二章――①

「高確率で『アキちゃん』とやらはひいじいさんだろうな」

 書庫の安楽椅子に腰かけて本に目を通しつつ、榛弥が言う。壮悟は近くの本棚にもたれかかって「俺もそう思う」と首をたてに振って同調した。

 ちらと書庫の入り口に目を向ける。扉は開け放されていて、先ほどまで廊下には例の少女が立っていたのだが、いつの間にか消えていた。夜中はだいたい榛弥が言っていた通り丑三つ時の決まった時間に出てくるが、昼間はそうでもないらしい。特に法則性もなさそうだ。

「まさか幽霊の女の子、ひいじいちゃんが殺してしもた子やったりする、かな」

「それは分からん。けど可能性は大いにあると思う」

「……さっきからなに読んどんの?」

「研究に必要そうな資料を昨日見つけたから、その続き」

 聞けば榛弥は現在、日本各地の民俗信仰について研究しているそうだ。今はその一環で村に伝わる祭事などを調べているという。

「今月末にいつもの祭りが開催されるだろ。蝶の数で吉凶を占うやつ。全国的にああいう占い方をあまり見ないから興味があってな」

「それについて書いてあるもんを見つけた、と」

「といっても、じいさんが独自にまとめたやつみたいだけど」

「読むんはえぇけど、俺の話もちゃんと聞いてんの?」

「七割がた」

 残りの三割は聞き流しているのか。呆れてため息しか出ない。

 話に集中しろと文句を言いながら榛弥の手にある資料をひったくり、壮悟は曽祖父――秋麗あきよりの遺影を思い出した。とても殺人を犯したようには見えなかったが、夢に出てくるのは間違いなく秋麗だ。ごめん、ごめんとひたすら謝っていたから罪悪感はあったのだろうし、頭が禿げてしまったのも心労によるものだろうか、と壮悟は何となく自分の頭を撫でた。

「さすがにばあちゃんに『ひいじいちゃんが人殺したとか聞いたことある?』とか聞けへんよな」

「知ってても知らなくても、衝撃を受けることに違いないと思う。直接聞くのは止めた方がいいだろうな」

「ほんなら俺らでどうにか調べるしかないか……昔の新聞とかの地方欄にそういうニュース書いてあったりせぇへんかな」

「こんな辺境の村での事件が新聞に載るとも考えにくいし、だいいちそんな昔の新聞どうやって探すんだ」

「ハル兄の大学に保管とかしてへんの?」

「大学より各地域の資料館とか図書館の方がありそうだけどな。どちらにせよ探してみないと分からないからなんとも言えないけど、望みは薄い」

 まあでも、と榛弥はパーカーのポケットからスマホを取り出した。今日は大学に行く予定がないからか、今日の彼は「早起きは三文の徳ニャ!」とことわざを訴える謎のネコが描かれたシャツに、フード付きのパーカーを羽織っている。間違いなくシャツは彼女が面白がって贈ったものだろう。なんの抵抗もなく着ているあたり、意外と気に入っている可能性がある。

 榛弥がすいすいと画面を操作すると、機械的な呼び出し音が聞こえてきた。どこかに電話をかけているのを、壮悟にも聞こえやすいようにスピーカー設定にしてくれたようだ。

 しばらく待ったのち、「はい、もしもし」と聞き覚えのある声で応答があった。

「もしもし、母さん」

「なに、どうしたの急に」と意外そうに続けたのは、榛弥の母である照子だ。「あんたが電話してくるなんて珍しいじゃない。お母さんの手伝いしに行ってるんだっけ?」

「そう。ちょっと気になったことがあったから聞きたくて」

 まさかいきなり「ひいじいさんは殺人犯なのか」と聞くつもりだろうか。冷や冷やする壮悟の前で、榛弥は淡々と言葉を続けている。

「ひいじいさんがどういう人だったのか、母さんは知ってる?」

「ひいじいさん? あんたから見て?」

「母さんにとってはじいさん」

「どういう人って言われてもねえ……あたしが二歳の頃に死んでるから、記憶なんてあってないようなものよ。脚が悪いから外で遊んでくれたりとか、そういうことしてなかったみたいだし。どっちかっていうとおじいさんの介助してたお手伝いさんの方が遊んでくれてたみたいで。っていうか、なんで急にそんなこと聞くの」

 どういう理由でごまかすのだろうと思っていたら、榛弥は「ばあさんと昔話をしてて気になっただけ」と答えた。なるほど、確かに理由としては間違っていない。殺人うんぬんに気を取られて思考が狭まっていたのは壮悟だったようだ。

 ふうん、と照子はたいして興味もなさそうに相槌を打ち、「あ、はーい。――それじゃ呼ばれたから切るわね」と壮悟が挨拶をする間もなく通話を切った。かすかに「福辺ふくべさーん、福辺照子さーん」と聞こえたから、どこかに出かけていたのだろう。

「うちの母さんが二歳の頃にひいじいさんが死んだってことは、叔母さんや叔父さんが生まれたころにはもういないか」

「ひいじいちゃんが死んだんは五十年前て言うてたもんな」

 壮悟の母の万梨子は現在四十六歳だ。

 それでもわずかな手がかりを求めて、壮悟も母に電話をかけた。二回ほどコール音が鳴った後、「もしもし、暁戸あきどですけど」と母の声が聞こえた。

「あ、もしもし。俺やけど」

「オレオレ詐欺?」

ちゃうわ。壮悟や」

 だったら初めからそう言いなさい、と万梨子が電話口で小さく笑う。時間はあるかと訊ねるとニュース番組を見て暇をつぶしていたところだというので、壮悟はさっそく秋麗のことについて問いかけた。

「ひいじいちゃんのことなんやけどさ。おかんから見た乙木の方のじいちゃん」

「はあ。なに急に」

 当然の疑問を述べた母に、壮悟は榛弥が使っていた理由をそのまま引用する。あまり納得した風ではなかったが、詳しく追及するほどでもないと判断したらしく、万梨子は「うーん」と唸っていた。

「生まれる前に死んでるから、会ったことないわよ」

「それくらい分かるわ。むしろうとったら怖いっちゅうねん」

 ――俺みたいに幽霊が見えんのやったら別やけど。

 そういえば少女の幽霊は見るが秋麗のそれは見ないなあ、と漠然と頭のすみで思う。

 なんだその言い方は、と食ってかかる万梨子を適当になだめて、壮悟は「そんでさ」と言葉を継いだ。

「どういう人柄やったとか、そういうの聞いたことない?」

「厳しいけど優しい人でもあったみたいよ。命日が来るたびにお父さんが悔しそうにしてたのは覚えてるけど、私は会ったことないし、特に悲しいとか感じたことはないわ。あ、そうそう、知ってる? その家を建てたの、おじいさんらしいわよ」

「そうなん?」

 若いころに事業で成功し、その富で乙木家の家屋を建てたのだそうだ。南からの日差しをたっぷりと取り入れるサンルームには、ガラスでクジャクに似た赤い鳥が描かれていてステンドグラス風になっているのだが、あれは秋麗がデザインしたものらしい。

 しかし万梨子もそれ以外は特に曽祖父について知っていることはないようだ。礼を言って電話を切ろうとすると、「そうだ、ちょっと待って」となにやらガサゴソとあさる音が聞こえてきた。

「あんた宛に手紙が届いてたわよ。手紙っていうか絵ハガキ?」

 ビデオ通話にしてハガキを見せてもらうと、万梨子がつまむそれには青い海と晴れ渡る空、そして水着姿ではしゃぎまわる男が写っていた。気になったらしい榛弥が後ろからのぞき込み、万梨子が「あら榛弥くん」と話し始めたのを遮って、壮悟はハガキの差出人を口にした。

「海外で仕事しとる友だちや。裕二ってやつ。ほらあの、高校んときによう遊びに来とったやろ。なんて書いてある?」

「えーっと『夏ごろに日本に戻ると思うから、その時にまた潜ろうぜ』って」

「こっち戻ってくんのか……とりあえず家帰ったら見とくから、俺の部屋にでも置いといて」

 了解、と万梨子の返事を最後に電話を切ると、榛弥が不思議そうな顔をしていた。

「潜ろうぜって、海に?」

「海とか、湖とか。友だちに誘われてダイビング始めたらハマってしもて、そいつが海外に行くまではよう色んなとこ潜りに行っとってん。なんで?」

「いや、壮悟って僕と一緒でカナヅチじゃなかったかなと思って」

「何年前の話してんねん」

 確かに小学生の頃は泳ぐのが苦手で、夏休みに乙木家に集まって祖父が近くのプールに孫たちを連れて行ってくれた際も、壮悟は浮き輪につかまって漂っているだけのことが多かったし、榛弥も同類だった。

 けれど高校の時に泳ぎが得意な友人に熱心に指導してもらったおかげで、今ではすっかり得意になっている。壮悟が自慢げに話すと、榛弥が一瞬だけ悔しそうに眉間をしかめていた。

「うちのおかんもひいじちゃんのことはほとんど知らんみたいやし、振り出しやな」

「仕方ない。とりあえず今のところ次の一手が思いつかないし、いつまでもひいじいさんのことを調べていたんじゃ遺品整理が進まない」

「本ばっか読んどるハル兄が言うか」

「うるさい。――整理した品の中から手がかりが見つかればありがたいんだけどな」

 書庫に榛弥を残して壮悟は持ち場である倉庫へ向かう。近くの箱に放置していたノートとペンを手に取り、遺品整理に取りかかってみるものの思うように進まない。掃除を終えた祖母が手伝いに来てくれた時だけ、曽祖父や幽霊の少女を気にせずにすんだし、箱から出した品の分別も捗った。

 ようやく土産物を詰めた箱の整理がついた。と言っても倉庫にはまだ大量の箱と、それに埋もれる箪笥がある。さて次がどれに手を付けようかと肩を回していると、「あら」と祖母が懐かしそうに小さな箱を見つめていた。

 大きさは手のひらにちょこんと納まる程度で、長らく埃をかぶっていたせいか、元はピンク色をしていたと思しき表面はすっかり色あせてしまっている。

「失くしたものだと思ってたんだけど、こんなところにあったのね」

「なにそれ?」

「アルバムに入りきらなかった写真を保管してあるの」

 ほら見て、と祖母が箱のふたを開ける。真っ先に久方ぶりの明かりを受け止めたのは、若かりし頃の祖父母の写真だ。旅行先だろうか、二人の間には可愛らしい女の子が二人いて、祖母は腕に赤ちゃんを抱いている。

「あら懐かしい。これ壮悟と榛弥のお母さんと、雨織のお父さんよ」

「伯母さんは面影あるけど、おかんはあらへんな。叔父さんは小さすぎて分からへん」

 写真は三十枚ほど入っていた。祖父母がそろって写っているものは最初の一枚以外になく、他はほとんど祖父が独身時代に撮ったものと思しかった。だが一枚ずつ見ていくと、祖父ではない誰かが写っているものもある。

 ――ひいじいさんや。

 現代のものほどはっきりと写っているわけではないが、毎晩さんざん顔を見てきているためすぐに分かった。祖父のように出かけた先で撮る、というよりは、家の敷地内で家族が集まった際に映した、というようなものばかりだ。

 壮悟が写真に目を落としていると、祖母も同じように覗いてくる。写真の中には祖父が子どもの頃を映したものもあって、そのたびに「あの人にも可愛らしい時期があったのねえ」と祖母が呟いていた。

「…………ん?」

 写真は最後の一枚だ。祖父はいないし、曽祖父の少年期を映したもののようだ。

 それをじっくりと見た壮悟の目が丸く見開かれた。



 榛弥には姉が二人いる。上の姉には使い走りにされることが多く、下の姉には口げんかで勝ったことがない。仲は悪くないし顔を合わせれば世間話くらいするのだが、いつまでも子ども扱いしてくる点だけは気に入らない。

 その点、榛弥を兄と慕ってくる壮悟のことはとても気に入っている。彼は彼で長男だし、兄という存在に憧れがあるのだろう。なんだかんだ文句は言いつつ榛弥の指示に従ってくれる。

 そこを利用して蝶の髪飾りに触れさせたのだが、罪悪感はあまりない。

「再開するか……」

 出来ることなら資料読みに没頭していたいが、いつまでもそうしているといくらお人好しの壮悟でも怒ってくるだろう。榛弥は安楽椅子から立ち上がり、手にしていた冊子を本棚に戻した。

 本棚は宗教や文化と祖父なりの分類によって形作られ、出版物に交じって祖父が独自にまとめた冊子もところどころに挟まっている。どれも穴をあけた紙にひもを通しただけの簡素なものだが、見た目に反して内容はしっかりしていて読みごたえがあった。

 中にはまだ作成途中と思しきものもあり、それを見つけるたびに榛弥は唇をへの字に曲げた。

 ――こんなにやり残したことがあるのに、自殺するものだろうか。

 壮悟は知らないようだし、教えると怖がりそうだったために話していないが、祖父は書庫で亡くなっていたところを祖母に見つけられた。ドアノブに縄をひっかけて首を吊っていた。

 大好きな資料に囲まれて死にたかったのか。死を選ぶほど追い詰められていたのか。誰にも理由は分からない。

 榛弥は本棚に収まる書籍の背表紙を順に眺めた。いくつかは榛弥が持っているものもあるし、これに関しては売り払うか、教え子に譲るか、捨てるしかない。榛弥の蔵書に加えるものは後で壮悟の手を借りて離れに運び込むとしよう。

 仕分けのために書籍を引っこ抜いていると、本と本の間からぱさりと何かが床に落ちた。

「……手帳?」

 黒い表紙に包まれたそれは細長く、あまり古いものではない。脇に抱えていた本の束を床に置いて手帳を開いてみると、懐かしい祖父の字がずらりと並んでいた。

 祖父が死んだのは一昨年の年末で、手帳は亡くなった年のものと思われる。親族が集まった時の思い出だとか、祖母と旅行した時に見たものだとかが丁寧に記されていた。他にも書庫の本を読んで気づいたことであったり、そこからたどり着いた独自の考えも書かれていたが、こちらは思いついたときにペンを走らせたのか、少しだけ字が乱れている。

「ん?」

 ぱらぱらとめくっていると、気になる文言を見つけた。

 ――ずっと机にしまっていた髪飾りのことを思い出した。父から預けられて、ずっと引き出しに入れていた。

 ――これを見ると父のことを思い出して辛かったから、ずっと見ないようにしてきた。だけどそろそろ、父の死と向き合ってみるべきだろうと思った。

「……蝶の髪飾りはひいじいさんが持っていたものだったのか」

 それを祖父が託され、今は壮悟が保管している。

 もしかして祖父も、おかしな夢を見たりしたのだろうか。幽霊の少女もどうなのだろう。逸る気持ちをおさえて順に文字を追うと、予想通り、祖父もあの夢を見たようだ。

「『若い頃の父であろう男と話していた』……? 僕や壮悟が見ているのとは違うのを見ていたのか」

 そしてどうやら、祖父も少女の幽霊に出会っていたようだ。壮悟の霊感は祖父譲りのものらしい。祖父も初めは驚いたようだが、毎日出会うにつれて余裕が生まれ、観察を重ねていたようだ。少女の容姿についても詳細に記してあり、壮悟から聞いていた見た目と全く同じだった。

 次のページには何が書かれているのだろう、とめくったところで、榛弥は落胆した。

 どういうわけか、あるはずのページが無かったのだ。力任せに引きちぎったような形跡が残り、そこから先には何も書かれていない。祖父が死んだからだろう。

 もう一度初めから手帳を見返して、榛弥の中で違和感が確信に変わった。

 ――なあ、ハル兄。じいちゃん、なんで自殺したんやと思う?

 壮悟に聞かれたときは「さあな」としか答えなかったが、今なら答えられる。

「じいさんは自殺したんじゃない」

 なのにどうして首を吊っていたのかと問われれば、最悪の答えを口にするしかない。

 誰かに殺されたに違いない、と。

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