二章――②

「ハル兄、ちょっと」

 倉庫で見つけた写真を片手に書庫を覗き込むと、榛弥は床にしゃがみこんだままなにかを読んでいた。声をかけても返事がない。仕方なく近くまで行って肩を叩くと、ようやく顔を上げてくれた。

「何してんねん。またサボってんとちゃうやろな」

ちがう。いつまでもサボってるわけじゃない、これでも整理はしてる。そういうお前は何の用だ。倉庫に戻ったんじゃなかったのか」

「戻ったよ。戻って整理しとったらこれ見つけてん」

 ほら、と壮悟は写真を差し出した。

 白黒写真におさまっているのは、どこかの家の前で手をつなぐ少年少女だ。着物姿の二人は十歳になるかならないかといった幼さで、少年の方は照れているのか、仏頂面で視線をカメラからそらしている。

 一方の少女は白い着物に長い黒髪が映え、年に似合わない妖艶な微笑みをたたえて正面を向いていた。二人の周りには蝶が舞い、なんとなく幻想的な雰囲気が漂っている。

 榛弥はしばらく写真を観察して、壮悟が言いたいことを察したようだ。

「男の子の方はひいじいさんか。で、女の子の方が……」

「いっつも夜中に出てくる幽霊の子や。間違いない」

 二人がそろって写っているのはこれ以外に見つかっていないが、秋麗あきよりと少女に明確なつながりがあったことの証拠にはなる。

 壮悟はすぐに祖母に「これ誰か知ってる?」と聞いてみたが、秋麗の方はともかく、少女については首を傾げていた。

「夢ん中のひいじいちゃんはこれよりちょっと大きなってる感じやったよな」

「女の子の方は?」

「幽霊の子もおんなじ。写真に比べたらちょっと大人っぽくなっとる」

「それを踏まえて考えると……」と榛弥はしゃがんだまま、思考を整理するように黙り込んでしまう。

 邪魔をしないように口をつぐみ、壮悟は彼の膝に置かれている黒い物体に気づいた。手帳かなと予想をつけながら手に取り、開いてみると祖父の字が連なっていた。榛弥は先ほどまでこれを読んでいたのか。

 気になることでも書いてあったのか、と壮悟も字を追ってみる。毎日ひとことだけでも書くのが祖父の日課だったようで、どのページを見ても丁寧にその日に見たものや感じたこと、出来事がしたためられていた。

「ひいじいさんが殺したのは、やっぱり幽霊の女の子なんじゃないかと思う」

 榛弥が確信に満ちた声で言う。壮悟は手帳から顔を上げ「なんで?」と問いかけた。

「写真を撮った時に比べて二人とも成長していて、女の子はその時のまま『アキちゃん』を捜して現れるんだろ」

「自分を殺した奴を捜しまわっとるみたいな?」

「可能性は高い。――幽霊で思い出した。手帳を読んだ限り、恐らくじいさんもその女の子に会ってる」

「えっ、女の子が生きとる時に?」

「違う。幽霊の状態でだ」

 祖父にも霊感があったのかと驚く壮悟の手から手帳を抜き取り、榛弥がぱらぱらとページをめくる。ほら、と見せられたそこには蝶の髪飾りのことと、毎晩現れる少女は何者なのかという疑問がつづられていた。

「じいさんも髪飾りに触ってから夢を見ていたようだが、内容は僕たちと違う。僕たちの場合は埋められたり燃やされたりしているが、じいさんは普通に会話してる夢を見ていたようだな」

「……髪飾り……」

 あっ、と壮悟はジーンズのポケットからハンカチを取り出した。中には例の髪飾りをくるんである。慎重に取り出して、次に写真に目を移す。

「なあ、この子の頭にさ、なんか白っぽいのついてるよな? これってもしかして、髪飾りやったりするかな」

 見せろというので榛弥に二つとも渡し、壮悟もそばに座りこんだ。

 しばらく観察したのちに、榛弥は小さくうなずいた。

「確かに髪飾りだと思う。ただ、これと同じものかどうかは分からないな」

「仮におんなじもんやとしてさ、ひいじいちゃんがこれを持っとったってことは……」

「女の子から預けられたのか、奪ったのか。壊れたものを奪うとは考えにくいし、奪ったときに破損したのか……そこまでは分からないな」

 祖父の手帳から察するに、祖父にとってこの髪飾りは秋麗のことを思い出す大事な品だったのだろう。また祖父は、秋麗の死を長らく受け止められていなかったらしい。万梨子が電話で「命日が来るたびに悔しそうにしていた」と言っていたのも、ずっと父の死と向き合えなかったからか。

 祖父でさえ己の父の死を受け入れるのに時間がかかったのだ。壮悟が祖父の死と向き合えるのはいつになるだろう。

「そういえば手帳、さっき見たときなんか破れとるとこあったけど」

「ああ、そのことなんだが」

 榛弥の瞳に、いつになく真剣な光が揺れている。

「じいさんは自殺したんじゃない。絶対に」

「……なんで?」

「じいさんはなにかを探してた。他にもまとめかけの資料が山ほどある。そういうのを全部放り出して自殺するほど、じいさんは中途半端な人間じゃない」

「いや、なにかってなに? そこんとこ詳しく教えてくれんと」

「なにを探していたのかは分からないけど、確実になにかは探してた」

 いまいち要領を得ない。壮悟が説明を求めると、榛弥は再び手帳をめくると、とあるページを目の前に突き出してきた。

「ほら、ここ。『髪飾りといっしょに預かっていた紙もいっしょに引き出しに入れていたはずだが、見当たらない。ごみと間違えて捨ててしまっただろうか。なにせ半世紀近く前のことだ』って」

「髪飾りと一緒に、紙? そんなんあったっけ」

「少なくとも、僕が書庫でそれを見つけたときには置いていなかった。じいさんだって捨ててしまったかもって言ってるしな。だけど続きに『幸いというべきか、預かった時に飽きるほど読んだおかげで内容は覚えている。自分が呆けていなかったことに感謝しかない。思い出せたし、今こそ父の意図を探ってみるべきだろう』って書いてあるだろ。メモ魔のじいさんんのことだ、手帳のどこかにその紙とやらのことを残してあるに違いない、と思ったんだけど」

「見当たらへん、と」

 ああ、と榛弥が肩を落とす。

「ばあちゃんが『遺書はあったみたい』って言うとったん、その紙のことやったんかな……破れてしもたページに、失くしてしもた紙のこととか書いてあったん違う?」

「破る理由が分からないだろ。手帳につながったままにしておけば失くす心配だってなくなるのに」

 榛弥の言葉はもっともだ。やむを得ない理由でもあったのかと二人で予想してみたが、結局、答えらしい答えは見つからなかった。

 手帳にはほかにも気になるメモがいくつか残っていたという。それについて壮悟が聞こうとしたところで、なにやらバタバタと騒がしい音と、祖母の慌てる声が書庫まで届いた。なにごとかと二人そろって書庫から顔を出し、音がした方――玄関の方へ目を向けると、そちらから意外な人物が現れた。

雨織うおり?」と壮悟と榛弥が名前を呼ぶと、金髪にスカジャンといういで立ちの人物が「は?」と足を止めた。

 祖父母と同居して、しばらく家出をしていたという従妹の雨織だった。肩には持ち手がよれよれになってしまったブランド物のバッグをひっかけている。はち切れそうなほど膨らんでいるから、着替えや日用品などが詰め込まれているのだろうか。確か二十歳になったばかりのはずだが、まだ十代の幼さが残る顔立ちは厳めしく、けばけばしい化粧のせいもあって壮悟より年上に見える。

「なんであんたらがいるの」と棘の混じった口調と、ぎらつく目でこちらを睨む様子は威嚇する蛇に似ている。

 雨織の問いに答えたのは、彼女を追ってきた祖母だ。

「おじいさんの遺品を片付けようと思って呼んだのよ。帰ってきたんだし、二人を手伝ってあげなさい」

「は? 面倒だし断るに決まってるでしょ。なんで死人が勝手に残したブツなんか片付けなきゃいけないわけ」

「ちょっと雨織、なんなのその言い方は!」

 ぎゃんぎゃんと言い争う祖母と雨織を交互に見やり、壮悟は榛弥と目を合わせた。

 雨織は父――壮悟たちからみた叔父と、そもそも仲が悪い。母はすでに離婚していて、あちらに雨織を引き取る気はなく、それなら乙木家で預かりましょうということになったそうだが、どうやら祖父母との仲も決して良好ではなかったようだ。

 反抗期真っ盛りの子どもがそのまま成人してしまったんだな、と壮悟が一人で納得していると、祖母との言い争いを切り上げた雨織がずんずんと書庫に近づいてくる。

「よう、久しぶりやな。元気しとった?」

 これ以上むだに刺激しないように、と壮悟は無難なあいさつで済ませようとしたが、返ってきたのは鋭い視線と舌打ちだけだった。雨織が二人の前で立ち止まったところで、榛弥が口を開く。

「じいさんの一周忌に顔も出さずに、どこ行ってたんだ」

「親父みたいなこと言わないでくれる。ムカつくんだけど」

「当然の疑問をたずねただけだろ。お前こそいちいちムカついていて疲れないのか?」

「馬鹿にしてんの?」

 ――そういえばこの二人も、昔から仲悪かったなあ。

 壮悟はあまり相手にされなかったが、なぜか雨織は榛弥にやたらと突っかかる。偉そうな態度が気に食わないそうだ。一方の榛弥は、雨織を年の離れた妹として可愛がろうとしている節がある。先ほどのせりふも純粋な心配から発されたものだろうが、雨織にとっては余計なお世話に他ならないらしい。

「で、あんたらいつまでいるつもり」

「じいちゃんの遺品整理が終わるまではるつもりやけど、なんで?」

「あんたに聞いてないんだけど?」

「……あ、そう」

「僕も壮悟と同じだ。もともとそういう名目でここに来てるし。なにか不都合でもあるのか?」

「別に。あんたらも探してんのかと思っただけ」

「探す? なにを?」

 壮悟はなにげなく尋ねたつもりだったのだが、なぜか雨織に勢いよく睨まれた。おかしなことは言っていないはずなのに。

「いつまでも居座られても迷惑だから、さっさと片付けて出てってくれる? あたしの邪魔とかしたらぶん殴るから」

 言うだけ言って、雨織は立ち去ろうとする。その背中に壮悟は「ちょい待て」と呼びかけて引き止め、彼女が振り返ったところでポケットに入れていたものを放り投げた。金色の物体が放物線をえがき、とっさに手を出した雨織のそこに落ちる。

「なにこれ」

「整理しとったら見つけてん。お前のかなと思たんやけど、違う?」

 雨織は品定めするように眺めたのちに、「趣味悪っ」とだけ言って壮悟に投げ返し、今度こそ立ち去った。階段を上がる音がしたから、彼女の自室は壮悟が寝泊まりしている座敷の近くなのだろう。

「ごめんね、あの子ったらいつもあんな態度で。久しぶりに帰ってきたっていうのに、もう」

「まあ雨織にも雨織の事情があるんやろ」

 雨織の代わりに申し訳なさそうに謝る祖母に「俺は気にしてへんから」と笑いかけて書庫に引っ込むと、榛弥が面白がるような目をこちらに向けていた。

「なにが『俺は気にしてへんから』だ。しっかり髪飾りを触らせたくせに」

「別に。ハル兄と同じことしたっただけや」

 祖父や壮悟、榛弥と同じ現象が起きるのなら、今晩から雨織はなにかしら夢を見る羽目になるだろう。幽霊の少女も、彼女のもとに現れたりするだろうか。

 結局その日の夕食の席に雨織は姿を見せず、突然帰ってきた理由も聞けずじまいだった。二階に上がった際に廊下がきしみ、それに対して「うるさい!」と怒鳴り声はあったが、他に壮悟たちと関わろうという意思はみられない。

 翌朝になっても雨織は部屋に閉じこもったまま出てこず、夢を見たかどうかも分からない。祖母が朝食を彼女の部屋の前まで運んでいたが、手を付ける様子はなかった。

「あの様子やと、整理とか手伝ってくれへんやろなあ」

「あいつの場合は手伝うよりはただ荒らすだけのような気がするし、むしろ関わってくれない方が僕はありがたい」

 大学に行く榛弥を駅まで送る車中で、壮悟は小さくため息をついた。

「昔はもうちょい可愛らしかった気がすんねんけどな……いつからああなったんやろ」

「叔父さんたちが離婚する前から荒れてただろ。じいさんたちと暮らし始めたのって中学生の時だったか?」

「確かな。こっち移ってきてからは不登校やったって聞いてるけど」

「あ、すまん。ちょっと急いでくれ。電車があと二分でくる」

「なんでもっと早よ言わへんねん!」

 駅に着いたのは電車が来る三十秒ほど前だった。

「それじゃあ、今日はよろしく頼むぞ」

「分かっとる。任せとけ」

 無人駅から出ていく電車を見送って、さて、と壮悟はハンドルを握りなおしてアクセルを踏んだ。

 車を走らせること、およそ十五分。

 壮悟が向かったのは乙木家ではなく、村に一つだけある寺だった。

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