Documentary of me

燦來

Documentary of me

 コーラのボタンを押してすぐにやってしまったと思った。人間、生きていると一日の間に何度も選択が求められる。この自動販売機一つでもそうだ。今の私が何気なく押したコーラのボタンだが、この選択で神様がこれからのシナリオを変えてしまうかもしれない。どの選択がどのように未来に影響するか分からないから日々の選択を大切にしようと思っていたのにやってしまった。そんなことを考えながら私はプルタブを開け体内にコーラを流し込む。

 セミの声がようやく聴こえ、緊張が緩む。高校三年の夏の三者面談がようやく終わった。始まる前から私はその面談がシナリオに抗う選択が求められる場所だと知っていた。私はシナリオに抗うつもりは無かった。抗うことで神様に嫌われたらたまったものではないからだ。この選択すらシナリオ通りだろう。

 神様がすべてを決めている。最も負け犬が使う言い訳だと思う。自分の人生を神様という他人に預けているのだ。世界で一番つまらない人間で、責任感など感じようとしたこともないごみのような人間だ。分かっているはずなのに変えられない、変わろうとしない私はとても愚かだ。


 かばんの中からさっきの紙を取り出そうと思い木陰のベンチへと向かう。ペンキがはがれかけていて地面には無数の吸い殻のあるベンチ。小学生の頃はこのベンチが怖かった。いつも誰かがうなだれていたからだ。木陰のせいで変に暗くなったそこが地獄との梯子のように見えていた。当時の私は数年後自分がそこに魅かれることは知らない。

 初めて座るそこに少しだけ背筋が伸びる。やっぱりやめようかな。と思ったが座る選択をした。さっきのコーラと違いきちんと考えて選択をした。はじめてのそこは気味が悪いほど冷たかった。

 かばんの中からさっきの紙とそれによく似たクシャクシャの紙を取り出す。さっきの紙には丁寧な大人の文字で「医学部医学科」と書かれている。あまりにも綺麗で現実を突き付けてくるその文字に赤く押された担任の苗字に嫌気がさして慌ててクシャクシャな紙を見た。さっきの字と比べると幼さをふくむ文字。それでも力強く書かれた「芸術学部演劇学科」は私の文字だ。

 私にとっての神様は二人いる。一人は想像上の神。もう一人は私の母だ。私は【神様】のシナリオを歩いている。

 私は三人兄妹の末っ子だ。十五個上の兄と六個上の兄がいる。私は一番上の兄が大好きだった。「だった」なのだ。過去形だ。一番目のお兄ちゃん一兄ちゃんは私が三歳の時に家を出た。私の家系は俗にいう医者家系だ。父も祖父も医者で二番目の兄ちゃんも医学部で医者になるために努力している。その為、母は当たり前のように私たち子供に医学部進学を求めてくる。それに一兄ちゃんは反発した。一兄ちゃんは俳優になった。家を出て東京に行った。そして家を出てから一度も帰ってこない。父も母も二番目の兄ちゃんもみんな一兄ちゃんが嫌いだった。だから私はテレビで一兄ちゃんを見るまで一兄ちゃんは死んでしまっているのだと思っていた。ただただ三歳のころにいつも笑顔で声色を変えながら沢山の絵本を読んでくれていた一兄ちゃんが大好きだった。今でも実は大好きだ。でも、それを家族にばれると面倒くさいから隠している。一兄ちゃんのSNSは決まって自分の部屋に鍵をかけてイヤフォンをして確認するし、出演ドラマは友達の家で見せてもらっている。もちろん一兄ちゃんが私と血がつながっていることは教えていない。

 一兄ちゃんは母神様のシナリオを歩まなかった。想像上の神様のシナリオ上にいるのかはわからない。でも、東京で大成功して有名人になっている一兄ちゃんを見ると想像上の神様はハッピーなシナリオを描いているのだと思う。

 私は、想像上の神様が作るシナリオは必然的にできていると思う。日々の選択から一つ一つどこかの事柄に絡まっているのだと思う。日々を大切にというのはそういう意味なのだ。きっと。

 私は目の前にあるこの紙は、想像上の神様のシナリオを歩み始めるか母神様のシナリオを歩き続けるかを決める人生の切符だ。どちらのシナリオを選んでも幸せになれる保証などなかった。それなら母に家族に嫌われたくなかった。だから、母神様のきれいな文字の紙が私の人生で抗おうとなんて思わなかった。なのに、なぜだろうか。私の体が「これではない」と拒絶するのは。「このシナリオではいけない。」「このシナリオは間違いだ。」そう体のすべての細胞からアピールしてくる。鳥肌が立つ。

 どれくらいの時間が流れたのだろうか、どこに木陰があったのかわからないほど周りは暗くセミの声が聞こず、自動販売機は光っていた。時間を確認するためにスマホをつけると一件の通知が表示された。何気なくタップすると画面いっぱいに一兄ちゃんが映った。密室でもない公園のベンチで私はスクロールした。一本の動画が出てきた。イヤフォンをしていないことなどに気づかずに迷うことなく再生した。

 どこなのかわからない公園にいる一兄ちゃん。その足は迷うことなく自動販売機に向かいコーラのボタンを押す。プルタブを開けて喉仏が上下する。そして一言。

「自分の心が動くほうへ。自分の人生は自分で描く。」

 生ぬるいコーラを一気に空き缶に変える。それに大人の文字を丸めて入れ込んだ。スマホからは何度も一兄ちゃんの声が聴こえた。

 人生はやっぱり神様が創っているのだと思う。でもすべてを創っているわけではない。そこまで神様もヒマではないのだ。神様はヒマじゃないから今、私が空き缶だったものを捨てても見ていない。私が一兄ちゃんにリプライを飛ばしても見ていない。私が東京に出て行って演劇をしていたらさすがに気づくかもしれないが見て見ぬふりをするだろう。今ごろ神様だった人は夕食でも作っている。シナリオを書き換えるなら今しかない。きっとこの姿は私しか見ていない。

 光と陰の境目がなくなったベンチを離れ、ゴミを近くのごみ箱に捨てる。ふとベンチを見ると変に暗かったそこは周りと同じくらい明るくなっていた。

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Documentary of me 燦來 @sango0108

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