同じように壊れるのか、試してみましょう。その結果を報告するのも十分な手伝いだから」
「うん。そうする。ありがとう、キサリ」
「どういたしまして」
やることは決まった。ヴェロニカは自分の頬をぱちんと叩く。なんだか疲れが吹き飛んで、代わりに気合が満ちた気分だ。それが冷めてしまわないうちに、工房裏手の檻に向かった。
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