家
「ただいま」
団地の一室、萩野家の扉を開く。
どの部屋にも人はいない。
土産はやはり……自分の。
自分だけのものになった…かなぁ。
リビングの机には置き手紙がある。
張り子を除け目を通す。
[結局勝手に行ったから仕方なく置いていきます。夏休み終わりまでこれで過ごして。]
母から。手紙の下に三万円が置かれていた。
父は単身赴任していて、母はそこに行っているんだと思う。
冬凪はそれに逆らって小春子の家に行ったのだ。
目頭に熱が向かい出すが、それを諌める。宥める。
身勝手だと思うから。
何があろうとこの部屋では誰もあたしを慰めてはくれないから。
それでも、涙は無遠慮に流れてくる。
「でもっ我慢したって褒めてくれないでょ?」
この熱がこの部屋の冷たさを突きつけてくる。
父親の転勤で何度も引越しを繰り返しているのに何時までも人と打ち解けるのが下手くそで……
いや、だって打ち解けたって無意味じゃない。
結局はこうなった方が一番楽じゃない。
自分を責めることで自分を慰められるようにする。
自動化された感情の流れ。
三万円。
きっと恵まれた額、別に勝手なことをしても叩かれはしないし追い出されもしない。
冷蔵庫の中にも食べ物がある。
その中に美味しいお土産も加えた。
自分の不幸な気持ちなんてこの目前にある涙程度の大きさ。
一時的に視界を覆う質量。
……不幸の質って何??
その流れに無気力な身を委ね、曇った空と好きでもないテレビジョンの液晶画面を交互に見るだけの生活をした。
夜になると気が狂ったのか正気に戻ったのか我を取り戻したのか、とにかく不安になる。
夜でさえなくなればそれは止む。
流れて目に映る番組が本当につまらないと感じるのを待って、自分の正気から逃げるべく眠りにつく。
今日はシャワーも浴びず、けれども暑いからと下着で眠った。
ただ暗い視界の中考えた。
そうだ、明日ココの所にまた行こう。
あそこなら……いい、いい! ずっといい!
ずっと……
ずっと?あたしのせいじゃん?
目覚めた。汗塗れ。
眠った気は希薄なのに、八時間経っていた。
部屋は
……そうだなあ、
だからあたしも結局普通に眠れたんだ。
いい夜だったなあ…でも よく覚えてないや。
余韻を取り持つために冷蔵庫からコロッケを取り出し、ひと口、ふた口と口の中の闇に向け押し入れる。
咀嚼の間にタッパーが入っていた紙袋をなんとなく見直すと、紙が入っていた。可愛いらしい付箋。
母親って手紙が好きなのかな。
……偶然か。
[冬凪ちゃん 小春子と仲良くしてくれてありがとう。何かあれば電話かけてね]
下に丁寧な筆致で電話番号が書かれている。
有難みに浸る間もなく、冬凪には不安が駆け込んできた。
何かあればぁ??
何かあれば、って……普通に遊びに来た娘の友達にそんな事言わないよね?
小春子はあの話を勝手にしたのか?
それは冬凪が到底許容できる疑念ではなく、裏切られたのかどうかが仕方なく気になって直ぐに家の固定電話からその番号にかける。
『はい、もしもし小町ですが』
応じたのは実春。
「……すみません、小春子さん居ますか?」
『っ!冬凪ちゃん早速ぅ!』
「…………はい」
『小春子ー!冬凪ちゃんからぁー!』
奥からはーい!と足音が小さく、やがて大きく聞こえてくる。
『もしもし!ウナちゃん!?』
「ねぇ、ねぇ……こ、こはるこ。
ココはさぁ……あの話お母さんにした…の?」
『……?』
「電話番号が書かれてた付箋に、何かあったらって か、書いてあったの。普通そんなこと書かないでしょ??」
意地悪かな。普通なんて多分知らないのに。
『……していませんよ。』
「……そう、そっ、か。ほんとう?」
『本当です。お友達の大事なことを勝手に話したりしません』
落ち着いて冷たくはない口調。
大事……そっか、大事か。
大変なこと……だもんな。
「そっか、そう……だね、っ、ごめんね疑って」
友達か。
……お泊まり会もしたし。
そうだよね。
『母は本当に冬凪さんが好きだから“何かあれば“手助けしたいな と思ったのかと』
「ふぅ、う うれしいなあ」
『はいっ、私も大好きですっ』
え?
……凄い嬉しいなあ。
「そ、そう」
『この電話も家族には聞こえていないので安心できます!』
「あ、あんひ、あたしも」
…………はぁ、好き。
目が回った。泳ぎ回った。
あたしもっ、と言おうとしたのか言い切ったのか、その勢いで通話を切ってしまったのかもよくわからないが……記憶が、脳がふやかされたように言葉の字面と機械越しの声だけを
静かな部屋で。
「あたしもぉ……あたしも好きっ、すきだよぉ〜…」
部屋から浮き出すほどに顔が熱くなる。
唇を巻き込む。はにかむ。
胸の内も素肌も熱くなる。
ここも好きではないが夏にあまり外に出たいとも思わない。
今から小春子の家に行くほどの勇気……
気概のようなものも元からそう無く、何時の間にか外に出る理由の全てを失念した。
これだけで、暫く生きていけそう
だったから。
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