絶壁

[小町 小春子さん。

貴方はよく好きと言いますね。

大切にされなくても大切にしようと

してしまうのが好きって意味。

そういうものはどうしようもない気持ちです。


だから あなたには今後も

貴方を好きでいてくれる人を好きに

大切にできるような 人でいて欲しいです。

私の言う通りにしなくともあなたは素敵な子

だろうけどね。


今、例えは思いつかないけどね、

月並みな言葉は実感が大事。

どうか耳を塞がないで。

しっかり、生きてくれると嬉しいです。

どうかお幸せにね。


小町 文実より。]


八月五日。金曜日。

フミちゃん、お婆ちゃんが家の階段から落ちて亡くなった。


救急車を読んで病院でお婆ちゃんが亡くなったと分かった時、堪らずにウナちゃん、冬凪さんに公衆電話から連絡した。

他人で他に、こういうことを話せる間柄の人が居なかったから。


『あ……ほんと ぅに“そろそろ“だったんだ』


なんだか、凄い……嫌になった。

その言葉で。

この人のことを嫌いになりそうだと思った。

けれど怒って電話を切ることも、口だけで確かにそうですねなんて風に言葉の調子を合わせることも私はしなかった。


小春子にはそれらができなかった。


かと言って、この時冬凪もあまり話をせず、曖昧で記憶にも残らない程度の会話を数分したところで通話は終わった。


私は式場で泣いた。

喉の奥から声が漏れて、視界がいっぱいになるくらいに涙を流した。

八月六日のお通夜。

親戚の人達が楽しそうに話していた。

私は全く楽しくなかった。

お父さんとそのお友達も、なんで楽しそうなの……


この時の小春子は知らなかった、分かり得たはずのものを理解できなかった。

故人の死、一瞬それへの哀愁よりもその人との何年何十年の方が強く大きく、最後を凌駕するほどの思い出であることを。

何処か憎たらしさや恐怖を覚え、それを人生で初めての葬儀への心構えから溢れる汗のようなもので絶え間なく洗い流し続けていた。


八月七日の葬儀は、制服を着てお線香の匂いを髪に纏わせた。

お母さんが梳かしてくれた髪、

お婆ちゃんが編んでくれた髪。

二日前が最後になった。

だからお通夜、お葬式が終わるまで私は髪の毛を洗わなかった。

お父さんが悲しそうに顔をしかめて、お友達と身を寄せ合ってる。

私は安心した。

ずっと悲しかったけれど、それとは別で安心した。


……それから、八月八日。

小春子は昨日家に帰ってから、疲れて直ぐに眠った。

その両親はふたり食卓を囲った。

結局三日間髪を洗っていないため、朝起きてシャワーを浴びた。

やけに目が冴えていた。

より綺麗な状態に近づけるべく、シャンプーを馴染ませながら髪の隙間にある痒みを掻く。


小春子は文実の没日ぼつじつ、初めて髪を三つ編みにした。

保育園に居た長髪の男子に憧れ、小学生になってから髪を伸ばし、それを続けて…………

初めて。


髪が指に絡みつく度、シャワーの水で流して落とす。

一度切りの編み癖も水に流すと簡単に落ちていく。


小春子にとってこの感慨は大き過ぎて、気づき切れなかった。

ただ違和感を感じながらシャワーを浴びて、タオルで水を吸ってドライヤーで乾かした。

勿論体も洗った。

出来るだけか仕方無くか、何も考えず、何も思わずに。


居間に行くと、美春から薄い水色の洋封筒を渡された。

封の左には“小春子へ“、右には“3“と書かれていた。

文実の遺書。

自分の開けたい時に開けなさい、と。


その後、小春子は五日間家の敷地から出なかった。

逡巡しゅんじゅん反芻しながらトランプを触り続けた。

Aから順にQまでを並べ、両端を揃えていくと全て13になるだとか。

3は2に、2はAに、AはKに勝てる風にしたら、好きなだけすくみのようなものをつくれるだとか。

混ぜては引き、めくり、束ね。

トランプの中にあるものに気づき続けた。

その間に逆立ちをしようとしたり、賽子さいころを振ったり、庭に出てひたすら飛び跳ねたり、洗った牛乳の瓶に入れた賽子を塔にしてみたり。


気を紛らわそうと思ってそうしていた訳でもなく。

家の中で眠るなり動くなりを繰り返した。

そうやって、夏休みや中学生時代、寿命の内の数日を過ごした。

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