二章――③

 寺の門をくぐってすぐ右側にある邸宅の玄関で、壮悟はインターフォンを鳴らす。某コンビニの入退店時によく聞く音楽が流れたあと、鏡餅に似た体系の中年女性が玄関の戸をからからと横に引いた。女性は壮悟を足元から順に見上げ、どちらさまですかと言いたげに目を細める。

「朝早よにすみません。昨日お電話させていただいた暁戸――じゃない、乙木と言います」

「ああ、お馬さんのところの方ね。どうぞ上がって。すぐに住職を呼んできますから」

 ――お馬さん?

 どういうことだろうと気になったが、せっかちな気質なのか女性は壮悟にたずねる時間をくれない。さあさあこちらへと女性に案内されたのは参道を臨む和室だった。座布団の一つに腰を下ろして間もなく、襖の向こうから法衣姿の老人が現れる。

「お待たせして申し訳ない」と軽く会釈して、老人は机を挟んだ壮悟の向かい側に腰を下ろした。八十代と思われるが、背中もしっかり伸びて足腰にもぎこちないところはない。禿げているというより、毛はあるのだが一本一本が細いために頭皮が透けてみえ、額や目じりのしわには貫禄が漂っていた。

「こちらこそ、朝からお時間をいただいて申し訳ないです」

 壮悟が寺を訪れた時刻は朝の九時だ。こんな時間から押しかけて迷惑ではないかと遠回しに訊ねると、住職は「お気になさらず」と朗らかに笑う。

「乙木さんのところのお孫さんだとか。確かにお顔が万梨子さんによく似ておられますね」

「よう言われます。……あの、〝お馬さんのところの方〟っていうのは、なんですか」

「乙木さんのお宅の屋根には飾り瓦があるでしょう。ほら、ちょうど家の真ん中あたりに。あれが馬に見えるというので、ご近所さんはそのように呼んでおられるみたいですよ。かくいう私もその一人ですが」

 馬の瓦なんてあっただろうか。今まで意識して見上げたことがないため気づかなかった。なるほどとうなずいたところで、先ほどの女性が二人の前に湯呑みと茶菓子を置いていった。年齢から考えて住職の娘か、あるいは住職の息子の妻なのだろう。

「ところで、今日はどういったご用件ですか」

「ああ、えっと、ちょっと調べとることがあるんです」

 壮悟は上着のポケットから写真を取り出し、机の上に滑らせた。秋麗と少女が写っているものだ。

 昨日、雨織が帰ってきた後も榛弥とあれこれ議論を重ねていたのだが、とりあえず壮悟はここに写っている少女が何者なのか突き止めてくれと言われたのだ。しかし祖母に知っている様子はないしどうすれば、と悩んでいると、「お寺さんならご存じなんじゃないかしら」と祖母に提案された。

 仮に住職を八十歳として、秋麗が死んだ五十年前なら彼は三十歳だ。乙木家は檀家であるし葬儀や法要で世話になっていただろうから、もしかすると面識があるかもと榛弥も言っていた。

 思い立ったが吉日である。壮悟はすぐに寺に連絡を取り、午前なら空いていると言われたためにこうして訪れたのだった。

 住職は懐から眼鏡を取り出し、じっと写真を観察したあとに「秋麗さんかな」と呟いていた。どうやら顔見知りだというのは当たっていたらしい。壮悟はひとまず胸を撫で下ろした。

「大学での研究の一環で家の整理をしていたら、その写真が出てきたんです」

 大学で研究しているのは榛弥であって壮悟ではないし、研究の一環というのともちょっと違うのだが、違和感を抱かれない無難な説明としてはこれが最適だろう、と榛弥と相談した言い訳を流れるように口にする。

「研究、といいますと……」

「自分のルーツを辿る、みたいな感じです。ほら、血筋を辿っていくと意外な有名人にたどり着いたりするやないですか。それを調べてるんです」

「はあ、なるほど。最近はそういう研究もあるんですね」

 ひとまず住職は納得した様子だ。内心で「嘘ついてすみません」と謝って、壮悟は写真を指さした。

「男の子の方は曽祖父やと分かったんですけど、女の子の方は曾祖母ではないと祖母から聞いて。ほんならこれは誰なんやろって気になって、お寺さんならご存じなんと違うかって言われたので、伺いに来たんです」

「はは、それは正しい判断でしたね」

「それじゃあ」

「ええ。よく知っております。とはいえ秋麗さんの方はともかく、女の子の方に関しては一、二度会ったことがある程度です。それも私が四、五歳の頃なので、もう八十年も昔のことですが」

 そんなに前のことなのによく覚えているものだ。はあ、と我知らず関心の吐息が漏れる。

「このお写真でも分かるかと思いますが、彼女はとても美人でしょう。〝村のアイドル〟とでも言いましょうか……一度見ると忘れられないような、強烈なお方でした」

「……これは誰なんです?」

「壱花さん、といいます。姉石壱花さん」

 はっと視線を感じて右隣を一瞥する。

 幽霊の少女がいつの間にかそこに立っていた。彼女はうつろな視線で写真に目を落とし、特に何を言うこともなく霞のように姿を消す。どうされましたか、と住職に問われたのをなんでもないと首を振り、壮悟は写真の中の少女を見つめた。

 ――壱花っていうんやな、あの子。

 聞いたことのない名だと思っていたが、いや、と違和感が胸をかすめる。

 ――どっかで聞いたことあるような気がするな……。

「その写真は恐らく、姉石さんのお宅の前で撮ったものでしょう」と住職は湯呑みの緑茶をすすり、懐かしそうに目を伏せた。「こう言ってはなんですが、村にはあまり似合わない洋風のお屋敷にお住まいでした。もうそのお宅はありませんが」

「取り壊してしもたんですか?」

「……洋館を維持していくためには、壱花さんが必要不可欠だったのでしょう。彼女が居られなくなってすぐにお屋敷は無人になり、戦争が終わるころには廃墟になっていましたね。その後、倒壊の恐れがあるということで取り壊されました」

「戦争……第二次世界大戦ですか」

「ええ。そういえば秋麗さんも徴兵されていたんだったか……」

 戦争で命は助かったようだが、住職の話によると戦地で足を負傷し、晩年は杖や人の支えがあってようやく歩ける程度まで弱っていたそうだ。そんな状態でため池まで赴き、自ら命を絶ったというのか。

「住職は曽祖父と話したこと、ありますか」

「法事で乙木さんのお宅へお邪魔したときに、何度か。口数はあまり多くありませんでしたし、会話といっても当時のニュースとか、次は誰々の法事が何年後にあるからという話題ばかりでしたね」

 秋麗の印象については祖母が語っていたものと共通している。

「あの、さっきこの子――壱花ちゃんが居らんようになったて仰ってましたけど、それはどういう……?」

「さあ、それが分からないんですよね。ある日突然、姿を消してしまわれて。なんの前触れもなく急にいなくなったものだから当時は村中大騒ぎだったと、父から聞いたことがあります」

 結局どれだけ捜しても、何日待っても壱花が戻ってくることはなかったそうだ。

 それはそうだろう、と壮悟は思いながら先ほどまで幽霊の少女――壱花が立っていたあたりをちらと見る。

 ――この子が居らんようになったのは、死んでしもたからや。

「……壱花さんとひいじいさんは、仲良かったんですか?」

「幼馴染だったそうですよ。けど壱花さんが有名になられてからは近寄りがたかったのか、秋麗さんが一緒にいるところは見かけなくなりましたね。時期的なことを考えると、秋麗さんがあなたのひいおばあさんと婚約されたのも、そのあたりかな」

「有名? そんな有名人やったんですか、この子」

「いい意味でも、悪い意味でもね」

 どういうことだろう。さらに詳しく聞こうとしたのだが、話の腰を折るように電話のコール音が聞こえてきた。女性が電話を取ったようだが、さほど間を置かずに彼女が子機をもって現れる。住職はあれこれと話を聞いて通話を切ると、すまなそうに眉を下げて壮悟を見た。

「お話の途中で恐縮ですが、急用が入ってしまいました」

「いえ、気にせんといてください! この子が誰か分かっただけでもじゅうぶんです。こちらこそお時間を割いてくださってありがとうございます」

「もし他にも秋麗さんや壱花さんのことについて知りたければ、人を紹介しますけどどうしましょう」

「ぜひお願いします」

 秋麗と壱花が幼馴染であったことは分かったが、住職との話で彼女についての謎は深まるばかりだ。

 壱花が生きていた当時のことを知る人物は年代的に数少なくなっているし、生きていても記憶が定かでなくなっている人もそれなりにいる。住職はそれ以外の人の中から話をしてくれそうな人物を何人か教えてくれたし、住所と電話番号を書いたリストも書いて渡してくれた。一部の相手には住職自らが連絡を取ってくれた。

 最後まで世話になりっぱなしだったお礼を言って、壮悟は寺を辞した。

「ほんなら、次は……」

 参道を歩きつつ、壮悟はリストを上から順に眺めていく。

「時間あるし、今からでもええよって言うてくれた人のとこ行くか」

 住職が連絡をしてくれた人の家だ。寺からはさほど離れていない。住所を打ち込んで検索してみると、車を走らせるような距離でもなかったため、少し駐車しておいてもいいか許可を取ってからさっそく向かった。

 歩いて五分もしない位置にあったのは、乙木家ほどではないもののそれなりの築年数を感じる日本家屋だ。庭先の犬小屋では柴犬が丸まって寝ていたが、客人が来たと気づくとぱっと立ち上がり、きゃんきゃんと勢いよく吠え始める。

 鳴き声に気づいた家人が縁側から顔を覗かせたのはすぐだった。腰の曲がった老婦人である。住職が壮悟の人相を伝えておいてくれたのか、「こちらへどうぞ」と柔らかい笑みで手招いてくれた。

 壮悟が縁側に腰を下ろしたところで、隣に正座した老婦人は富田きゑと名乗った。夫はすでに他界し、現在はこの広い家で息子夫婦や犬と暮らしていると語る。

「息子さんたちに挨拶とかしてへんのですけど……」

「いいのよ、この時間は近くの畑を耕しに行ってるから気にしなくて。あなた、瑩子ちゃんのお孫さんなんですってね。若い方とお話しするのはずいぶん久しぶりだわぁ」

 ほかにもぽつぽつと世間話を挟んだところで、壮悟は例の写真をきゑに見せた。

「懐かしいわね。アキちゃんと、それに壱花ちゃん」

「良かった、ご存じなんですね」

「小さい村だもの。当時は誰もが知り合いだったわ。それに私、壱花ちゃんと同い年だったのよ」

「……失礼ですけど、きゑさんは今おいくつなんですか?」

 うふふ、と微笑みながら、きゑはしわだらけの指で数字を示した。九、そして六。

「……九十六歳?」

「なかなかお迎えが来ないから、もうそんな歳になっちゃったわ。それで、ええと。アキちゃんの話を聞きたいの?」

 秋麗と壱花が幼馴染だったことはすでに聞いている。壮悟が知りたいのはその先だ。

「壱花ちゃんは有名やったって、さっき聞いたんです。それでひいじいちゃんは近寄りがたくなったんと違うかって」

「ああ……そうね、確かに壱花ちゃん、有名だったわ」

 きゑの声が少しばかり暗くなる。住職も有名だったことについて「いい意味でも、悪い意味でも」と言っていたし、あまり明るい話題ではないのかもしれない。

「あの子ね、他の子とちょっと違ったのよ。浮世離れしてるっていうのか……この写真でもそうだけど、蝶がたくさん飛んでるでしょう? 壱花ちゃんは蝶が大好きでね、幼虫からずっと大事に育ててたのよ。一匹や二匹なら可愛らしいけど、何十匹もうじゃうじゃいて気持ち悪くて。同い年だとは言ったけど、私はあまりあの子と遊んだりしなかったわ」

 どこへ行くにも、壱花の周りには常に蝶がひらひらと舞っていたのだという。彼女自身から特別な芳香でも感じられたのか、それとも懐いていたのか。いずれにせよ何十匹もの蝶を引き連れて歩く姿は幻想的でもあり、同時に気味が悪くもあったのだろう。

 少なくとも壮悟ならそんな光景は見たくない。

 恐らく今の話は〝悪い意味〟の方だろうかと納得しかけたところで、ふと疑問が首をもたげた。

 ――この辺やと蝶を神聖なもんとして扱っとるって聞いたけど、昔はそうでもなかったんか? 気持ち悪いって言うとったもんな、このおばあちゃん。

 壮悟が眉間にしわを寄せている間も、きゑは話を続けてくれていた。

「十二歳の頃だったかしら。壱花ちゃんのお母さんが亡くなった頃に噂が出始めたのよ。『お母さんを殺したのは壱花ちゃんだ』って」

 ぎょっとする壮悟などお構いなしに、きゑは記憶をたぐり寄せるようにしてゆっくりと言葉を紡いでいく。

「お母さんと言っても、血がつながってるわけじゃないのよ。継母だったの。しかも仲が悪かったみたいで、蝶を可愛がってばかりいる壱花ちゃんを気持ち悪いからって何度も叩いたり、家から閉め出したり、幼虫や蝶を踏みつぶしたりしてたみたい」

 だから継母の死後、噂があちこちから流れ始めた。

 継母は壱花が呪い殺したのだ。いやいや、蝶に呪われたのだ。いや違う、継母は縊り殺されたのだ――きゑが聞いた噂は十個ほどあったという。

「……その噂は本当やったんですか? っていうか、本当の話はあったんですか?」

「どうかしらね。ただ、その件をきっかけに壱花ちゃん、村の外にまで名前が届くくらい有名になったのよ。『姉石壱花は呪いを承る巫女だ』って」

「……はい?」

「壱花ちゃんに頼んだら、憎くて仕方のない人を殺してくれるって噂が広がったのよ。実際に彼女に依頼して成功したって言う人が何人もいたから、評判はどんどん広がってね。いつの間にか壱花ちゃん、そうやって呼ばれるようになってたわ」

 思わぬ方向に話が進み、壮悟は何度も目を瞬いた。

 呪いを承る巫女とは、また物騒な肩書きだ。だが同時に壱花の写真を見て、奇妙に納得している自分もいる。年に似合わない妖艶な笑みを浮かべる少女は、肩書きの通りの存在に見えてくる。

 秋麗が彼女に近づくのを避けるようになったのは、それが理由だろうか。

「呪いってことは、あれですか。藁人形を木に打ち付ける的な」

 右手に人形を持ち、五寸釘を打ち込むようなしぐさをして見せると、きゑは「そういうのじゃなかったはず」と首を横に振った。

「なんて言ってたかしら、聞いたことはあるんだけど……ちょっと待ってね。思い出すから」

 そうだ、ときゑが思い出したのは二分ほど待ってからだった。

「コドクって名前だったはず」

「コドク……? 一人ぼっちで寂しいとか、そういう?」

「いいえ、そうじゃなくて」

 いそいそときゑは立ち上がり、どこからかペンと紙を持ってきた。少し震える指先で丁寧に文字を書き、壮悟に見せてくる。

 メモ帳と思しき白い紙には、〝蠱毒こどく〟の二文字だけが記されていた。

「壱花ちゃんはね、〝蠱毒の巫女〟って呼ばれてたのよ」

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