金魚

今日は小春子の学級で飼っている金魚の水槽を掃除する日。

扉を開ければ何時いつの間にか降っていた雨が粒として居残り、光を屈折させている。

四日間……昨日まで雨に気づかなかった。

天気や懸念や気分が晴れ、今日は金曜日。


あれから小春子に会うと思うと息が小さく、荒く少なく、それでいて何時も常に感じていたいき苦しさとは別の心持ちで、妙に輝かしい視界の先に、跳ねて進んでいく。


何時もなら転びそうと思って滑って転ぶのに、何故か転ばなかった。


休日にわざわざ制服を着る必要があるのかだとか、そんなこと 考える間もなかった。


もっと思い耽りたいしもっとはやく会いたい。


着いた。

彼女に会える。

「おはようございまーす!」

……これはしまった、元気を出し過ぎた。

「「おはよぉございまぁあす!!」」

問題なかった、相手は親子揃ってより元気に返事をしてくれた。


通学路。

「っ、ウナちゃんあの」

少し歩くと小春子がリュックから流木りゅうぼくの入ったビニール袋を取り出した。

「今日はこれを水槽に入れようと思っ」

「っ!やめた方がいいよ、雑菌とかついてるから」

「っ、そうなんですか!?」

「うん……」

除菌の仕方もあった気がするけど、面倒くさかった気がするし……言わないでおいた。

「残念です」

冬凪は前の小学校で金魚を飼育していた経験から、浅くも知識を持ち合わせていた。

……まあ、うっかりそのまま入れて金魚が死んだりしなかっただけよかったよね。


それよりも、

「……ねぇ、ココ。何が好き?」

また聞きたい。あの言葉を。

「ポテトサラダです」

即答そくと???あたしじゃないんだ???

「他には?」

「バドミントン!」

……何回聞いたらあたしが出てくるかな。

「人だと?」

「米倉涼子さん」


「……あたしは……??」

自分が思っていたよりももたなかった。

口に出ていた。

「?ウナちゃんは大好きですよ!!」

ン?

「好きとはべ 別なの?」

「?“大“好きですから……!」

「わ」

わ、わわわそっかぁ……

そうだよね、

ココはあたしが大好きだもんね〜!!

「わぇ、わ、ぁ、たしの大好きな人も聞いて……?」


「萩野冬凪さんっ!!」

街角インタビューのノリ。

小春子は急に立ち止まって拳をマイクのように向けてきた。

「…はいっ」

「あなたが大好きな人は何方どなた〜?

ですかっ?」

立ち止まって応じる。


「小町小春子さんです……!」

「やった!両想いですね!」

両想い〜???!!

「そ、そだね!!」

凄いっ、いい、いぃ感じ……!


突風のような喜びの中で気づいた。

「あの、さ」

流木を除菌する手間を挟めば、もっと相手と一緒に居られることに。


……そういえば金魚は小春子と出会ったきっかけ。

金魚の水槽を掃除していた小春子に声をかけたのがきっかけ。


勝手だけど……お礼みたいな感じで……やろっかな。


その瞬間冬凪は転んだ。

頭がほうけていた。

……転びかけた。

「っ……っだ、大丈夫ですか?」

冬凪は小春子に体を支えられる。

冬凪よりも大きな手で肩を。

恋に──

落ち続けて底に行き当たったような気分。


「だいっ、じょうば、じゅない……」

「……は、わ、あ!

だ、大丈夫じゃない……!?」

「あ、あああ大丈夫!!」

より呼吸が乱れる。

「は、ふっ、ありが とね」

「い、え。いえいえ!!怪我がなくてよかったです」


……暫くして。なんだかんだと学校に着いた。

一年生の下駄箱。

「ココ、そういえばね、さっきの木、綺麗にする方法あるんだけど……」

当然小春子は喜び、職員室にて水槽がある教室の鍵を借りるついでに家庭科室の鍵も借りた。


「先ず流木これ洗って、そのあとに鍋で一時間くらい茹で…るから、その間に水換えたりしよう」

「はいっ」

「カルキ抜き使うから、あたしがこれ洗ってる間に取って来てもらってもい?」

「わかりました!」

小春子は張り切って上の階に登っていく。


冬凪は束子たわしで念入りに流木を隅々まで擦り、浮かせた汚れを水で流す。

………もっと手際悪くてもよかったかも。

「あ、たわしこういうのに使ってよかったかな……まあ説明すればいっかぁ……」


「ぅうなちゃッ!!」

「ん!?」

焦った、ぐような小春子の声が廊下から呼び込んできた。


「金魚、が……水にっ、浮かんでまし……っ」

「…………あー……」

死んじゃったんだ。


二階。

「……どう、しよっか」

「どう……って……?」

「…………ココの、お母さんが育ててる植物の鉢に、土の中に埋めるとか。よければだけど、栄養に……樹木じゅもくそうみたいな」

「っ!そうします、そうしましょう」

納得してくれてよかった。


少し自分が冷たい人間のような気がした。

熱が全て一つの好意に集中していることをこの時の冬凪は自覚できなかった。


「おっ……あ、そう。残念だったね。いいよ」

小春子の担任教師に伝えると素っ気ない態度だった。

了解を貰い、金魚と少しの水が入ったバケツを残し、片付けをした。

水槽からは水を流し、金魚が食べるからと残していた苔をスポンジでぬぐいとった。

流木は袋に戻し、蛍光灯の電気を切り。

綺麗になった水槽を教師に渡し、ふたりは校舎を後にした。


なんだか、あっけない。


帰り道、バケツを両手で抱える小春子の口角が上がることはなかった。

可哀想なのに可愛くて、気不味いような嬉しいような、破綻したようで成立している感情が冬凪の中では歩き走り綴じ回っていた。


そのまま、身長差の恩恵とばかりに顔を覗き込み、小春子の顔の端正さをよくよく堪能する。

眉毛は楽しそうな顔も悲しそうな顔も似合って。

睫毛は長く、彼女の視線と瞳を確かにして。

鼻筋は律儀に、唇は控えめに。

目の開き具合に口の動かし方。

細やかで豊かで。

それに、眉間が小ぶりで……!


綺麗で愛らしくて、彼女に好かれていることを心中高らかに喜んだ。

喜び続けていた。


……小町家に到着した。

冬凪は挨拶、小春子は説明を済ませ、了解を得る。



…………作業を終えた。

「…………お幸せに、ご冥福を……」

たった数ヶ月水槽で飼っていた金魚に何を?そんな野暮なことは思わなかった。


「死んでも何かの栄養になるなんて、人間の相続税みたいだね」

思わずとも野暮なことが口から突き出ていた。

自分が提案したのに。野暮に野暮。

「……ゼイ?」

「んっん、なんでもない」

……それよりもあたしは、あなたの顔が見たい、な。


愛が深まるほど人間性が瓦解していく。


「……?何してるの」

文実が来た。

「金魚が……死んじゃって」

「そう」


「私も、そろそろかね」

「……?」

「…………っ」

一瞬。歯が浮く様な刹那。

風にも流されそうな声 言葉。


小さく笑い、

「……やめてよっ、フミちゃん」

固く歪まった返事をする小春子。

金魚の一件から初めて口角を上げた。

意図して。

「冗談冗談」

「うん……」

本当に気不味い。重い。


その日冬凪は刺激というにはあまりにもなまくら地味じみた気持ちを抱え、それにれることも晴らすこともなく眠った。

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