二章――⑤

 頭と右腕以外はすっぽりと箱に埋もれていた雨織を救出しても、彼女から礼の言葉はなかった。スウェットに包まれた細い足であぐらをかき、雨織はいら立たしげに壮悟と榛弥を順に見やって舌打ちをするばかりだ。

 顔に擦り傷などはあるが、他にこれといった怪我はなさそうだ。一応救急箱を取ってくる、と榛弥が居間に向かう。壮悟は腕を組んで雨織を見下ろし、「そんで?」と眉間にしわを寄せた。

「何しとってん。整理は手伝わへんのとちごたんか?」

「うるさいな。気が変わったから手伝ってやろうとしただけでしょ」

「お前がやったんはただの倉庫荒らしやんか」

 壮悟は蛍光灯に照らされた倉庫の中を一瞥し、大きくため息をつく。

 今日まで丁寧に整理をしてきたはずなのに、雨織が片っ端から箱を開けて中身を見たのだろう、床には大量の品々が放置されていた。しかも箱が倒れたことで適当に置かれていただけのそれらはさらに散らかり、壮悟の努力は見事に水泡に帰している。

「手伝うんはええけど、それならそうと声かけてくれんと。どの箱は整理が済んどって、どれは終わってへんのかちゃんと教えたるんやし」

「あたしには関係ないし」

「お前に関係あらへんでも俺に関係あるんや。あーもう、せっかく売れそうなもんと捨てるもん分けとったのに、ぐちゃぐちゃやん……」

「おおかた〝探し物〟でもしてたんだろ」

 榛弥が救急箱を携えて戻ってくる。消毒してやるからこっちに来いと言われても、雨織は仏頂面のまま動こうとしない。どいてもらわないと倉庫の片づけができないのだが、壮悟の悩みなど彼女は知ったことではないのだろう。

 雨織が指示に従わないとみて、反対に榛弥がそばにいって消毒液と絆創膏を取り出した。子供じみた処置をされるのが気に食わないのか、彼女は顔を背けて抵抗している。

「雨織、昨日言ってただろ。『あんたらも探してんのかと思った』って。お前はなにを探してるんだ?」

「……別に。どうでもいいでしょ、そんなこと」

「言ってくれないと困る。倉庫と同じように書庫を荒らされても面倒だしな」

「あとさあ、言うてもろた方がなにかしら見つけたときにお前のかどうか聞きやすいやろ。片っ端から箱ぶちまけられるんはもう嫌やし」

「なにそれ。あたしには手伝うなっていうの?」

「荒らさへんのならいくらでも手伝えばええ。荒らさへんのならな」

 本当に手伝う気があるのなら整理の仕方を教えると言っても、雨織は無視を決め込んでくる。

 消毒を諦めた榛弥は絆創膏だけを彼女に渡し、荒れ放題の倉庫を眺めまわす。これと同じことが書庫で起きていたとしたら、間違いなく従兄は烈火のごとく怒っていただろう。それはそれで珍しい光景なので見たいような気もしたが、あまりの怒りぶりに怒られていないこちらまで竦むのが目に見えた。

「手近なものからぶちまけたって感じだな」

「もとに戻すんくらいは手伝えよ。お前がやったんやから」

「…………」

「返事は」と壮悟と榛弥がそろって問うと、雨織は渋々といった風にうなずいた。

 どれがどの分類か、ノートに書いておいて正解だった。壮悟は座敷からノートを取ってきて、過去の自分が書いた分類に従って散らばっていた品々をまとめていく。その最中も、榛弥は丁寧に箱に詰めなおしてくれるのだが、雨織はぽいぽいと投げ入れていくために何度か注意をして、そのたびに無視された。

 あからさまに不機嫌になられると、次第にこちらまでイライラしてくる。たびたび文句を言いあう壮悟と雨織を仲裁する榛弥も大変だったに違いない。

 結局、床に放置されていたものは箱に納まったものの、箱の並びまで元に戻すことはできなかった。

「で、もう一度聞くけど。お前は何を探してるんだ」

 榛弥が改めて問うと、片付けによる疲労で口答えする気力がなかったのか、雨織は意外と素直に答える。

「……ヘソクリ」

「は?」

「だから! じいさんのヘソクリ!」

 思わず目を見合わせる壮悟と榛弥の前で、羞恥か怒りか、雨織の顔がだんだん赤く染まっていく。

「葬式の前にじいさんの手帳読んだら、家のどこかにヘソクリが隠してあるみたいだったから! じいさんは死んだし、貰い手がないなら貰おうと思ってたの!」

「じいちゃんにヘソクリなんてあったんや」

「僕も初耳だけどな。っていうか貰い手がないならって、それ普通に窃盗にならないか?」

「窃盗とか、今さらだし」

「あ、もしかしてじいさんの手帳を破ったのもお前か?」

 榛弥が問うとびくり、と雨織の肩が震える。

 分かりやすい反応だ。図星らしい。

「それにヘソクリとやらの隠し場所でも書いてあったんだろ」

「なに。あんたらも探すつもりなわけ? 絶対に見せないからね! 言ったでしょ、邪魔したらぶん殴るって。二度と邪魔しないで」

 雨織は榛弥の肩を突き飛ばし、次いで壮悟に睨みを利かせながら倉庫を出て行った。

 邪魔をされたのはむしろこちらの方なのに、と反論する暇さえない。壮悟は肩をすくめて彼女の背を見送り、榛弥は珍しく戸惑ったように首を傾げていた。

「なんであいつはあんなに怒ってるんだろうな。僕なにかおかしなこと言ったか?」

「言うてへんと思うけど……どっちかっていうとおかしなこと言うとったん、雨織の方違う?」

 榛弥が窃盗にならないかと言ったとき、彼女は「今さらだし」と口走っていたはずだ。

 今さらというからには、他にもなにか良くないことに手を出しているのだろうか。

 風呂上がりの祖母が倉庫の様子を覗きに来る。先ほどの物音は浴室にまで届いていたのだろう。何があったのだと問う祖母に一通り説明してみたが、祖母も祖父のヘソクリとやらに心当たりはないようだ。

「あの人ヘソクリなんてしてたかしら……」

「まあ普通、しとったとしても他の人にはあんま言わへんやろ」

「そうだと思うけど、おじいさんの性格から考えてこっそりタンス預金なんてしてそうにないのよ。そのぶんのお金で本とかお土産とか買うような人だったでしょ」

「……それもそうやな」

「雨織がなにか勘違いしてる可能性もあるのか。あいつが破ったページになにかしら書いてあったのは間違いないだろうが」

「どうせならページ破ったりせんと手帳ごと持っていったらええのにな」

 そうすれば壮悟たちは手帳の存在など知るよしもなかったし、彼女が破ったページには何が書いてあったのかと興味を持たずにすんだのに。

 どうにか雨織が持っているであろう手帳のページを見られないかと考える壮悟の横で、榛弥は祖母に疑問を投げかけていた。

「雨織は金に困ってるのか?」

「さあ、分からないけど……どうして?」

「じいさんのヘソクリ探すほど困窮してるのかと思って」

 高校の頃から――といっても雨織はものの一年で退学になっているが――アルバイトはしていたはずだと祖母は言う。けれど実際のところ雨織がどれだけの収入を得ているのか詳しくは知らないらしい。聞いたところで教えてくれないからだろう。

「倉庫もヘソクリを探してただけじゃなくて、売れそうなものもあさってたんじゃないか。あるかどうかも分からないヘソクリを探し続けるより、売れるものを見つけた方が手っ取り早いし」

「こそこそやるつもりが箱が倒れて、俺たちがすっ飛んできて、計画はパアになったわけか」

「あくまで憶測だけどな」

「とりあえずお風呂は空いたから、温かいうちに入りなさいよ」

 ぺたぺたとスリッパを鳴らして去る祖母の背中にうなずき、「そんなら俺が先に入ろかな」と歩き出しかけた壮悟は、手を叩いて足を止めた。

「あのさ、ハル兄。ここの家の……なんて言ったっけ。飾り瓦? に馬があるん、知っとった?」

 知らなかった、初耳だという反応を期待していたのだが、予想に反して榛弥は「知ってた」とうなずいた。

「なんだ急に」

「いや、今日お寺さん行ったときに『お馬さんのところの方ね』って言われて……」

 車に傷をつけられていたショックが癒えない中帰宅した際、壮悟は乙木家の屋根を見上げた。住職が言っていた通り、確かに家屋の中央に位置するあたりにそれはあった。瓦というのでてっきり平面的なものを予想していたのだが、飾り瓦は立体的だった。風になびくたてがみや尾が遠目でも分かるほどリアルな出来で驚いたものだ。

 自分が知らなかったのだから榛弥も知らないだろうと思っていたのに、期待外れだ。

 そもそも榛弥は壮悟より六歳も年上なのだし、知っていてもおかしくないとなぜ考えなかったのだろう。己の浅はかさに肩を落とすと、榛弥は小ばかにするような笑みを浮かべていた。

「僕を相手にマウントを取ろうなんざ百年早い」

「ちょっとくらい知らんふりしてくれてもええやん。ハル兄のケチ」

「誰がケチだ。あとな、あれは馬じゃないぞ」

「あっ、それは俺もちょっと思てん」

 住職からは馬だと聞いていたが、よく見ると違うような気がしていたのだ。

 というのも頭に角が生えていたのである。馬に角は生えていないし、それなら鹿かとも思ったのだが、それも違うとすぐに気づく。

「長いひげが生えとるように見えたんやよな。けど鹿にそんなん生えとったっけ? って思て……」

「あの飾り瓦は馬でも鹿でもない。あれは――――あ、そうだ」

 榛弥は急になにを思いついたのか、目を丸くして固まった。答えてくれるものだと思っていた壮悟は危うくつんのめりそうになる。

「なんやねん急に」

「いや……もしかして……なあ壮悟。この家を建てたのはひいじいさんだったよな?」

「お、おう」

「デザインをしたのもひいじいさんだって、叔母さん言ってたよな」

「言うとったな。それがどうしたん」

「………………」

「ハル兄?」

「すまん、ちょっと調べたいことができた」

「は?」

 飾り瓦が馬でも鹿でもないならなんなのか、という壮悟の疑問には結局答えてくれず、榛弥は慌ただしく書庫に引きこもってしまう。入浴した壮悟が風呂が空いたと伝えに行った時も、従兄はろくな返事もしなかった。

 ああなると放っておくしかない。階段を上った壮悟は、廊下が軋まないよう気を付けながら座敷に進んだものの、何度かぎしぎしと音が鳴り、次の間の隣にある部屋を自室にしている雨織がうるさいと叫ぶ代わりに扉を殴りつけていた。

「……さて、と」

 壮悟は壮悟で確かめたいことがある。枕元には蝶の髪飾りとノートを置き、いそいそと布団に潜り込んで目を閉じる。

 もはや悪夢を見るのは習慣となりつつあり、慌てることもなくなった。今日もいつも通り秋麗あきよりに埋められたところで目が覚め、壮悟は体を起こした。

 ――壱花って名前、どっかで聞いたことあると思とったけど。

 ――ひいじいちゃんが夢ん中で呼んでる名前とおんなじや。

 ごめん、ごめんと謝る中で、秋麗は一度だけ名前を呼んでいる。

 壱花、と。間違いなく。

 さらにもう一つ思うことがあった。これまでのことを考えて、壱花の幽霊が現れるのは丑三つ時だ。それまでまだ時間がある。悪夢を見るために眠るというのも他人が聞けばおかしな話だが、壮悟はもう一度横になって目を閉じた。

 今回は悪夢を見終わった後に少しだけ深い眠りに落ちることが出来たのか、ぎし、ぎしと廊下が軋む音で目が覚めた。雨織が歩いているのではない、聞き馴染んだ軋みかただ。襖もいつの間にか開いている。

 やがて暗闇に沈む次の間から人影の顔が覗いた。白い着物に黒い髪、白い肌。白黒写真で見たよりもいくらか成長した姿の壱花だ。相変わらず「アキちゃん、アキちゃん」とくり返し秋麗を呼んでいる。

 初日以降、壮悟は返事をしたことも、声をかけたこともなかった。また荒ぶられると恐ろしいからだ。

 ――でも。

 返事があるかは分からないが、聞きたいことはある。

 わずかに腕が震えているのは気にしないことにして、壮悟は「なあ」と壱花に話しかけた。

「俺やハル兄が見てる夢って、君が体験したことなんやろ」

 返事はない。「アキちゃん」と呼んでいるだけだ。構わずに壮悟は続ける。

「夢ん中の俺は君やから、君が思てたことも知っとる。……壱花ちゃんさ、ひいじいちゃんのこと、好きやったんやな」

 秋麗が枯れ葉や土をかぶせてくる中で、壱花はずっと疑問を抱えていた。

 愛しい人。どうしてこんなことをするの、と。

 聞きたくても体に力が入らないし、なすすべもなく土で覆われていくしかなかった。

 きっと壱花は、この時に死んだのだ。身動きも出来ず、息も出来ずに。

 ――となると、ハル兄の夢はいつの体験なんやって思うけど。

 榛弥は「土から掘り起こされて、身動きができないでいる間に火をつけられて燃やされる。そのあと冷たくて暗いところに閉じ込められるところで終わる」と言っていたはずだ。

 埋められてから掘り起こされるまでどれだけの時間が経過していたのかは分からない。仮に掘り起こされたころには死亡していたとするなら、榛弥の夢は死んだ壱花の体験ということになる。

「……君は俺らになにを伝えようとしてんのやろな」

「アキちゃん。アキちゃん。……アキちゃん?」

 答えをくれないまま、壱花は蝶に変化した。無数の蝶が次の間から座敷に流れ込み、壮悟の喉からひきつった声が漏れる。

 いつもならここで気絶して、知らぬ間に朝を迎えている。

 ――でも!

 ぐっと掛け布団を握りしめ、壮悟は唇を噛みしめた。

 壮悟を襲った後、壱花はどうしているのか。今日はそれを確かめたいのだ。毎度気絶していたのでは自身の成長も得られない。

 本音を言えば悲鳴を上げて布団にくるまりたいし、恐怖のあまり気絶して朝を迎えたい。逃げ出したいと震える脚を押さえつけ、壮悟は全身にまとわりついてくる蝶に耐えた。

 壱花が幽霊で実体がないのと同様に、彼女が変化した蝶にも実体はない。現実のそれに襲われるよりは遥かにましだと無理やり自分を納得させてやり過ごす。

 どれだけ時間が経っただろう。ふいに蝶ははらはらと次の間まで戻っていき、再び壱花の姿を取った。自分で思っていた以上に息を詰めていたのか、壮悟ははあはあと半ば喘ぐように息を吸いつつ彼女を見る。

「……アキちゃん……アキちゃん……」

 また「アキちゃん」のくり返しか。少しばかり拍子抜けしたが、それも一瞬だった。

「……お願い」と、壱花が初めて秋麗の名前以外の言葉を口にした。「お願い。私を見捨てないで……」

「えっ」

 どういう意味だと問う前に、壱花は闇に吸い込まれるようにして消えた。

 はっと時計を見ると、針は二時三十分を回ったところだ。

「見捨てないでって……なんや……?」

 ひとまず今の一言をノートに書き込んで、壮悟は蝶の髪飾りを手に取った。これと同じものが彼女の頭に飾ってあったかどうか、暗がりにいたせいでよく見えなかった。

「聞きたいこと、もう一つあったんやけどな」

 山道を転がり落ち、気絶している秋麗の下敷きになった壱花はひどい焦燥感に苛まれていた。

 ――このままここにいてはいけない。愛しいこの人と、自分は遠いところへ逃げなければ――

「……君はなにから逃げようとしとったんや?」

 開いたままの襖の向こうに問いかけても、返事がくることはなかった。

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