第3話

「幻獣によく似た生物が現れるんだってさ。でも幻獣とは違う、異質な雰囲気があったって。調べている時に僕も一度だけ見かけたけど、噂通りおかしかった」

「おかしかった、とは?」

「幻獣って僕と同じで、神力が流れてるだろ? だからかな、どんなに恐ろしい幻獣であれ、まとう雰囲気は基本的に神々しくて清らかだ。でも噂になってる生物は禍々しかった」

 従者に紙とペンを持ってこさせ、シウバは迷いのない手つきで絵を描いていく。ヴェロニカとキサリは揃ってシウバの手元を覗き込んだ。彼が見たのはシカらしき生物だという。

「普通、オスの鹿には角が二つ生えてるだろ。でも僕が見たそいつには、もう一本あった」

 ここに、とシウバはシカの額に角を一本、書き足した。

「すぐに逃げてしまったから一瞬しか見えなかった。だからどんな形をしていたかまでは分からないけど、目が異様にぎらついていたのと、靄というか霧というか……黒っぽい影をまとっていたのは覚えてる」

「影?」

 ヴェロニカは脳内にある幻獣の知識を片っ端から引っ張り出し、シウバのいう幻獣がいないか確認してみた。だが幻獣作成から手を引いて二百年近く経ち、ヴェロニカというより、ゼクスト家自体が幻獣に疎くなっている。

 頭の中にある幻獣の知識も、何年も前に読んだ子ども向けの幻獣図鑑で得たものだから古い。有名な幻獣しか記載されていなかったし、小難しいことも書かれていなかった。

 しばらく考え込んだものの、ヴェロニカは「申し訳ありません」と肩を落とした。

「心当たりがありません……キサリは?」

「アタシも知らないわ。初耳。失礼を承知で言うけれど、王子さまの見間違いとかではないの?」

「真っ昼間だったのに、シカにだけどんよりとした影がかかってたんだよ。でも山の中だったし、見間違いじゃないかって言われて強く否定が出来ないのも現実かな」

「シウバさまは、そのシカが何なのか調べてほしいと?」

「そう。他に同じような動物がいないかも気になるし、もしも新種の幻獣だったら、しかるべき対応を取らなきゃいけないからね」

 幻獣にも、その幻獣を作ったであろう人物にも。

 幻獣を作成した場合、作成者はどんな事情があったとしても火刑に処される。遺体を残しておくと、体に宿った神力を手に入れようと墓を荒らす不届き者が現れるからだ。火刑なのはそれを防ぐためと、罪を犯すとこうなるのだという見せしめのためだ。

 また幻獣は捕獲され、危険性の有無を判断してから、野に放つか、あるいは〈核〉を破壊して殺される。

 シウバの話を一通り聞き、「でも」とヴェロニカは首を傾げた。

「どうして私のようなゼクスト家なんですか? 幻獣専門なのはエアスト家……もう一つの魔術師の家系です」

「エアスト家は今、隣国で発生した問題にかかりっきりなんだって。こっちの謎めいた動物も気になるし調査したいけど、それどころじゃないんだそうだ」

 こちらの国で噂になり始めている禍々しい動物も、今のところ人や作物に危害を及ぼしているわけではない。ゆえにエアスト家は緊急性が薄いと判断したのだろう。

「僕は隣国の状況も、向こうの方が早急に解決しなきゃいけないのも分かってる。でも、だからといって我が国の不安要素をこのまま放っておくわけにもいかないだろ?」

「確かに、シカのほかにも同じ様子の動物がいるかもしれませんし、いつ人たちに襲い掛かってくるか分かりませんからね」

「要するに王子さまは、最低でも『幻獣か否か』、『幻獣でないならそうなった原因は何なのか』を調べてくれって言いたいのね」

「……時々思うんだけど、僕を『王子さま』っていうのは止めてくれないかなあ。僕のほかにも王子はいるんだし――キサリの言う通り、最低限のことだけでも調べてほしいんだ。エアスト家には劣るかも知れないけど、それでも僕らみたいな素人と比べたら、ゼクスト家はその辺り詳しいだろ?」

「私の一存ではこの場でお引き受けすることはできませんので、叔父にも話してみます」

「そういえばナクシャ、馬車で幻獣の資料を読んでいたんじゃなかった? 他にも幻獣関連の本を持ってた気がするし、喜んで引き受けるんじゃないかしら」

「良い返事を期待してるよ」

 ナクシャはすでに国王との話を終えて別室で待機していた。ヴェロニカが事情を話すと「薬草の研究とかあるけどなあ」とわずかに渋ったものの、もしかしたら未知の幻獣かも知れないこと――シカの特徴を説明したが、ナクシャにも心当たりがないらしい――や、シウバがいかに国や民のことを心配しているか伝えると、表情を一変させて笑顔でうなずいてくれた。叔父はすぐにゼクスト家に戻り、調査のために何人か呼び寄せてくれるという。とはいえゼクスト家にいる母の弟子の九割は、薬師としての弟子であり、神力イラ もないし魔術師としての知識は皆無だ。

「大丈夫。義姉さんの弟子と違って、俺が抱えてる弟子のなかには微量とはいえ神力を持つ奴はいるし、魔術師的な知識もある。そいつらを連れてくる」

 ついでに役割分担も大まかに決めた。禍々しいシカが出たのは山だ。他にどんな危険生物がいるか分からないし、山に入って捕まえるのはナクシャとその弟子たちで、ヴェロニカは王都で待機。その間、ヴェロニカは書物を片っ端から調べて、該当する幻獣がいないか確認。ナクシャたちがシカを連れ帰ってきたら、詳しく調査することになった。

 叔父を見送り、シウバに引き受ける旨を伝えると、頼んだよと励まされた。

「幻獣関連の本なら図書館にいくつかある。好きに見ていいよ」

「ありがとうございます。そうだ。シウバさま、これを」

 危うく忘れるところだった。ヴェロニカはいそいそと肩かけカバンから小さな包みを取り出した。四角いそれの中には、手のひらほどの大きさの黄色い袋が三十ほど詰まっている。

「今月分のお薬です」

 うげ、とシウバがあからさまに嫌そうな顔をした。「もうなくても大丈夫な気がするんだけどなあ」

「ダメです! 飲み続けることで効果が維持されるんですから、忘れずにお飲みください」

「この際だから言うけど、時々飲むのを忘れてたんだよね。でも倒れたりしなかったし、むしろ調子が良かった気も」

「飲みたくないからって言い訳をなさらないでください」

 袋の中には薬草の粉末が入っているのだ。シウバは面倒くさそうに唇をへの字に曲げる。

 神力を注がなければいけない体になる以前から、彼は病弱なのだ。そのためゼクスト家は、彼が今の体になった折に、前任の薬師から引き継いで薬の調合も受け持つようになった。

 朝に一袋を、毎日欠かさず。いつも通り用法と容量を説明したところで、シウバがいたずらっぽく微笑んだ。なんだかいやな予感がする。

「これを調合してくれたのは、ヴェラ?」

「いえ、いつも通り叔父さまが……」

「じゃあ飲まない」

「ちょっ、シウバさま!」

 いつもこうだ。なぜか分からないが、ヴェロニカが調合したものではないと言った途端、子どものようにぷいっと顔を背けてしまう。

 けれどヴェロニカは調合が得意ではないし、先日の一件でますます苦手意識が増した。ナクシャもそれを理解しているので無理に作れとは言ってこない。神力の補給を引き継いだ際に一度だけ調合したことはあるが、見事に失敗した。

「何回も言ってるでしょ。僕はヴェラが作ってくれたものじゃないと飲みたくないって」

「わがままを仰らないでください。だいたい、私が調合しようと叔父さまがしようと、薬の味そのものは変わりません」

「そうだけどさあ」

「王子さまの言いたいこと、ちょっと分かるわあ。見た目も味も同じでも、気になってる子が作ってくれたものなら何倍も、」

 キサリの言葉が唐突に途切れる。彼に向かって、シウバがクッションを投げたからだ。クッションはキサリの顔面を通り抜けて床にぼてりと落ちた。突然の攻撃に驚いたのか、キサリが口をぱくぱくとさせたまま固まっている。

「ん? 何か言ったかな、キサリ」

「いいえ、なんにも」

「それならいいんだ」

 不穏な空気が一瞬だけ流れたのは、多分ヴェロニカの気のせいではない。

 しっかり飲むようにと繰り返し説得すると、かなり疎ましげではあったが、なんとか今回も受け取ってもらえた。

 シウバに何かあったら駆けつけられるよう、ヴェロニカは王宮に一番近い宿をとってある。くれぐれも無理な運動はしないように、異変があればすぐに知らせてくれと伝えて、ヴェロニカたちはシウバの部屋を辞した。


 王族の住居と美術館、図書館は長い回廊でつながっている。そこから望む中庭には白いクレマチスや紫のオダマキ、青が鮮やかなデルフィニュームなど数多の花が咲き誇り、日頃の丁寧な手入れをうかがわせた。花園の奥には、円蓋が特徴的な乳白色の霊廟が見える。

 ヴェロニカは宿に戻る前に、図書館に立ち寄ることにした。開館時間は日没までと定められているので、今日はまだまだ時間の余裕がある。

「早めに取りかかって損はないよね。ゆっくりしすぎて後々焦ったりしたら困るし」

「いつもは『面倒くさい』って愚痴るけど、今回はいつになくやる気じゃない」

「さすがに王族直々の依頼を『面倒くさい』で片づけるのは、ちょっと」

 ついでにヴェロニカにはもう一つ考えていることがあった。

 国内最高と言われる王家の図書館だ。薬草などの図鑑もきっとあるに違いない。

 普段なら王族や招かれた貴族以外の立ち入りは許されないが、今回はシウバが許可を出してくれたし、その証明書も渡されている。入り口にいる衛兵に見せれば中に入れてくれるだろうとのことだ。

「せっかくの機会だし、個人的な調べ物も出来たらなー」

「当主になるお勉強のために、かしら?」

「そんなところ」

 当主になるつもりなど欠片もないが、己の勉強不足はなんとかしなくてはと本気で思っている。脳裏に母の青い顔がちらつき、背筋がぞっとした。

 自宅にはないような書物もきっとある。新たな知識を仕入れれば、ゼクスト家の発展にもつながるかも知れない。もちろん第一目的は幻獣調査だ。そちらを進めながら、合間に薬草について調べられたら、とヴェロニカは密かに張り切っていた。

 が、そんなやる気も二秒で消えた。

「勉強するって考えたら頭が痛くなってきた……」

「さっきまでの威勢はどこにいったのよ。勉強って考えるからダメなんだわ」

「勉強って先に言ったのはキサリよ。ずっと『調べ物』って考えて、気を楽にしてたのに」

「あら、アタシのせい?」

 それはごめんなさいねえと申し訳なさをまったく感じない謝り方をされた。

「でも任されたからにはやらないと。うん、頑張る」

「機嫌の変化が忙しい子ね。アウグストとは正反対」

 回廊を進むにつれ、図書館の大きさが分かってきた。住居の北にどんと構えるそこは三階建てで、国内で出版されたすべての書物を収めてある。なかには数百年前の貴重な資料もあるというから、歴史学者などは喉から手が出るほど欲しいだろうし、何日かかってでも読みたいだろう。

「なんだか今日は、どこの棚になにが入ってるのか確認するだけで終わりそう」

「アタシも手伝うから大丈夫。それにヴェラと違って本を手に取れないから、うっかり中を開いて面白くて読み進めちゃって、棚の確認が疎かになるなんてこともないから、さくさく進むわよ」

「なんて悲し過ぎる理由なの……」

「盛大に独り言なんて、怪しすぎるなあ」

 不意に背後から男の声がした。振り返ると、ニヤついた笑みの男が三人いた。いずれも貴族というには少々下品すぎる装飾過多な出で立ちで、こちらに向ける視線には蔑みの色が浮かんでいる。

 どちら様ですかと聞くまでもない。現在、王宮に仕えている薬師の一族だ。

 宮廷薬師ゆえ魔術師として処刑されなかったゼクスト家だが、先々代の王の時代、王が熱心な光の神と闇の神の信徒であったために、偉大な神の真似ごとをした魔術師だとゼクスト家は毛嫌いされ、その任を追われた。新たに就いたのが彼らの先祖だ。

「なんで魔術師風情がこんなところにいるんだか」

「お前らはとっくの昔にお役御免になってるんだよ」

 偉そうに胸を張り、男たちはヴェロニカに歩み寄ってくる。

「私はシウバさまの治療を任されております。お役御免になったわけではありません」

「シウバさまは我々が治療する。お前みたいな魔術師、しかもチビに出来るわけがない」

「今や俺たちのほうが技術も権威も上だ。カビの生えたゼクスト家なんて、とっとと処刑されちまえばいいのに」

 はじめシウバに薬を渡していたのは彼らだ。ゼクスト家はそれを引き継いだのだが、理由の一つとして、彼らはシウバがただの病弱だと思っているというのがあげられる。神力なしに生きていけないとは知らないのだ。しかし男たちはゼクスト家と違い、神力を持たないごくごく普通の人々だ。シウバに神力の補給など出来ない。

 処刑されちまえばいいのに、という言葉に腹が立たないわけではない。だが王宮で顔を合わせるたびに言われていれば慣れもする。もし王宮に宿泊しようものなら、しつこくねちねちと文句を言ってくるだろう。受け流して図書館に向かおうとしたが、進行方向をふさがれていた。いつの間にか男たちに取り囲まれている。

「なんなのよ、もう。寄ってたかってヴェラをいじめて。恥ずかしいと思わないのかしら」

「私が……ゼクスト家がシウバさまの専属になったから、自分たちが宮廷薬師っていう地位を失うんじゃないかって怖いのよ」

「みっともないわね」

「ごちゃごちゃとなに言ってやがる」

「陛下も、なんでお前らなんかに大事な王子を任せるんだか。治療と見せかけて、シウバ殿下を害してるんじゃないのか?」

「九年前にシウバ殿下が死にかけたのも、お前らの仕業だったりしてな」

「でたらめなことを言わないでください」

 怒りを抑え、ヴェロニカは努めて冷静を装った。

 シウバが神力なしに生きていけない理由――彼には心臓がないからだ。ではどうして生きているのか。

 彼の胸には、〈核〉が埋め込まれている。

 九年前、シウバは処方された薬を口にし、意識不明の重体に陥った。毒草が混じっていたのだ。腕のいい医師や薬師が集まって治療が施されたものの、回復はあり得ないとまで言われてしまった。

 困り果てた国王が最後に頼ったのは、魔術師であるゼクスト家だった。どんな術を使っても構わない、いくらでも金は出すと言い募る王に名乗りを上げたのは、叔父のナクシャだった。

 彼は提案した。「幻獣のように、〈核〉を埋め込んでみてはどうか」と。

〈核〉は神力の塊だ。ナクシャはそれを作り上げ、シウバに埋め込んだ。果たしてシウバの心臓は止まったものの〈核〉のおかげで一命を取り留めた。

 神を信仰する筆頭である国王が魔術師を頼った、しかも息子に幻獣の原動力と同じ〈核〉を埋め込ませたというのは外聞が悪い。この事実は伏せられ、ゼクスト家は類まれなる技術で治療を完遂させたということになり、シウバもしばらくは何事もなく生活した。

 けれどナクシャ自身の神力に問題があったのか、〈核〉は保有した神力が全て体に巡りきると動きを止めてしまう、不完全なものだった。定期的に補給すれば問題ないことが判明したため、それ以降、ゼクスト家はシウバ専属の薬師と称し、彼に神力を補給しているのである。

「シウバさまが重体になったのは事故だって、あなたたちも知っているはずですが」

「それを仕組んだのはお前らじゃねえかって言ってんだよ」

「なんのために?」

「陛下に取り入るためさ。宮廷薬師って称号を取り戻すために、まずはシウバ殿下から篭絡したんだろ?」

「そんなものに私たちゼクスト家は興味ない。何度もそう言っていますよね?」

 それに、とヴェロニカは目を細めた。哀れみに満ちた視線が、男たちを順に射貫いていく。「その称号に固執しているのはあなた方ではありませんか?」

 自分たちは王宮に仕えている素晴らしい薬師だと喧伝し、多くの信用と金を得ているのだろう。いかに裕福な暮らしをしているかは彼らの服装から察しがついていた。しかしゼクスト家に今の地位を追われると、失うものが多いと考えているのだろう。だから必要以上に威嚇してくる。

 仕方がない。もともと彼ら一族は田舎町の小さな薬師だった。それが現在の地位について力をつけたのだ。何としてもこの名誉と地位を手放したくないに違いない。

 ヴェロニカの一言に、男たちがそろって顔を赤くした。

「女だからって優しくしてやると思ったら大間違いだぞ」

「っ……」

 男たちがじりじりと距離を詰めてくる。後ずさって逃げようにも退路は塞がれていた。キサリはなんとか男たちを妨害しようとしているが、そよ風に頬を撫でられたところで彼らが止まるはずもない。

 どうしよう。このままでは危ない。いっそのこと彼らを殴ってでも逃げ出すべきだろうかと考え、実行に移そうとした時だった。

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