モルタルと金魚

吐露

ある中学校の夏休み期間初日、その夜。

そこの生徒、少女ふたりが一方の家の寝室で共に就寝していた。


現在“お泊まり会“の終盤。

萩野はぎの 冬凪とうなは翌日の昼頃には小町こまち 小春子こはるこが住まう家から自宅へと帰る予定であり、眠り付くにはあまり落ち着けていなかった。



冷房による冷気が飽和し、吊り下げられた照明が発する薄い光が見下ろすようにふたりを照らしている。

障子に外風そとかぜが当たり、冬凪には雨の音が聞こえた。

喉の奥、小さな闇の中にはき止めている言葉がある。

小春子とつま先が当たったことを合図のように捉え、それは嗚咽おえつのようにくちびるまで這い上がってきた。


「ねぇ、小春子ココ

「ん……う…………冬凪ウナ、ち……ゃ?」

「聞いて……欲しいことがあるんだけど、い?」

「い、い……ですよ」

小春子は意識を相応に構える。

ふたりは横になったまま、目線を交わす。


「あたし……ね」


「人を突き落としたことがあるん、っ……だ」

……

「ちっ ちやんとっ、理由はあるんだけっ、 ど…………」

「………はい」

小春子と出会ってから一ヶ月程度しか経っていないのにも関わらず、それを打ち明けた理由はこれだった。

真剣に、それでいて静かに聞いてくれる性格。

この返事と眼差しに凝縮されている。


「……これはまた今度、ごめんね、お邪魔しました」

「いえいえ」

一瞬涙を堪えて小春子に背を向ける。

「……ありがとうございます、おしぇ……伝えてくれて」

「っ、こちら こそ、ちゃんと聞いてくれてありがと」

視界の端に小春子を収め、それをこの日の最後として瞼を下ろした。



小春子の黒く端正に生え揃った髪は布団から畳まで広がり。

冬凪の赤白く柔らかに布団に委ねられた頬はそこから離れることなく。


朝を迎えた。


早くにふたりは同時に目覚めた。

目を開けた冬凪が寝返りを打つと、小春子と目が合った。

「あ」「わ」

「ははっんんはふ、ははは!」「ふふ、ふふふふっ!」


「今、ふっ、何時だろ」

小春子の隣にある目覚まし時計。

「五時、四十分 ですねっ」

「早いなあ!」


「……バドミントンします?」

「へ?」

「お庭でしましょうよ」

「……バドミントンってどんなのだっけ」

それを聞いて小春子は立ち上がり、部屋の押入れを漁る。

「ここに……」

ラケットケース二つと、筒を出した。

筒に入った羽根シャトルを一つ冬凪に差し出す。

「これを、これで打ち合う遊びです」

「あ、ちょっと見た事あるかも」

冬凪は差し出されたシャトルを手に取る。

「なんかかわいいね」

「とってもかわいいです」

「正月?」

「羽根つきですね」

「……しよっか」

「っやった!」

「ふふ」


ふたりは障子を開け、明かりを消し、庭に出る。

庭は門の外と石垣で区切られ、相応に広い。

暑くなる前の生温かな風と部屋から放たれた冷気が入り交じる。

「あれ」

夜 雨が降っていた気がするのに、その跡がない。

……夢だったのかな。

「ルールは?」

「……ん……私もあんまり、詳しく知りません、でした」

「……どんな感じ?」

「この羽根を打ち合って、打ち返せなかった《かた》方の負けです」

身振り手振り。

「多分点数制だよね」

「はい」

「真ん中の線とかは……」

「この枝を置きましょう!」

「うん」

小春子は跳ねるような手つき身動きで枝を置いた後、せっせと準備運動をし始めた。

それに一瞬硬直した後、冬凪も倣うように準備運動をする。


黙々とそれを終え、互いの間に小型トラック程の距離を空ける。

「じゃあ、てんす……や、ちょっと一回、ココから打ってみて」

「はい!!」


「では、いきますっ」

「うん」

小春子、打つ。

「……え、ムリ」

冬凪、棒立ち。


「待って、このら、ラケット……え??

……ちょっと、素振り、握り方から教えて?」

「了解しました、えっとですね……こう、フライパンみたいに……」

「凶器になっちゃうじゃんっ」

「へふ、ふっ、そう ですね」


「あ、あと上と下で持ち方が違うんです」

「持ち方変えるの?」

「はい、こう……そのままクルッと」

「んへぇ やってみて」

「はいっ」

実演。

まじまじと見る。

「…………わかんない、速い」

「やってみましょう!」

「ん、ぅうー」


角部屋の障子がゆっくりと開かれ、板縁いたえんに小春子の祖母が出てきた。

「元気ねェ」

「おはようフミちゃん!」

祖母の名前は文実ふみの

白い髪を短く切り揃えている。

「っ、おはようございます」

「はいおはようございますっ。バドしてるの?」

「バド…はいっ」


文実は板縁から足早に降り、ふたりに駆け寄りながら言う。

「夜更かししてない証拠ねっ」

冬凪の手元にも目をやる。

「冬凪ちゃんバドは初めて?」

「は、ぁはい」

「そう、じゃおばちゃんも混ぜて」

それを受け、冬凪は戸惑う。

それを見て、小春子は

「大丈夫ですよ!フミちゃんは健っ脚!

ですから!」

とカンフー映画じみた片足立ちをしながら言う。

「そうそう」

「剣客?まあ、うん?そううなら……」


文実が参加し、その申し出で冬凪と小春子対文実の対戦となった。


「ぁあいっ、じゃあ、いくよぉお」

テキパキと体をならし、ラケットを構え、

「ウナちゃん、前に」

シャトルを投げた。

「へ?あたし前でだいじょ──

「来ます!!大丈夫ですよ!」

──え?なにこの切迫感。


「ふっ、チョアアッ!」


「なぁあにあれええ!!」

「えいっ」

「へいやあぁ!」

「うわぁあ」

「ていっ」

突如豹変し異様なテンションの祖母とそれに驚嘆する友人を挟んだ孫の応酬ラリー

それが暫く続く。



小春子が冬凪をコート前に据えたのは猛攻に対する盾にするためではなく、冬凪が存分に空振りしても後ろから補完する為であったが、一向に冬凪はラケットを振らない。

……振れない。

「怖すぎる……」

「ウナちゃん!大丈夫で──

す!フミちゃんはしっかり打つの──

でっ、私のことは気にせずよく見て──

打って!」

反撃のために途切れながらも張り上げられた声に身を引かれ、思い切り掲げたラケットを振り下ろす。

当然空振り。

冬凪をラケット毎超えていくシャトルを飛び上がった小春子が打ち返す。

「無理じゃ、ない?」

「何度もやってみてくだ──

さい!」

「うっ、うんっ」

空振る。


跳んで空振る。


走って空振る。


持ち替えに手こずる。


──当たる。当たった。

空振る度にみっともない体勢でいると内心に恥じらいが湧き、妙な気迫にも気圧けおされていたが、兎に角一発当たった。

コンっと鈍くも高い音が鳴り、上出来な気がした……が、そうでもなかった。

ヘロヘロと飛んでいくシャトル、それを身軽に取り立てようと文実が動いた一瞬だった。


転んだ。文実がひっくり返るように尻もちをついた。

「ぁっ……」

「フミちゃん!」

ふたりは駆け寄る。


「あいやぁ〜」

「大丈夫??」

「だ、だいっ、大丈夫ですか……!?」

冬凪は取り乱す。

「ひぃ〜っ、ふふっ、気ぃ抜いちゃったね、ナイスショット!!」

文実は冬凪の顔色とは裏腹に明るく立ち上がりその両肩を称えるように叩く。

「もぉ フミちゃん血気盛んなんだからぁ」

「ひひ、朝バドるのは楽しいねぇ」

「へ……?よ、やかったあ、ぁ……」

「心配かけてごめんねぇ、う、なう、えと……」

「冬凪さん」

「あっ、とうなちゃんねぇ、大丈夫よ」

「よかった です」

……なんか点数決めずにやってたな。


「皆さんっ、朝から楽しそうね」

冬凪たちが今居る庭と入口を挟んで反対側の小さな庭園から出てきた小春子の母、美春みはるから声がかかる。

「ピチピチちゃんたちに遊んでもらってましたよぉ」

「んふふ、感心。お義母さん今日も元気ですね。腰は大丈夫ですか?」

「おばちゃんも若いからねぇ」

「うんうんっ」

ふとすれば、朗らかな雰囲気に包まれていた。


「ご飯の支度はしてありますけど、バドミントンはあとどれ位で?」

「小春子、続ける?」

「ウナちゃん、続けます?」

「え、あ、ワたしは……ちょっと、一旦、終わりで。いいかな、です」

「じゃあ今すぐね、お義母さんは着替えて、ふたりとも手洗ってね」

朝六時。一同は返事をし、一旦庭で解散する。



怖かったような楽しかったような、そんな初めてのバドミントンを終えた冬凪と小春子は洗面所に。

冬凪の背は小さく、小春子の背は大きかった。

鏡にはふたりの姿が縦に収まっていて、小春子は冬凪の脇腹から腕を回す。

冬凪と一緒、水流に手を入れる。

「……?横に並べばいいのに」

「だめ ですか?」

冬凪は擦った石鹸を冬凪の手に置く。

「…だめ じゃ、ないけど……?」

……変な感じ。


居間の食卓へ。

食卓には人数分の味噌汁とご飯。

大皿に盛られたコロッケ、ボウル一杯の何か。

「この席にどうぞ!」

「あ、ありがと…ぅ誰の席?」

「アキ…お父さんの席です」

「あぇ、お父さん は?」

「警察官の夜勤明けで」

「んへぇ」


「はい、それでは頂きます!」

「頂きます!!」「頂きますっ!」

「い ただきます」


「昨日と同じく、おかわりもありますからね」


ご飯は程よい量盛られ、味噌汁は癖が薄く飲み易い。

コロッケは王道なもの。

具の大きさがしっかりと違うことで中身がゴロゴロとしつつも口が疲れず、旨みに押されてどんどん飲み込める。

そして卓の中心に置かれたボウル、ポテトサラダ。

蒸かし芋と南瓜の煮物、切り刻まれた人参とベーコン、胡瓜の漬物が混ぜこまれた特製。


冬凪は何時いつもの通りに食事を黙々とする。

ただ一点違い、今日は味わっていた。

勝手に体が楽しんでいた。

人気ひとけのある食卓、周囲の物音、自分の生きる家庭とは違う匂い、勿論丁寧に用意された手料理も。


このポテトサラダは包菜サンチュに乗せて絞っておいたレモンの汁を少しかけて包んで食べるらしい。

かなり凝っている。


まずは単品で食べてみると、素朴そぼくでいて食感に波やむらがあり、薄明のようにあざやかな味。

繋ぎのマヨネーズの具合も程良い……

サンチュに包むと食感が更に増えて賑やかで、レモン汁をかけてみれば風味が加わりより爽やか、軽やかに。


この家庭を体現したような料理だった。

直感的に印象が重なった。


美味しくて美味しくて、少食気味だった冬凪でも遠慮や緊張などすら忘れるほど食事を楽しんだ。

「おかわり……い、ですか」

「まあ!いい食べっぷり!育ち盛り万歳!」

「元気に食べる子はお腹にいィねェ!!」

「いっぱいいっぱいなほっぺたかわいい…!」

少し気恥しくも愉快な時間。


……じゃがいもが主食のような朝食を終え。

片付けをし、昼まで過ごした。

「あら曇り。冬凪ちゃん大丈夫?お家に電話してもう一日泊まっていく?」

「……大丈夫です、ありがとうございます」

……

「とうなちゃんのど飴舐めなさいのど飴」

「ありがとうございます ァム」

……

「ウナちゃん、トランプで新しいゲームを考えたんですけど……」

「どんな感じ?」

談笑やトランプ、またバドミントンをしたりして。

……ここの人達はあたしの名前をよく呼んでくれる。

必要って程じゃないだろうけど、あたしを呼んでくれる。

くれてる。


「付き合ってくれてありがとうねぇ」

「こちらこそです」


「気をつけて、また来てくださいね」

「うん」

「うんうん……!また来てねぇ〜!」


「冬凪っちゃん!これ持っていって!!」

「あ、ありがとうございます」

「お家まで付き添いますっ!」

「あ、ちょ……ちょっと 難しい、かな……」

「……わかりました!」


紙袋の中のタッパに入ったポテトサラダやコロッケを土産に、冬凪は一人小町家を後にした。

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