2
「何かようかしら」
「いや、その、なんでもないです」
女性から声をかけられるまで、僕は目を奪われていた。その光景があまりにも絵画的だったからだ。
「そう。声をかけたついでにお願いがあるのだけれど、いいかしら」
彼女と目が合う。僕はしどろもどろになった。彼女の瞳に僕の存在が吸い込まれるのを感じた。
「ええ。いいですよ」
「ありがとう。写真を撮って欲しいのよ」と彼女はコートのポケットからスマートフォンを取り出して僕に手渡した。
「ここからでいいですか?」
「ええ。ここでいいわ。だって、ここが一番よく見えるもの」
「わかりました。じゃあ撮りますよ。はい、ちーず」
ぱしゃり。
スマートフォンから電子的で義務的なシャッター音が鳴った。地獄谷を背に、少し頭を傾げて見せる彼女の姿が写っていた。
「これでいいですか?」
「ええ、ありがとう」
「あの、スマホ返します」と言って返そうとした。
「私はこれから、谷の奥まで行こうと思っているのだけれど、君は行く?」
「時間があるので行こうと思ってましたけど……」
僕がそういうと、彼女は嬉しそうに笑った。
「そう、良かった。なら、一緒に行きましょう。写真撮って貰いたいし。いちいち知らない人に頼むのは面倒だもの」
「僕、あなたの名前も分からないですけど」
「佐々木凪よ。あなたは?」
「三島、三島陽一です」
「じゃあ三島くん。写真、よろしくね。形はなんであれ、生きた証を残したいのよ」
それから僕たちは歩きながら何枚か写真を撮った。雪が積もり、溶けてまた凍った、てらてらとした木造の歩道を歩いた。彼女は今年で大学を卒業するらしい。卒業旅行で北海道に来ているとのことだ。偶然にも僕と同じ卒業旅行でここに来ている人を見つけて少し嬉しくなった。そもそも卒業旅行に北海道を選ぶ人が多いだけかもしれないとも考えたけれど、それでも僕は同じことをしている人を見つけられて嬉しかった。門出の前に広い世界を見ておこうと思うのは案外、少数派の考えではないのかもしれない。
「ぼぅとしていたら、学生生活なんてあっという間に終わってしまったわ」
「大学を卒業したら、佐々木さんはどうするんですか?」
「何って、普通に就職よ」
少し間をおいて彼女は言った。
「抱いて歩いた花束はもう枯れてしまったもの」
「種、残っているといいですね」と僕がいうと、彼女は「そう、そうね。そうだといいわ」と言って目を細めた。
目の前の景色以外の、僕の知らない世界を見つめているようだった。
憧憬 太田肇 @o-ta
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