第1話 婚姻届

 サークル棟を出た俺たちは一般棟近くにあるカフェテリアへとやってきていた。

 ここは休み時間問わず、授業のない学生たちがいつも多く集まっている。

 話し合いをするのであればやはりテーブルとイスは必要だろうと思い、この場所へとやってきたのだが……当然というべきか昼休みということもあり、どこも空いている場所はなかった。

 仕方なく、適当なところで立ち止まる。

 改めて彼女……幼馴染である大森紗奈おおもりさなの方へと振り返る。

 ウェーブがかかったショートボブにどこか幼さが残りつつも整った顔立ち。胸はそれなりに出ており、スラリと伸びた手足は細くて長い。まさしく絶世の美少女。

 紗奈とは小学五年生の頃までご近所同士だったが、紗奈のお父さんが転勤ということもあって離れ離れになっていた。当時はもちろんスマホなどは持ち合わせていなかったため、たまにやりとりをしていた両親たちの電話で話す程度ではあったが……


「それで、なんで裕くんがあのヤリサーにいたの?」


 疑いの目を先ほどから崩さない紗奈に対して、俺は深い息を吐く。


「ただの親友の付き添いだよ」

「ウソ。絶対にいやらしい目的があったんでしょ!?」

「ちげーよ! つーか、それを言うんだったら紗奈もだろ?」

「私は友だちの付き合いよ。友だちがヤリサーがあるらしいから見学だけでもしていかないって面白半分で連れてこられて……」

「俺とほとんど同じ理由じゃねーか! よくもまぁいけしゃあしゃあと疑いをかけれたな!?」


 自分勝手というかなんと言うか……。

 外見は変わっても中身が変わっていない紗奈に対して、どこかほっとしたような安心感すら覚えてしまう。

 昔は男勝りのやんちゃな性格をしていたため、いろんなことに振り回されまくってたが、今もそうなのだろうか? だとしたら……正直、面倒臭い。


「……で、私のおっぱいはその……どう、だった?」


 紗奈は頬を赤く染めながら、時折視線を泳がせる。


「すっごくやわら――って、言うわけねーだろ! だいたいどうして紗奈がこの大学にいんだよ」

「たまたまの偶然。運命の再会」

「んなわけねーだろ!」


 大方の見当はついている。おそらく自分の母親経由で俺の母さんからどこに進学するか聞き出していたのだろう。

 まったく恐ろしい幼馴染だ。

 この大学は国立だけに偏差値もなかなかに高くて、倍率もかなりある。よって、そう簡単に入れるところではないのだが……。

 久しぶりの再会なのに涙の一つすら溢れない。


「てか、許嫁ってなんだよ。俺、紗奈と結婚の約束をした覚えないんだが?」

「え……裕くんもしかして覚えてないの?」


 紗奈の表情が急激に曇りを見せる。


 ――え、本当に結婚の約束をした覚えないんだけど……?


「これを見ても思い出さない?」


 紗奈はスマホをこちらへと向ける。画面には婚姻届らしきものが写っており、よくよく見たら「夫になる人」「妻になる人」の欄にそれぞれ俺と紗奈の名前が記載されていた。


「いや、ちょっと待って! 俺これ書いた覚えないぞ!? まさか紗奈、勝手に……!」

「違うわよ。ほら、よく見て。これどう見ても裕くんの字じゃない」


 紗奈が拡大して見せるとたしかに俺が書いた字に見えなくもなかった。


「だとしたらいつ……?」

「私が引っ越した日覚えてる?」

「引っ越した日……?」


 俺は頭の中をフル回転させながら過去の記憶を遡る。

 約八年前とはいえ、だいぶ記憶は薄れているが、紗奈との最後のお別れの日を脳内で再生する。

 そして……見つけた。

 あの時は紗奈が車に乗り込む直前に俺のサインが欲しいとか意味のわからないことを言い出したから、差し出された紙に記入したんだった。

 当時は「婚姻届」の意味すら知らなかったし、「夫」や「妻」といった漢字も読めなかった。それくらいのバカだったから何も考えずに記入していた。


「思い出した? 私の一生に一度のプロポーズ♡」

「いやいやいや、あれはノーカンだろ! 婚姻届の意味すら当時は知らなかったんだから」

「え、なに……私だから嫌ってこと?」


 再開して数十分。

 ところどころ気になってはいたんだが、ヤンデレ要素持ってる?


「違う。意図してないところで許嫁にされるのが嫌なだけであって別に紗奈だからっていう意味じゃない。そもそも紗奈はかなり美人だし……」

「美人……えへへ♡ 本当にそう思ってる?」

「ああ……俺には勿体ないくらいに美人だ。だから久しぶりの再開ってことだし、まずは許嫁ではなく、普通の幼馴染として離れ離れだった今までの出来事とかを――」

「あーそれなら大丈夫。祐くんのことは逐一、香苗さんから電話で聞いてたから」

「……マジかよ」


 香苗とは俺の母さんの名前である。


「とにかく許嫁の関係は辞めないからね! 祐くんも私の事美人と思ってくれているのなら少なからず好意は抱いているということでしょ? なら、問題ないよね?」

「……」


 外見はたしかに俺好みかもしれない。

 だが、中身が……うーん。

 約八年ぶりの再会だけでなんとも言い難い。俺としては女の子とそういう関係になるのであれば、慎重に考えたい派だし、中身も重要視している。

 だから、今のところ紗奈は好きでもなければ嫌いでもないといったところだ。


「あ、それから今日私の家に来てくれる?」

「ん、紗奈の家にか?」

「お母さんが久しぶりに会いたがってたから挨拶だけでもって、思って……」

「ああ、それなら別にいいけど」

「ホント?! じゃあ、私次まで授業あるからその後一緒に帰ろ!」

「あ、ああ……」


 それじゃあねと紗奈が告げたと同時に昼休みが終わるチャイムが鳴った。


【あとがき】

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