三章――①

「お前が見ている夢と同様、僕が見ている夢でも壱花は無抵抗だな。死んでいるんだから当然か」

 壱花の身に起こったことを夢で追体験しているのではと壮悟が話すと、助手席に座る榛弥は納得したように口の隙間からひょこりと伸びている白い棒を揺らしていた。たばこではなく棒付きキャンディーである。

「やっぱ俺が見た夢の時に壱花ちゃんは死んだんやよな」

「だと思う。そもそも山道を転がり落ちたんだろ? その時点で体力は消耗していただろうし、雨も降ってるなら気温も低いはずだ。埋められてから死亡するまであまり時間がかからなかったかもな」

「ひいじいちゃんはどこに壱花ちゃんを埋めたんやろ……」

 壮悟はちらりと窓の外に目をやった。のどかな景色の中を流れていくのは山の木々だ。

 ここに壱花が埋められていたのかもしれない、と想像するのは安直だろうか。

「少なくとも、その場の思いつきで埋めたにしては隠し方がうまかったんだろうな。僕の夢で壱花はひいじいさんに掘り起こされてるんだし、それまでは誰にも見つからなかったってことになる」

「しかも燃やされたんやろ? ってことは……」

「証拠隠滅以外に考えられない。そのあとの冷たくて暗いところに閉じ込められるっていうのだけ、いまだによく分からないんだが。可能性が高いのは墓だけど、うーん」

「ハル兄でも分からへんことあるんやな」

「別に僕は全知全能ってわけじゃないぞ」

 キャンディーが全て溶けてしまったのか、榛弥は窓ガラスに息を吐きかけて、白い棒の先でなにか描き始める。

「見てみろ」と言われたものの、あいにく壮悟は車を運転中である。よそ見など出来ない。赤信号で停まってようやく目を向けることが出来たが、すでに榛弥がなにを描いていたのか分からなくなっていた。

 ――見たところで分かっとったか怪しいけどな。ハル兄、絵ド下手やし。

 信号はすぐに変わる。壮悟はアクセルを踏みながら、「なに描いとったん」と榛弥に訊ねた。

「家の屋根にある飾り瓦の正体だ」

「あー、昨日言いかけとったやつか。馬でも鹿でもない」

「あれは〝キリン〟だ」

 言われた直後、壮悟が頭に思い描いたのは首が長くて斑紋のある、動物園でよく見かける動物だ。しかし榛弥は従弟の貧困な発想を予想していたのか、こちらが口を開くより先に「首が長い方じゃない」と訂正される。

「僕が言っているのは中国神話の方の麒麟だ」

「ハル兄がよう飲んどるビールの缶に描いてあるやつ?」

「そう、そっち。伝説上の霊獣で、遠目に見れば馬や鹿に見えなくもないだろうが、龍の顔に牛の尾を持つと言われている」

「ふうん。ほんで、ハル兄はそれに気付いて昨日は調べもんしとったと。なんか分かったことあったん?」

 うなずきながら、榛弥は慣れた手つきで長い髪を結ぶ。仕事のオンオフは髪を結ぶかほどくかで切り替えているようだ。

「僕がじいさんから民俗学の影響を受けたように、じいさんはひいじいさんから影響を受けたんだと思う。書庫にあった本から察するに、ひいじいさんが興味を持っていたのは陰陽いんよう五行ごぎょうだったようだが」

「オンミョ……なんて?」

「陰陽説と五行説がまとまって出来た思想のことをいう」

 さっぱり分からないと首を横に振ったところで、榛弥の准教授スイッチが入ったらしい。

「『この世のあらゆるものは陰と陽で出来ている』というのが〝陰陽説〟。天と大地、太陽と月、男と女。分かりやすく言えばプラスとマイナスだ。この陰陽が影響しあって世の中は栄枯盛衰をくり返していると考えられている思想。一方の〝五行説〟は『水・火・木・金・土という五つの物質が互いに作用しているとして森羅万象を読みとく自然科学、哲学』とでも考えてくれればいい。ちなみに日本の陰陽道のルーツはこれだな。陰陽五行説の起源はこの前話した呪禁じゅごんと同じように中国で、八卦はっけや十二支、十干じっかんとかも組み込みながら発展していった」

 分かったような、分からないような。秋麗が集めたであろう関連本が書庫に大量にあるから読んで理解を深めろと言われたが、榛弥の説明ですら理解が追いつかないのに本を読んですべて納得できるかは怪しいところだ。

「とりあえず『木火土金水もっかどごんすい』って語呂で頭に入れておけ。覚えやすいだろ。話を進める。陰陽五行ではさっきの五つの要素に様々なものが割り当てられる。〝火〟を例にして言うと『色は赤、方角は南、季節は夏』だ」

「ほんなら〝水〟の色は青なん?」

「いや、青は〝木〟なんだ。〝水〟は黒。ちなみに〝土〟が黄で〝金〟が白」

 どこをどう見れば水が黒色なのか分からないと困惑する壮悟に、榛弥は「そういうものだと思っておいた方が楽だぞ」とだけ言う。

「……で? その陰陽五行説と、さっきの麒麟となんの関係があんねん」

「五つの要素には様々なものが割り当てられるって言っただろ。その一つが〝神獣〟だ。朱雀や青龍なら聞いたことあるだろ」

「あ、それなら分かるわ。漫画で見たことある。白虎とか、玄武とかもそうなんやろ?」

「そう。で、麒麟もその中に組み込まれている」

 話しているうちに駅に着いたが、榛弥は車から降りようとしない。今日は先日の反省を踏まえて余裕を持って家を出てきたため、電車が到着するまでまだしばらく時間があった。駐車場のかたすみに車を停め、壮悟は榛弥の講義に耳を傾ける。

「神獣は各方角にそれぞれ割りふられる。朱雀は南、青龍は東。白虎が西で、玄武が北を司っているとされる」

「じゃあ麒麟は?」

「中央。だから麒麟の飾り瓦は家の中央に位置する場所に乗ってるんだ」

「……はあ、なるほど。調べとったことってそれ?」

「最後まで聞け。――家のサンルームにステンドグラス風のガラスがあるのは知ってるだろ。あれの絵柄は赤い鳥で、しかも部屋は南向き。僕がなにを言いたいか分かるな?」

 これまでの話をふり返り、壮悟は悩みながら己の考えを口にした。

「……ステンドグラスの柄は朱雀ってこと?」

「正解」と榛弥が手を伸ばして頭をがしがしと撫でてくる。少しだけ恥ずかしいが悪い気はしない。「そこで僕はさらに思った。『中央に麒麟、南に朱雀、北に玄武があるなら東西はどうなんだろう』と」

「は? 玄武?」

 壮悟の記憶が確かなら、玄武は亀と蛇が合体したような姿のはずだ。

 そんなものが乙木家にあっただろうか。榛弥はなぜかきょとんとした表情で目を瞬いている。

「お前が寝泊まりしてる座敷にあるだろ、玄武。床の間に」

「……そういやぁあるな……黒っぽい亀の置物……」

 玄武は北を司ると言っていたが、思い返してみると床の間は北側にある。

「気づいてなかったのか」

「あることは知っとるけど、ただ置物やと思うやろ、あんなん。ってことはなに? 東西にもあったん?」

「あった」と榛弥はスマホを操作した。表示されたのはどこかの部屋を映した写真だ。「まずは西。居間の隣にある部屋――ばあさんの部屋だな――に絵が飾ってあったんだが、それが白虎だった」

 居間と祖母の部屋は襖で遮られ、壮悟も榛弥も用事がない限り立ち入ることは滅多にない。写真は長押なげしのあたりを映しており、横に長い額縁が飾られている。それに収められているのは竹林の中で牙をむく白い虎だ。夜を描いたものなのか、背景には三日月が浮かんでいる。

 榛弥はいつからこの絵があったのか祖母に聞いたそうだ。少なくとも祖母が嫁いできたときにはすでに飾られており、特に外す理由もなかったためそのままにしてあるという。

「最後に東、青龍。これは応接室の壁紙だな」

 こちらも居間の隣にある部屋だ。祖母の部屋とは反対側にある。応接室は全面フローリングで、その南側にサンルームが位置する間取りだ。

 今まで意識して見たことはなかったが、壁紙には確かに龍が描かれている。一匹だけ大々的に陣取っているわけではなく、意匠化された何十、何百という龍が散りばめられていた。本来は青い色を放っていたのだろうが、経年劣化でくすんでしまったようだ。

「神獣は各方角を司る――守護している。ひいじいさんは魔除けとして各方角にこれらを配置することで、乙木家を守護してもらう意図があったんじゃないかと僕は予想したんだ」

「魔除け、なあ……わざわざ自分でデザインしてまで除けたい魔ってなんやねん」

「ひいじいさんが恐れそうなものが一つあるだろ」

 雨の夜、秋麗が土と枯れ葉で覆い隠した蠱毒の巫女が。

 時系列を考えて、事業で成功したという秋麗が乙木家の家屋を建てたのは戦後で、壱花を殺害したのは戦前、あるいは戦時中だと思われる。恐らく壱花の幽霊は秋麗のもとにも現れていたのだろう。曽祖父はそれから逃れるように、身を守るように、家の各所に神獣を配置したのではと榛弥は言う。

「そろそろ電車が来るか」

 後部座席に置いてあったリュックを取り、榛弥は助手席のドアを開けた。

「今日の帰りは少し早くなると思う」

「了解。駅着く前に連絡してくれたらええよ。俺は俺で話聞けそうな人のとこ行ってみるわ」

「頼んだ」

 榛弥がドアを閉めると同時に、駅の近くにある遮断機が下りた。ホームに向かう彼を見送って、壮悟はいったん乙木家に戻ることにした。

 住職が教えてくれた連絡先はまだ活用できていない。昨日のうちに連絡できればよかったのだが、と過去の自分を恨みたくなるが、昨日は昨日で落ち込んでいたのだから仕方がない。

 祖母なら何人か知っている人の名があるだろうし、この相手なら話を聞けるのではという助言をもらおうと思ったのだが。

「そういえば近所の人と買い物に行ってくるわとか言うとったな……」

 ついでに「夕方まで帰らないと思うから、お昼ご飯は昨日の残り物を食べてね」とも今朝言われたのだった。

 秋麗のことを知っていそうな人に連絡を取ったり、昨日荒れてしまった倉庫の整理をしたり、今日は大忙しになる予感がする。榛弥から難しい話を聞かされたせいで頭はすでに疲労を訴えていた。

「……あ」

 乙木家まで間もなくというところで、一つ思い出したことがあった。壮悟はハンドルを右に切る。周辺の道に比べて補修が後回しにされているのか、ひと気のない方へ伸びるアスファルトは少しがたついていた。

 たどり着いたのは村の中で最も山に近く、東の端に位置する広い空き地だ。敷地には売地の看板が埋め込まれ、立ち入りを禁じるロープが張られている。日が照っているというのに肌寒さがあるのは鬱蒼とした木々が日光を遮っているからだ。そばには春の祭りが印象深い神社の裏に続く道があるが、普段から誰も立ち入らないのだろう、山道は草花が茂ってとうてい歩けそうもない。

「ここに壱花ちゃんとこの洋館があったんやよな……」

 場所を教えてくれたのは昨日色々と教えてくれたきゑである。

 洋館は戦後に取り壊されたと聞いていたし、当時の面影がないのは分かりきっていたことだが、それでもどこか寂しさと残念さを感じる。壮悟は白黒写真を思いうかべ、かつて秋麗と壱花がここに立っていたことにぼんやりとした実感を覚えた。

 手がかりだとか、気づくことがあればと思って足を運んだのだが、これといってなさそうだ。念のため様々な角度から空き地の写真を撮って榛弥に送ると、間を置かず返信があった。

『敷地の裏手あたりにある草の写真を撮ってくれ。行くのが難しそうなら横の獣道でもいい』

「……なんで?」

 口に出したことをそのまま送信すると、『調べたかったことがある』と答えが来た。

 こんな雑草の集団みたいな写真を見てどうするのだろう、と思いながら、壮悟は何枚か写真を撮って送信した。お礼の返事はない。ますます首を傾げながら、今度こそ乙木家に戻った。

 車を乗り降りするたびにボディの傷が目に入って痛々しい。「絶対に犯人突き止めたる」と、榛弥が聞いていたなら「どうやって?」と追及されそうなことを呟きながら玄関に行くと、誰かがインターフォンを鳴らしていた。

 若い男だ。壮悟より十センチほど背が低いだろうか。黒いジャンパーの背中には鳥のシルエットと、〝くぐい亭〟と白い文字が書かれている。

「もしもーし、すみませーん。瑩子おばさんー?」

 インターフォンを鳴らしても応答がないため寝ているとでも思ったのか、男は祖母の名を何度も呼ぶ。どうしたのだろう、と壮悟は声をかけた。

「うわ、びっくりした」

「祖母は今出かけとるんです。なにか用事でしたか」

「ああうん、回覧板と地蔵さんをね、持ってきただけなんだけど。回覧板は別にいいけどさすがに玄関先に地蔵さんを置いて帰るのもどうかと思って」

 地蔵さん、と首を傾げる壮悟に、男は人懐こい笑みを浮かべて左手を掲げた。エコバッグと思われるしわだらけの袋には回覧板が入っており、木で出来た長方形の箱には近所の地蔵に仏飯を供えるための器が収まっているそうだ。

 そういう習慣があるのだなと思いながら祖母の代わりに受け取ると、男はなにやらじろじろと壮悟を見上げている。

「もしかしてさ、壮悟くん?」

「……そう、ですけど……?」

「うわー懐かしい! うわ、めっちゃ久しぶり。俺だよ、俺。覚えてない?」

「いや、誰?」

「カズキだよ。中江カズキ! 子どもの頃よく遊んだじゃん!」

 名前を言われて思い出した。

「あー! あれか、相撲大会の時に優勝した奴!」

 そうそう、とカズキは力強くうなずいた。子どもの頃に飛び入り参加した相撲大会で彼に敗北し、健闘をたたえあったのを機に、家が近いということもあってこちらへ遊びに来たときはたびたびカズキとも顔を合わせていたのを思い出した。

 彼の家族はため池の近くでボートの貸し出しや釣りを営んでおり、短大を卒業したカズキはそこを継ぐべく頑張っているのだという。

「けど最近はいろいろ問題もあるんだよ。ブラックバスを勝手に放っていくやつとかさ、池の中にごみを捨てるやつとかさ。ふざけんなよって感じ。誰がそれを拾うと思ってんだ。マナーを守れっての、マナーを。あとさあ、結構前に池で人が死んだとかで心霊スポット扱いしてくるバカとかいてさあ、夜中に肝試ししにくるわけ!」

「それは、まあ……うん、大変なんやな……」

「あ、やばい。そろそろ戻らねーと。じゃ、またな! うちのボートにカップルで乗ると別れないって迷信を広めようとしてるとこだから、いつでも乗りに来いよ! 半額で乗せてやるから!」

「それ頼む相手、俺やない方がええと思うぞ」

 カズキは豪快に笑いながら壮悟の背中を叩き、慌ただしく去っていく。受け取った荷物に目を落とし、次いで家をふり返る。中には雨織がいるはずなのだが、応対する気はかけらもなかったようだ。

 その後、壮悟は秋麗や壱花について知っているであろう連絡先リストに電話をかけ続け、今からでもいいと言ってくれた人のところには足を運んだ。やはりというか当然というか、話をしてくれた大半の人から「なんで調べてるんだ」と疑問が投げかけられ、そのたびに住職に説明したのと同じ言い訳を述べ続けた。

 秋麗たちの話も、基本的には住職やきゑから聞いた話と大差はなかった。新たに知ったのは、秋麗と曾祖母は親同士が意気投合したことでお見合い結婚をしたということと、非常に仲睦まじかったことくらいか。

 ――壱花ちゃんがひいじいちゃんを好きやったんは、一方的なもんやったんかな。ひいじいちゃんは……壱花ちゃんのこと、どう思っとったんやろ。幼馴染やったってことしか分かってへん。

 考え事をしつつ午後の時間は倉庫の整理にあてていたのだが、三時を回ったところで榛弥から迎えに来いと連絡があった。駅に到着するなり慣れた動作で助手席に乗り込んだ彼は、リュックから一枚のメモを取り出して壮悟に渡してくる。

「なにこれ? ……住所?」

「今日はそこに寄ってから帰るぞ」

「ええけど、どこなんこれ」

 壮悟が訊ねると、榛弥は朝も食べていた棒付きキャンディーをくわえながら言った。

「ひいじいさんの介助をしてた人のところだ」

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