霖雨蒼生

氷翔麗華

君は語る

もう、夏になってしまった。あの時の君へ、また花を送ろう。

何故こんなことを繰り返すのか、意味もないとわかってはいるが、止めることはできなかった。


いつの頃だったか、具体的には思い出せないが、中学生になったばかりの頃だったはずだ。

生憎の曇天の入学式に、お天道様も僕のことが嫌いなのだと錯覚してしまいそうだった。

傘を持ってきていないから、雨が降ったらきっと濡れてしまう。でも、誰も僕に傘を貸すどころか傾けてくれる人も居ないだろうから、雨が降ったら諦めよう。

そう思ってどこか侘しい装飾がされた体育館に1人で向かった。


担任の先生も、それぞれの教科の先生もどうでもよかった。雨が降らないうちに早く帰りたかったのだ。しかし、そうこうしているうちに雨の音が壁の向こうから微かに聞こえた。

結局降ってしまった雨は、いつ止むのだろう。僕の心のように、ずっと降り続くだろうか。

(…誰も、僕の周りにはいない。雨のように、皆から嫌われてるんだ、きっと。)

思い返せば、めでたい日に晴れたことなどなかった。これからもきっとそうなるだろうし、気にするのももう馬鹿馬鹿しくなった。

長い祝辞は終わり、体育館からクラスごとに出る時、酷く冷たい現実が僕を見つめていた。

周りを見れば殆どが男女の二人組…つまり両親が、体育館を後にする僕らを見ていた。そこに僕の両親の姿はない。顔見知りもいない。只々、孤独で脆弱な僕がそこにいた。


体育館を出た後、教室に案内された。僕は3組だったそうで、1階の体育館から5階の1年の教室に向かった。周りから雨音に溶けるようなほど小さい話し声が聞こえる。そういえば、ここは公立中学だった。近隣の小学校から来ている人の方が多かったのだろう。

小学校からの友人と同じ中学校に入学するなんて、羨ましいとしか言いようがなかった。

『これから私がこのクラスの〜』と担任の女の先生が話していたが、どうにも雨の様子が気になって涙が垂れる窓の向こうを見ていた。

雨は段々と強くなっていたようで、季節外れの台風がきたのではないかと思うほどの風の音も聞こえた。


そんな訳だから、親と帰るようにと僕らは言われたが、僕だけひとりぼっちで帰る羽目になった。まさか、子供の晴れ舞台に来ない親がいると思わないだろうし、仕方がなかった。5階から階段を使って1階に降り、玄関口から外を見る。この雨の中帰れば風邪をひいてしまうだろうな。そんなわけだから、ひどく困ってしまった。

そんな時少し後ろから、高すぎず低すぎずな鈴を転がす様な声が聞こえた。驚いて振り返ればお天道様よりも輝かしい笑顔が僕だけを見ていた。

「こんな大雨なんて聞いてないよ〜、折りたたみの傘じゃ絶対濡れちゃうよね…。」

困っているようではあるが、どこか楽しそうな声で、何かを慈しむような優しい眼差しだ。

ここでようやく、僕に話しかけてくれたのだと理解した。それに気付いた僕は君に言葉を返そうとして、息を吸った。しかし何か言う前に君が気付いてしまった。


「傘、持ってないんでしょ。私の傘…大きくないけど一緒に入ろ?」

その言葉に反射的に頷いてしまった。こんなことを言われるのは初めてで、つい嬉しくなって頷いてしまったのだ。すぐさま傘を持ってるから大丈夫と虚勢を張ろうとしたけど、生憎君も僕も靴を履いていて、そのまま手を引かれて傘の下に閉じ込められてしまった。

差した傘は大きくはないし、なんなら小さい。そのせいで僕の肩も、君の肩も濡れてしまっていたけど、どこか温かく感じて傘の下にいるのに雨の雫が流れてしまいそうだった。


校門を出たところで、帰りの道の方向が同じことを知って、自己紹介をしながら雨音に混じる靴の音を聞き流していた。他愛もない話ができるほどまでに打ち解けたのは、きっと君の笑顔が緊張や寂しさを溶かしてしまったからだと、そう思った。この時点で、もう既に好きになっていたのだろう。


長いようで短い温かい時間は、僕が家に着いたことによって終わってしまった。それでも君は『また明日沢山話そうね!私1組だから少し離れてるけど、絶対そっちに行くね!』と玄関口でも見た笑顔を見せてくれた。

翌日、君は昨日言った通り教室に来てくれたし、沢山話してくれた。この学校にはクラス替えがないのが悔やまれた。君とは同じクラスになれないのだ。それでも君は『だいじょーぶ、私が毎日来てあげるよ。ね?』と優しく微笑んだ。


「懐かしい思い出だね。あの時はとても幸せで、どこか浮ついていた。」

「それから…2年生になった頃だったよね。英語のテストで15点を取って、教えて欲しいってわざわざ家まで来て、毎週図書室で英語の勉強をして…。」


2年の1学期のことだ。学期末のテストで15点を取ってこのままじゃ補習になると大慌てで僕のところに来た。あの時の君の様子はなんだか面白くて、つい笑ってしまった。そうすれば君は『もう、なんで笑ってるの!こっちは笑い事じゃないのにー!』なんて言ってる割に、ほんの少し楽しそうにしていたことを今でも覚えている。


夏休みに入って、一緒に勉強をすることになった。僕の家は親がずっといるから使えない。君の家は空調設備が古いから1日中ずっと暑い。だから図書館で勉強しようということになって、ペンケースと教科書、それから夏休み中の課題なんかを持って朝から途中で昼食を挟んで夕方まで、ずっと図書館にいた。


夏休み中盤に、僕の小学校のことを聞かれて話したこともあった。親が育児放棄気味で、小さい頃から遊んでもらえなかったこともあって、友達の作り方がわからないからずっと本を読んでいた。話しかけられても吃ってしまうから、気味悪がられて誰も周りに近寄らなくなっていったこと、学年があがってちょっとしたいじめに発展したことを話した。

それを聞いた君は目に涙を溜めて泣きそうになっていた。『辛かったんだね、寂しかったよね、きっと。でも大丈夫、私がひとりぼっちにさせないからね』そんなことを言ってくれたから、もう過去の僕は救われていることだろう。


それから、3年生になって。進学先を2人で話した。君に行きたい高校について聞けば『んー、君が行きたいところに行こうかなぁ。私特に夢もないし。』と話した。

僕にも夢はなかったから2人で同じ高校に進学した。やはり入学式は雨だった。

同じ高校になったところまではよかったが、自称進学校のここでは、放課後に仲良く遊んだりすることが難しくなって、少ないけれど同性の友だちもできた。そのせいか、君と話すことも少なくなって、学校で少し話をする程度になってしまった。そうして忙しなく過ごした1年はとても短かったように思う。


そして、高校2年生の夏頃。

女子のいじめとは陰湿なもので、段々と関わりの薄くなっていたのもあり、君がいじめられている事に気付くことができなかった。後から家のポストの中に入れられていた手紙を見て、初めていじめのことを知った事を後悔した。


「屋上って鍵閉まってなかったっけ。」

「普段は閉まってるけど、ここの屋上って鍵が緩いからちょっと力入れたら開けられるんだよ〜。」

「そ、そうなんだ…。ところで、こんなところに呼び出してどうしたの?」

緩やかな風が吹く。夕焼け色の輪郭が、やけに心を揺さぶった。

「私ね、君に話したいことがあるんだ。…覚えてるかな?中学の入学式。私その時ね、君に一目惚れしたんだよ。私と同じように親も兄弟もいなくて、ひとりぼっちだった君に。」


「それからさ、仲良くなって、色んな話をして、色んなところに行ってさ。すっごく楽しかった!」

何故こんなことを話すのだろう。先の見えない話し方に少しずつ嫌な予感がした。


「でも私、もう生きられないの。」

そういいながらゆっくり柵の方へ足が向かっている。…何をしようとしているのかわかってしまった。ただその手を離さないように掴むだけでいいはずなのに、動揺した頭ではその方法を考えることすらできず、こんなことになってしまった理由をひたすら考えていた。



「ごめんね、ありがとう。幸せだったよ。」


「最期に君の顔が見たかったの、許してね。」



出会った頃と同じような笑顔だった。凹凸のある地平線に太陽が墜ちていく。お天道様はこんな時にしか姿を現さない。なんて皮肉だろう。衝撃のあまり、そのまま突っ立っていることしかできない自分を今でも恨んでいる。その後、どうやって帰ったのか覚えていなかった。


翌日、もちろん話題に上がった。教師たちが詳細を知っている人を探しているようだった。僕は何も言えずに俯いたままだった。外は雨が降っていた。

ひとまず、生徒の心を慮ったのか、その日はもう家に帰された。傘を差す気になれず、雨に濡れたまま帰路を辿っていた。

「風邪ひくぞ。」

数少ない友人の内の1人が、それだけ言って傘を傾けてくれた。何も聞かず、何も話さないまま駅まで着いてきてくれた。

「じゃあ、な。」

それだけ言って彼は踵を返して去って行った。


「あの時の友人達には感謝してるんだ。しばらくの間、別の話題を出して少しでも気が紛れるようにしてくれた奴もいたし、静かに僕の話を聞いてくれた奴もいた。」

それでもこうして君の墓に来ている時点で立ち直る事は出来ていない。初恋は実らないとはよく聞くが、こんな事になるなんて思いもしないだろう。

「虐待されてることも、いじめられていることも、早く教えて欲しかった。助けて欲しいと言って欲しかった。」

「今更…意味ないか。また今度、ここに来るよ。」



「お休みなさい、僕だけの太陽。」

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