第2話 すべては計画通り……

 許嫁という関係があやふやになったまま、俺は紗奈と一緒に大学からの最寄り駅を経て隣町へとやってきていた。

 紗奈の実家はどうやらこの周辺にあるらしいのだが……ここってたしか家賃相場がめちゃくちゃ高い富裕層が住んでいる街だったよな? 

 駅近くには大型商業施設があり、高層マンションも立ち並んでいる。以前の記憶では紗奈の家はそこまで裕福と言える家庭ではなく、ごく一般的な感じだったとは思うけど、おじさん出世したのかな?

 何はともあれ、紗奈の後を追いつつ、駅を出てから歩くこと十数分。住宅街の一角にひときわ立派な一軒家へと辿り着いた。


「……ここ、本当に紗奈の家か……?」

「そうだけど?」


 どれくらいの広さがあるのかはわからないが、二階建てでありながら、車庫には高級外車が二台停められている。


 ––––おじさん……本当に頑張ったんだなぁ。


 俺のクソ親父も見習ってもらいたいくらいだ。晩年、役職は上がっても給与はさほど上がらず、低賃金。転職も考えていたようだが、他の会社で頑張れる自信がないとかで結局、新卒から今の会社でずっと働いている。ある意味ではすごいけど。


「ママただいま〜」

「あら、おかえり……って、あらあら〜裕ちゃんじゃない!」


 約八年ぶりに会ったおばさんは、昔と全然変わっていなかった。

 むしろ少し若返ったような気もしなくはない。

 なにせ、紗奈の母親だから元の素材がいいのだろう。見た目は完全に二十代。全く知らない人に紗奈と姉妹ですと言えば、一ミリも疑うことなく信じてしまうかもしれない。


「お、お久しぶりです……」

「あらあら〜こんなに大きく立派になっちゃって〜」


 おばさんは近づいてくるなり、俺の体をベタベタと触ってくる。


「ママ、私の裕くんにあまり触らないで」

「あら、紗奈ちゃんったらママに嫉妬しちゃったのね。うふふ……若いってやっぱりいいわね〜」

「いや、別に紗奈とは––––」

「はいはい、立ち話もなんでしょうから中に上がっちゃって、ね」


 おばさんに言い分を遮られるような形で家の中へとお邪魔すると、リビングの方に案内された。


「じゃあ、ここでゆっくりしててもらえるかしら? すぐにお茶を持ってくるから〜」


 そして、これまたお値段が張りそうな革張りのソファーで待つこと数分。

 お茶菓子を用意してきたおばさんが戻ってきた。

 おばさんはテーブルの上にお茶と自家製の懐かしいクッキーを並べると、隣のソファーに座る。


「さぁさぁ、遠慮なく飲んで! 喉乾いたでしょ?」

「それじゃあ……いただきます」


 俺は麦茶が入ったグラスを手に取ると、口の中へと流し込む。


「ところで紗奈とはヤリサーで再会したって聞いたのだけど、本当なの?」

「っ?!」


 その瞬間、思いっきり麦茶を吹き出してしまった。


「裕ちゃん、大丈夫?」

「え、えぇ、大丈夫です……」


 俺は咳き込みながらも隣に座っている紗奈を睨みつける。


 ––––なんちゅうこと言ってんだよお前!?


「あ、あの、なんと言いますか、誤解です! 別にそういう意味で行ったわけではなくてですね……」

「でも、ヤリサーにいたってことは少なからず、女の子とそういうことがしたいってことなのでしょ?」

「いえ、本当に違うんです! 友だちの付き添いで行っただけであって、いずれはそういうことをしたいとは思ってますけど、好きな子以外とそういう関係になるつもりは一切ありませんッ!」


 大学生としての四年の間に童貞を捨てたいとは思ってはいるけど、それはあくまでも最終的な目標であり、本当の目標というのは彼女を作ることである。

 しかし、これも性格なのか俺としては顔だけがタイプの女の子とは付き合おうとは思わないし好きにはならない。理由としては、ごく簡単なことで嫌な部分を知ってしまったら自分としては耐えられず、関係を続けられないと思うからだ。

 彼氏彼女という関係はそんな軽いものではない。顔だけで付き合う付き合わないを判断するのであれば、そいつはただのヤリチン野郎だ。俺が良さそうな女の子を物色してナンパしようとしていたのもただ知り合うきっかけが欲しかっただけで、ナンパしたからと言ってイコール付き合いたいという考えにはならない。

 それは幼馴染である紗奈にも言えることだ。約八年という間が空いてしまった以上、いくら顔がタイプでも性格的に合わないと感じれば、好きにはならない。

 まぁ、健人が言うにはこの辺りが変わっていると感じているらしいけど。


「そうなの? 紗奈ちゃんからヤリサーの見学で再会したって聞いた時は驚いたけど、ヤリチンクソ野郎じゃなくて良かったわ〜」

「あはははは……」


 俺は苦笑いを浮かべつつ、もう一度紗奈を睨みつける。


「それで八年ぶりに紗奈ちゃんと再会したわけだけど、率直にどう!? 私が言うのもあれだけど可愛いと思わない?」

「え、まぁ……はい」

「そうよね! この子ったら、ずっと裕ちゃんと結婚するんだって言って、毎日努力を欠かせなかったのよ〜。健気って素敵よね〜」

「そ、そうですね。一途なところはすごいと思いました……」


 なんだろう。この言葉にならないおばさんからの底知れない圧力は……?


「ぶっちゃけ付き合いたいと思うでしょ〜? いいのよ? 許嫁の件は、ちょっと強引なところはあるけど、私たちは大歓迎だから〜。あ、ヤりたかったらいつでも紗奈ちゃんとやっちゃっていいからね〜。学生結婚も今どき珍しくはないし、子どもはそうね……最低二人くらいは欲しいかしら!」


 何言ってんのこの人?! 自分の娘の前でよくも恥ずかしげもなく……。


「ちょ、ちょっと待ってください! まだ俺たちはそこまでの関係ではないと言いますか……俺としては慎重に今後の関係について考えたいと言いますか……」

「はい? うちの娘に何かご不満でもあるのかしら?」

「い、いえ、不満と言えるほどはないですけど……」


 紗奈が時折見せるヤンデレは母親譲りだったか……。


「なら、問題ないわね! 大丈夫よ〜。裕ちゃんが合わないと感じれば、別れればいいだけだから〜」

「え?! わ、別れるのは絶対にイヤっ!」

「何言ってるのよ紗奈ちゃん。あまり束縛しすぎるのはダメよ? 裕ちゃんにも人生があるんだから〜。そういうことだから裕ちゃん。試しでいいのだけど、紗奈ちゃんと付き合ってくれないかしら? 許嫁の件は一旦白紙でいいから、ね? お願い」


 おばさんからここまで言われてしまえば、俺としても断りづらい。

 許嫁の件は白紙にしてもらえるようだが、試しに付き合うというのもどうなのだろうか?

 そう思ったのだが、ふと健人の言葉が脳裏をよぎった。付き合ってみれば、好きという感情は自ずと後からついてくる……。

 紗奈に関しては、八年前の情報で止まったままだけど、いずれは心の底から好きだと言える日は来るのだろうか。


「わかりました。紗奈がいいのであれば……」

「本当に? うん、じゃあ私、裕くんと付き合う!」

「良かったわ。ついに紗奈ちゃんにも彼氏が……ありがとう、裕ちゃん」


 紗奈は俺に抱きつき、おばさんは嬉しそうに涙ぐんでいた。


「じゃあ、彼氏彼女にもなったわけだし、紗奈ちゃん。同棲の準備を始めなきゃね! 裕ちゃんは今、たしか一人暮らしだったよね? 住所は鹿児島市––––」

「いやいやいや、ちょっと待ってください! 同棲ってなんですか!? というか、なんで俺が一人暮らしであることを知った上で住所まで!?」

「あら、ご両親から聞いてなかったかしら? 前々から紗奈ちゃんと同棲させようっていう話が持ち上がってたのよ?」

「はああああああ?!」


 聞いてないって、何それ?!

 前々からって、俺が知らないところで何計画してたんだよ!

 今思い返せば、部屋探しの時もやたら広いところを勧められていた。一人暮らしにしてはバカ広い4LDKの一軒家とか。

 親に一人暮らしだからもう少し狭くて、安いところでいいよとか言ってはいたんだけど、適当な理由をつけられて結局、借りたところは3LDKのマンションだった。

 ––––なるほど。全部仕組まれてたわけか……。


「同棲はさすがに早いんじゃ……?」

「そうかしら? 相手をもっと知る上では同棲した方が手っ取り早いと思うのだけど?」

「そうは言ってもですね––––」

「お家賃たしか五万円くらいだったわよね? ご両親からは自分で払えって言われて、さぞ大変じゃない?」

「うっ……そ、それは……」

「お家賃全額負担するわよ? プラス生活費も少しは出してあげてもいいのだけど……?」


 おばさんがさっきとは打って変わって、悪魔にしか見えない。

 家賃を全額負担して、なおかつ生活費まで出してくれるという夢のような条件。しかし、一般的な常識に基づいて考えるのであれば、付き合い始めて一日で同棲はさすがにおかしい!

 けど……


「い、いいでしょう……。紗奈との同棲します……」

「本当? それじゃあ、紗奈ちゃん明後日くらいには裕ちゃんの家に引っ越してくるからあとはよろしくね?」

「はい……」


 これで月五万円の出費がなくなり、バイト地獄もなくなったとはいえ、喜んでいいべきなのだろうか。わからない。



【あとがき】

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