第5話

「『雨姫うきプルウィアと夏の花』じゃないですか!」

 ヴェロニカが幻獣の資料を本棚に戻しに行くと、とある本棚の前でアタラムが本を開いていた。気にせず通り過ぎるつもりだったのだが、見覚えのある表紙に思わず立ち止まり、声をかけてしまった。

 ドレス姿で踊る麗しい女性と、頭や衣服に花を咲かせた少年の姿が、青と白だけで描かれた幻想的な表紙だ。ここには登場していないが、いじわるな晴れの王様や、少年に恋するわがままな女の子もいたのを覚えている。

「あなたもプルウィアが好きなのか」

「我が家にあったので、子どもの頃に飽きるくらい読みました!」

 王宮の図書館を利用し始めて、一週間が過ぎていた。ヴェロニカはいまだにシウバに持たされた図書館利用の許可証のことを言い出せていないため、アタラムはほぼ毎日付き添ってくれている。しかし同じ席に着いたのは初日だけで、以降は「あなたの邪魔になるといけないから」と彼は別の場所を使うか、今のように本棚の前で立ち読みをしていた。

「あなたもってことは、アタラムさまもお好きなんですね」

「ああ。プルウィアと少年の切ない恋だけでなく、晴れの王との衝突や和解、わがまま少女の葛藤だとか、この作品を語るに欠かせない魅力は数多い。久しぶりに手に取ってみると、子どもの時分には気付かなかった新しい発見があるものだな」

 作中で巻き起こる恋愛模様を思い浮かべたのか、アタラムの頬がうっすらと赤く染まる。初めて見る表情に、意外と可愛らしい一面もあるのだなとヴェロニカはなんだか胸がむずむずした。

 よく見ると、同じ作者がつづった他の物語もいくつか並んでいる。ヴェロニカもつい手に取るとキサリも気になる話だったのか、横から「早く読んで!」と急かされる。

「部屋でじっくり読めたらいいんですけど……」

 本の貸し出しは禁止されているもんなあ、とため息をつくと、アタラムが「大丈夫だ」とうなずいた。

「禁止されているのは魔術師や幻獣が関連したものだけだ。それ以外の普通の書物なら問題はない」

「そうなんですか!」

「ただ冊数の制限がある。一度に三冊までだ。他にもなにか借りていくか?」

 それならとヴェロニカは読んだことの無い本を追加で二冊選んだ。最近ずっと読んでいた資料や図鑑に比べると遥かに薄くて軽いし、手に馴染む。本はやっぱりこれくらいの軽さがいいなあ、と妙な懐かしさも感じた。

 貸し出し日数に期限はないというが、しばらく王宮に滞在するとはいえなるべく早く読んで戻すべきだろう。というか、早く読みたくて仕方がない。わくわくしていると、キサリが目の前に立ちふさがった。

「他の本を読むのはいいけれど、自分の仕事はちゃんと終わったの?」

「ちゃんと同時進行でやるから大丈夫ですー」

 ナクシャは昨日の朝、王宮に戻ってきた。弟子を数人と、山で捕えた例のシカを連れて。

 該当する幻獣がいなかったことはすでに報告してある。今は実物を前に調べているところだ。ヴェロニカは念のため、もう一度だけ幻獣の資料を読み返してみるよう言われている。

「早く部屋に戻って読みたいし、キサリだってそうでしょ?」

「ええ、本音を言うと、さっきからうずうずしてるわ。でもその前に、シウバさまのところに行くんじゃなかったの?」

「……そうだった」

 本当は昨日のうちに報告できれば良かったのだが、既存の幻獣ではないと判明したのが夜遅くだったし、今朝はシウバが不在だったので出来なかった。彼は先ほど出先から帰ってきたところだというし、シカの件について知らせなければならない。

 本を抱えて図書館を出て、シウバの部屋に向かう。着くまでの間、ヴェロニカとアタラムは好きな作品について語り合った。

「そうだ。プルウィアが好きなら、『ときめくニゲラ』も読んでみるといい。きっと好きだと思う」

「聞いたことのない題名です。どんなお話なんですか?」

「読んでからのお楽しみだ。言ってしまったら、わくわくが半減してしまうだろう?」

 そうですねえと笑っているうちに、シウバの部屋まで来ていた。ノックをして扉を開けるなり、彼はヴェロニカの後ろにいる兄を見てひょっと眉を上げた。

「ヴェラ以外の声も聞こえるなあと思ったら……なんでアタラムもいるの? 仕事は?」

「今日は特になにもないからな。いいじゃないか、久しぶりに面と向かって話すのも。お前の部屋に入ろうにもなにかに邪魔されて入れずにいたんだ」

「ああ、クローゼットを置いたんだよ。夜中に勝手に入ってこられるのにうんざりしてね」

「まさか完全に潰したわけじゃないだろうな」

「近いうちに潰してやるから安心してよ」

 なんてことだとアタラムが頭を抱える。対してシウバは勝ち誇ったように腕を組んだあと、またすぐに表情を歪めた。

「最近ヴェラに付きまとってるって聞いてたけど、本当だったんだね」

「人聞きの悪い言い方をするな」

 もしかして、とキサリがヴェロニカの耳元に口を寄せる。

「この二人、仲悪いんじゃないの?」

「でも私とアウグストもこんな感じだし、普通なんじゃないかな」

 擁護はしてみたものの、仲が悪そうだなと思ったのも確かだ。表面だけ仲良く装い、水面下で陰湿な応酬が繰り広げられるよりは分かりやすくてありがたいが。

「王宮にヴェラたちの部屋を用意したのもアタラムなんだって?」

「薬師たちが暇乞いをしてきたからな。空いた部屋を使ってもらっている」

「暇乞いを『させた』の間違いじゃないの。ていうか、僕がやろうと思ってたのに、先を越さないでくれる」

「なんのことか分からないな」

 正面からかち合った二人の視線がばちばちと火花を散らしているように見えるのは、多分気のせいではない。このまま睨みあわせるのはまずいと感じて、ヴェロニカは「そろそろ座りましょう。ねっ!」となんとか割って入った。

 シウバは部屋の中央にある二人掛けのソファに腰かけていた。ヴェロニカは彼の隣に招かれ、おずおずと座る。キサリはヴェロニカの横の肘掛けに腰を下ろしていた。アタラムが二人の向かい側に座ったところで、従者がそれぞれの前に茶を置いた。

 さっぱりとした風味のあとから、控えめな苦みのくる茶だった。シウバお気に入りの茶葉だという。きっと高級なんだろうなと思って話を聞くと、案外ヴェロニカでも手の届きそうなお値段だと判明した。

「さっき町に行ったときに見かけたし、あそこならヴェラも帰りに通るだろ? 時間があれば寄るといいよ」

「そういえばお前、どこに行っていたんだ」

「近くで『変な動物が出た』って聞いて、もしかして僕が見たのと同じやつかと思って見にいってたんだよ。僕が行った時にはもういなかったけどね」

「変な動物?」

「なんだ、知らないの?」

 アタラムは角が生え、影をまとった動物について初耳のようだった。おかしそうに挑発するシウバを宥め、ヴェロニカは簡単に説明したうえで、ナクシャが捕えたシカについて話すことにした。

「図書館で確認した資料と照らし合わせても、該当する幻獣はいませんでした」

「似た幻獣も?」

「一番近いのはユニコーンかとも思ったんですが、禍々しいという点が一致しないなと」

「他にはアルミラージっていう角が生えたウサギの幻獣が近いかしらって話もしたんだけど、影はまとってないし、そもそも生息域が違うのよ」

「なので私たちは『既存の幻獣ではない』と結論付けました。今は幻獣の証明でもある〈核〉の発見と、影をまとっている理由などを調べているところです」

 ゼクスト家を目の敵にしていた薬師たちがいなくなったことで、彼らが使っていた工房なども利用できるようになった。ナクシャたちは今も暴れるシカを相手に、傷を負いながら調査を進めている。

 なぜ、とまず首を傾げたのはアタラムだ。

「シカには悪いが、殺して調べた方が捗るんじゃないのか?」

「それが……」

 ナクシャが捕えたシカは二頭いた。アタラムが考えたように、彼らも最初に一頭を殺したという。だが、

「死んだシカから影があふれ出して、息の根を止めた張本人……弟子の人にまとわりついたんだそうです」

 弟子は抵抗したが、いくら払っても無意味だった。ようやく影が無くなってナクシャが駆け寄ったが、

「最終的に、その人はどうなったの」

「……亡くなりました」

 王子兄弟が、そろって絶句した。

 亡くなったのはナクシャの一番弟子だった。もとはゼクスト家とは異なる派閥にいたが、患者を死なせかけて居場所を失くし、ナクシャに拾われた男だ。神力も有していて、叔父から特に可愛がられていたのを覚えている。

「さすがにヴェラには見せられなかったからアタシがこっそり見てきたけど、遺体には胸を中心に、黒い斑点が浮かび上がってたの」

 キサリの声はアタラムに届かない。ヴェロニカは代弁してから、「まるで呪いのようだと叔父は言っていました」と付け加えた。

「また同じことが起きないとも言えないから、迂闊に殺せないのか……」

「新種の幻獣って線が濃厚な気がしてきたなあ。普通の動物なら殺しても呪いなんて受けないし」

 とすると対応が変わってくる。作成者を見つけなければならないからだ。

「手がかりもないし、難しいかも知れないけど」

「シカを捕らえた近隣を探ってみるのが良いだろうな。自分の『作品』が捕まったと知れば、なにかしら行動を起こす可能性もある」

 ひとまずヴェロニカやナクシャたちはシカが本当に幻獣なのか、幻獣だとしたら誰が作ったのかを調べるよう指示された。山あいの現地にはシウバが人を遣わせるという。

「そういえば、あなたはシカの調査に立ちあわないのか」

「呪いを受けたり、万が一シカが脱走して襲い掛かると危ないからと言われました」

 牡鹿だけあって体格が大きく、もし脱走して襲われようものならヴェロニカなど一瞬で踏みつぶされて死ぬだろう。次期当主候補をそんな目には合わせられないから、とナクシャは言っていた。

 だからヴェロニカは、自分に出来る範囲で叔父たちを手伝えたらと、図書館に通って資料を読み進めているのだ。もっとも、現時点では目ぼしい情報は何もないが。

「まだまだ時間がかかりそうだね」

「申し訳ありません。ご期待に沿えず」

「そういえば、シカと同類の思しき動物がこの近くにも出たんだろう。そっちはどうする。二週間後には父上の即位二十五周年の式典があるが」

「式典ですか?」

「ああ。国内の貴族だけでなく、近隣諸国の王族も招いて行うんだ」

「式典っていうよりほとんど宴だよ。三日三晩、騒ぎっぱなしでね」

 だいたい五年間隔で、国王の即位周年を祝う式典は開かれているという。ヴェロニカたちゼクスト家は貴族ではないので招かれていないし、ついでに王都から離れて暮らしているので、そんな催しがあるのを知らなかった。

 王宮を主な会場として、王都には多くの人が集まるそうだ。そんな中で、もしシカと同様の動物が現れれば混乱は必至だ。

「けど、本当に同じかどうか分からないけどね。角があるとは聞かなかったし、見間違えただけって可能性も大いにある」

「出没した場所を監視させたらどうだ。戻ってくるかもしれないだろう」

「餌でも置いて? 悪くない案だね、アタラムから聞かなければ」

「あ、あのっ!」不穏な空気が漂う前に、ヴェロニカはあえて挙手をしながら声を上げた。「式典が催されるのに、私たちが王宮にいてはお邪魔ではありませんか? もちろん、それまでに調査も終えて、結論を出そうと思っていますが……」

「気にしなくていいよ」

「ああ。何としても終わらせなければと焦っては、出る結論も出なくなるだろう」

「なんなら調査が終わってもその日までいたら? どうせ色んな人が出入りするから今さら人が増えたところで気にしないし、仮に『なんでいるんだ』って咎められても、僕に招待されたんだって言えば誰も文句は言わないよ」

「だから時間を気にせず、正確な答えを出してくれ」

 仲は悪いようだが、息まで合わないわけではないようだ。王子二人にすすめられ、ヴェロニカはこっくりうなずいた。

 ナクシャも式典があるとは知らないはずだ。知らせに行かなければならない。

 部屋を辞そうとして、ヴェロニカは窓際の机に放置されている小袋に気付いた。毎朝飲むようにと言ったはずの薬だ。

「どうして飲んでいないんですか!」

「今朝は出かけてたから飲むのを忘れてたんだよ。意図して飲まなかったわけじゃない」

「体調は大丈夫ですか。吐き気は? めまいなどは?」

 がしっと彼の顔を手で支えて、喉の奥や目に異常がないか確認する。飲まなくなったからといってすぐに異変が起きるものでもないが、注意深く様子を見て悪いことはない。

 顔色もいつもと変わらないし、体の震えもない。出かけたと言っていたし、激しい運動はしていないだろうなと心配になったが、神力の巡りも問題なさそうだ。

「ヴェラは心配しすぎだよ」

「まるで過保護な親みたいねえ。誰に似たのかしら」

「心配しなさすぎるよりはいいと思うけど!」

 小袋を引っ掴んで、今すぐに飲むようシウバに押しつける。彼は渋々といった様子ながら水で流し込んでくれた。よほど苦かったのか、うげえと舌を出して顔を顰めている。

 シウバの部屋を出て、アタラムとはそこで別れた。シカがどんな状態か見てみたいと言われたが、王子の身になにかあっては困る。丁重にお断りして、ヴェロニカはナクシャたちが苦戦しているはずの工房に向かった。

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