第2話

 二百年前まで、ヴェロニカの暮らすエストレージャ王国をはじめ、世界各国にはゼクスト家のような魔術師が多くいたという。魔術師は神力イラ で不治といわれた病を治したり、干ばつの続く地域に水を湧かせてみせたりと、不可思議な術を使って人々から尊敬された。

 彼らはある時、のちに〈幻獣〉と呼ばれる人工生命体を作り出すことに成功した。ケルベロスやドラゴンといった、伝説の存在を模った生物だ。彼らは心臓を持たず、神力の塊である〈核〉を有し、それを破壊、あるいは摘出されない限り半永久的に生き続けた。

 魔術師の所業は、はじめこそもてはやされた。神が人を作ったのと同じように、魔術師も生命体を作り上げたからだ。幻獣は民に癒しや実りをもたらしてくれることもあり、地域によっては幻獣信仰も芽生えていった。

 評価が一転したのは、材料に人間を使用していると露呈してからだ。

 幻獣は神力のほかに、動物や植物、鉱石などの材料がなければ作れない。そのうちの一つに、奴隷や身寄りのない子どもを使用していると発覚してしまった。いつか自分たちも材料にされてしまうのでは、と民衆が恐れたことにより、魔術師たちは次第に蔑まれ、疎んじられるようになった。さらに元から魔術師たちを快く思っていなかった、神を信仰する者たちの声に押され、一家処刑や離散などで、魔術師は表舞台から姿を消した。

 そんな中、ヴェロニカのゼクスト家は魔術師でありながら現在も残っている。

 幻獣は作成したが人間を材料にすることはなかったとか、ゼクスト家の作り出した幻獣は人々の役に立っているとか、理由は様々あるが、一番の理由は「優秀な薬師だったから」だろう。

『ゼクスト家は魔術師だけれど、同時に当時は宮廷薬師だったのよ。世代を経るごとに神力が薄れていることに、大昔のゼクスト家当主は誰よりも早く気付いていたのね。神力を使わずに人々を病やケガといった苦しみから救えないかと考えて、薬草に目を付けたの』

 ヴェロニカは馬車に揺られながら、子どもの頃にキサリが教えてくれたことを思い出していた。向かい側に座るナクシャは案の定、持ち込んだ書物を読みふけっている。ちなみにキサリは風を感じたいと言って、姿が見えないのをいいことに御者の膝に座って景色を堪能している。

『ある日、王さまが倒れて死にかけたの。ゼクスト家当主は神力を使わずに治して、しかも王さまは見事に回復した。技術が認められて、ゼクスト家は周りの魔術師たちがどんどん散っていく中で、今後二度と幻獣を作成しないことを条件に、存続が認められたのよ』

『神力を使っちゃダメとは言われなかったのね』

『もし最高の薬を作っても治らなかったら、その時こそ神力の出番だもの。神力まで禁止しちゃったら、本当にどうしようもない時に打つ手が無くなっちゃうから』

 ゼクスト家のほかにも、魔術師たちが作り出した多くの幻獣や、それの調査・記録および管理を担う魔術師の家系が一つ残っている。

 ただ、幻獣は今でも信仰されているのに対し、魔術師に向けられる視線は決していいものではない。世間一般の人々にとって魔術師は等しく「神の真似ごとをした愚かな人たち」だからだ。

 幻獣作成が全面的に禁止された現在も、隙あらば幻獣を作ろうとしているのではという疑いが晴れることはない。薬師として大成していても、負の印象があまりに強すぎるのだ。

「当主になるってことは、その視線に一番晒される立場でもあるものね……」

 それに耐えられるほど、ヴェロニカは強くない。ただ、アウグストは引きこもりゆえヴェロニカよりも弱い。そもそも身内以外の人と相対するのが非常に苦手なのだ。

 対人面と神力の有無でいうと当主に適格なのはヴェロニカだろうが、薬草の知識が豊富なのはアウグストだ。二人を足して二で割るとちょうどよい塩梅になるに違いない。

「いっそのこと叔父さまが当主になればいいのに」

「ん、呼んだ?」

 ナクシャが顔を上げる。寝不足の状態で読書を、しかも馬車に揺られながら続けていたせいか、酔ったのだろう。微妙に顔が青い。母から次期当主を打診された件について伝えると、ナクシャは「残念だけど」と苦笑した。

「魔術師の場合、家を継ぐのは長子と決まっている。基本的に俺のような次男は家督を継げないんだ」

 一般的に魔術師が子どもを産むと、神力を最も強く受け継ぐのは長子だと言われている。もちろん例外もあるが、ゼクスト家の歴代当主は長子の場合が多い。

「お父さんが亡くなった時に叔父さまが当主にならなかったのは、その子どもである私とアウグストがいたから?」

「そういうこと。もしも兄貴に子どもが……ヴェロニカとアウグストがいなかったら、その座についていたかも知れない」

 もっとも俺はそんなものに興味はないけど、とナクシャは再び書籍に視線を落とした。

 ゼクスト家の先代当主はヴェロニカの父だった。だがヴェロニカが一歳の頃、食中毒で若くして亡くなっている。それ以降は母がゼクスト家の当主代理になり、ナクシャは母の補佐を務めている。『婚約を破棄されてしばらくは独り身が決定してね。急に代理なんて、義姉さんは慣れないだろう? 俺で良ければしばらく手伝うよ』という本人からの提案だ。

 ――長子しか継げないだとか、当主になるには神力が必須だとか、決まりごとばっかり。

 規則がいちいち時代遅れなのだ。頭が固すぎて時々いやになる。

 でも。ヴェロニカは窓枠に肘をつき、ゆっくりと暮れていく空を眺めながら思った。

 ――私が当主になったら、そのあたりの規則を変えられるってことでもある。

 それなら当主になるのも悪くない、と考えたのは、ほんの一秒程度だった。


 ゼクスト家を出発して、馬車で三日。ヴェロニカとナクシャ、ついでにキサリは王宮にいた。

 エストレージャ王国の王宮はけっして絢爛豪華ではないが、周囲の木々や広大な庭の緑と、白一色に統一された壁の調和が美しい。長方形の城壁に囲まれた中には、王族の住居、歴代の王が蒐集した美術品を収める博物館や図書館、霊廟など複数の建造物が存在する。

 国王への謁見を済ませたあと、ヴェロニカはまだ国王と話があるというナクシャと別れ、キサリと共にとある部屋に赴いた。

「この王宮がどうして『雲雀宮』って呼ばれるのか知ってる? ある時代の王の后に由来するんだ。彼女の歌声は雲雀のさえずりに似た美しさで、可憐だった」

 ヴェロニカの前に座る青年が言う。くせのない艶やかな黒髪は下の方でゆるく結ばれ、胸の前にさらりと流れている。長いまつ毛の下で輝く瞳は、儚く輝く星々の瞬きを閉じ込めた夜空のような深い瑠璃色。桜色に色づいた肌はヴェロニカ以上にきめ細かく滑らかで、優しげな弧を描く唇からはどこか冷やかで中性的な声がこぼれ落ちる。

「そうなんですか」と相槌を打ちながら、ヴェロニカは青年の細い手を握りこんだ。つないだ部分から自分の神力を彼の中に注ぐのを思い浮かべ、それを絶やさない。

 細いのは手だけでなく、体もだ。胸板は薄く、肩に羽織ったまま袖を通していない黒い上着が分厚いせいで、今にも潰れそうに見える。体の線にぴったりと沿った光沢のあるパンツからも、脚の華奢さがうかがい知れた。

 どれだけそうしていただろう。そろそろ体の隅々まで神力が行きわたっただろうかと顔を上げると、「もう大丈夫だよ」と青年が微笑んだ。

「お加減はいかがですか、シウバさま」

「指先まで問題なく動くし、気分も今朝よりずっといい」

 何度も手を握って、開いてを繰り返し、シウバと呼ばれた青年は満足げにうなずいた。調子が良さそうで一安心し、ヴェロニカも胸を撫で下ろす。一カ月ぶりに顔を合わせた直後は、今にも倒れそうなほど覇気がなかったので心配したのだ。

「ヴェラに神力を貰うようになってからとても調子がいいよ」

「だからといって、あまり無理はなさらないでくださいね。例えば激しい運動をした時などは、」

「そのぶん神力が消費されちゃうから、いつもより早く動けなくなるんでしょ。分かってる、気を付けてるから安心して」

 体に神力が満ちて、いくらか機嫌が良くなったのだろう。シウバはふんふんと楽しそうに鼻歌を奏でた。雲雀宮の名の由来となった后が好んでいた歌だという。聞き覚えがあったのか、キサリが「それって」と興奮したようにずいっと彼に顔を近づけた。

「『わがままな闇の月へ』ね? 光の神が、妻である闇の神に贈った愛の歌! アタシ大好きなのよ」

「いいよね、これ。子どもっぽくて時々困るけど、そんなところも愛おしいって、何度も告げるんだ。きっと雲雀の后は、この歌と同じように夫を愛していたんだろうね」

「あ、王子さまもそう思う? アタシもなのよ。気が合うわー」

 王子さま――キサリが言った通り、シウバはエストレージャ王国の王子の一人だ。歳はヴェロニカより二つ上の十九歳で、とある事情により、定期的に神力を注がれなければ生きていけない体をしている。

 ヴェロニカが王宮を訪れたのは、シウバに神力を補給するためだ。最初はナクシャが担当していたが、三年前からヴェロニカに任されるようになった。「ナクシャよりヴェロニカの持つ神力の方が質がいい」と母が判断したのだ。

 月に一度ヴェロニカの神力を注がれるからか、シウバにはキサリの姿が見える。キサリは普段ヴェロニカとしか話せないから、彼と話すのはとても楽しそうだ。

「この一カ月でどこかお出かけしたの? 前来た時に無かったものとかあるもの」

「色々と行ったよ」例えばあれ、とシウバは窓際の机を指さした。前からあった気がしながらヴェロニカとキサリがそろって目を向けると、「机じゃなくて、上に乗ってる石の方ね」と正される。近づいてもいいというのでそばに寄ると、確かに丸みのある少し平たい石が乗っていた。手のひらより一回り小さいくらいの大きさで、色は透明感のある深緑。石を支える台座は銀で、草のつるを象っていると思われる。

「わ、すごいキレイですね。なんですかこれ?」

「ヒスイって宝石らしい。レナンシアを知ってる?」

「海を越えた先の国ですよね」

「そこの名産品なんだよ。王女の誕生祝いに招かれた時に、貰ってきたというか押し付けられた。『貴国との友好関係の証に』だってさ。ヴェラはあそこ行ったことある?」

 ヴェロニカはいいえと首を振った。旅をしたことはほとんどなく、王都より遠くの場所に行ったことがない。興味がないわけではないのだが。

「叔父さまは行ったことがあるそうなんですが、ひどい船酔いをしたらしくて。それを聞いて、なんだか船に乗るのが怖くなってしまったんです」

「あいつ見かけによらず案外軟弱なんだねえ。今回もナクシャと来たの?」

「はい。私が成人するまでは付きそうと。前任者として、未熟な私を一人で王宮まで行かせるのは心配なんでしょう」

「往復で六日かかるんだっけ。いっそのこと王宮に住んだらいいのに。いちいち時間をかけて来ずに済む」

「そうしたいのは……」

「やまやまなんだけれど、ねえ……」

 ヴェロニカとキサリが顔を合わせて苦笑していると、シウバも察したように眉間に皺を寄せて小さく唸った。

「仕方ないか。手は打つつもりだけど……まあいいや、お茶でも飲もう。長旅のうえ、僕に神力を注いで疲れただろ」

「いえ、お気遣いなく! 神力がほかの人よりも多いからでしょうか、シウバさまに注いでもあんまり疲れないんです」

「『まったく』ではないんだろ。いいから、大人しく振る舞われときなよ」

 シウバが指示を出すと、部屋のすみに控えていた従者が茶を用意した。甘やかな香りがふわりと鼻をくすぐる。珊瑚色の水面に花びらが一枚浮かぶさまは、まるで穏やかな湖に浮かべられた小舟のようだ。

 ヴェロニカとシウバが茶を堪能しているのを見て、羨ましそうに指をくわえたのはキサリだ。

「美味しそうねえ。こういうとき、アタシにも体があったらなあと思うわ」

「キサリはいわゆる幽霊だよね? 誰かに……例えばヴェラに憑りついたりしたら、食事を楽しめるんじゃないの」

「そうなの? 憑りついてみる?」

「イヤよ! アタシってただの幽霊じゃないし、おかしなことをして、もしも何かあったら怖いもの! 可愛いヴェラを危険な目にあわせられないわ。それにそんなことしたらレティシアに怒られちゃう」

 母は怒ると怖い。小さい頃、アウグストと二人で度が過ぎたいたずらをして怒られたものだ。当然間近にいたキサリも目撃している。それを思い出したのか、彼はぶるりと震えていた。

「あ、そうだ。今回はどれくらいこっちにいる予定?」

「三日くらいでしょうか。シウバさまの体調に問題がないか、少し様子を見なければなりませんから」

「……うーん、ちょっと短いかな」

「え?」

「頼みたいことがあったんだ。薬師としてじゃなく、魔術師としてのゼクスト家に。だから滞在を伸ばしてもらいたいんだよ」

 シウバは王族として、国内の各領地へ視察に赴くことが多い。その際、山あいの町で不穏な噂を耳にしたのだという。

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