十六歳

『告白、今日も断ったんだね。可愛くていい子だったのに、どうして?』

 丸っこい字でそう書かれたクロッキー帳を見て、俺はいつもと同じ答えを返す。

「好きじゃないし、好きになれる自信もなかったからな。そんな気持ちで付き合うのは失礼だろ?」

 おねえさんが声を出せなくなってから三年弱が経った。

 声の消失以降は特に問題も起きず、いまだに彼女は俺の隣にいる。

『もうすぐ十七歳なんだし、恋の一つや二つ経験しといたほうがいいよ』

「いずれ本当に好きな人ができたらな」

 そう言うと彼女は曖昧に笑って、さらさらと字を書く。

『それにしても、高校生になってからこれで何回目? モテモテだね~』

 おねえさんの言う通り、俺はモテた。

 今はもう人前で自称なんてしないけど、頭がよくて、容姿もそれなりなお陰だと思う。

 でも頭のよさは学ぶことの楽しさを教えてくれたおねえさんのお陰だし、容姿は両親譲りだ。

 俺は何一つ、自分の力で得ていない。

 隣にいるおねえさんを見る。あのころと変わらない、大人びた女性がそこにいた。

 俺はあの頃からほんの少しは成長できているのだろうか。


 俺は、おねえさんが好きだ。

 いまだに、大好きだ。


『そういえばもうすぐ誕生日だね』

「今度の土曜日だな」

『予定は? 友達と過ごす?』

 首を振って否定すると、おねえさんは首を傾げた。

「今年はちょっと行くところがあるから」

 今年で俺は十七歳になる。

 十七歳という年齢は、俺にとってとても大きな意味を持っていた。

 俺の憧れで、目標で、最愛な存在である悠里おねえさんが死んだときの年齢だ。

 だから今年の誕生日は、おねえさんの実家に行って挨拶してこようと思っている。

『わたしはここにいるのに?』

「うん。おねえさんの年齢に追いついたことを、おねえさんのお母さんに伝えたいんだ」


 土曜日。

 事前に連絡をしていたので、おねえさんのお母さんはすんなり俺を迎え入れてくれた。

「お誕生日おめでとう。大きくなったわね」

「もう十七歳ですからね」

「ふふ。ありがとね、来てくれて。悠里も喜んでいると思うわ」

 そう言っておねえさんのお母さんは仏壇へと案内してくれた。

 少し幼いおねえさんの写真が飾られている。

「あの子、写真が好きじゃなかったからね。この写真は中学の卒業記念にどうしても撮らせてって頼んだものなんだけど、まさかこれが最後の写真になるとは思っていなかったわ」

 ちらりとおねえさんのほうを見ると、申し訳なさそうに顔をゆがめていた。

 仏壇に手を合わせた後、近況報告や思い出話をしていたらいつの間にか三十分近くたっていた。

「すいません、お手洗いお借りしていいですか?」

 談笑を中座し、おねえさんと一緒に廊下へと出る。

 別にトイレに行きたかったわけではなく、おねえさんにお願いしたいことがあったのだ。

「おねえさん。俺今からお母さんに決意表明をするんだけど、ちょっと恥ずかしいから少し遠くに行っててくれない?」

 そう言うと、彼女は素直に頷いて、すう、と俺から少しだけ離れていった。


 リビングへと戻った俺は、お母さんに向き直った。

「改めて、今日は聞いてほしいことがあるんです」

「なにかしら」

 俺は深く息を吐いて、吸った。

 自分の気持ちも一緒に吐き出すために。

「俺は……ぼくは、悠里さんが本当に好きでした。いろいろなことを教えてもらって、叱ってもらって、褒めてもらいました。彼女はいまだにぼくの憧れで、目標で、大人の象徴です」

 彼女のお母さんは、俺の突然の決意表明を優しい顔で聞いてくれる。

「今日ついにぼくは悠里さんと同い年になってしまって、でも全然大人になんてなれませんでした。あの頃の彼女はまだずっと遠くにいて、手を伸ばしても全然届かないところにいます。でも、ぼくは、手を伸ばすことだけは諦めないでいようと思います。ゆっくりでも歩き続けて、おねえさんに褒めてもらえるような人生を送りたいと思っています。だから、お母さんにもぼくのこと、見守っていただけるとうれしいです」

 ゆっくりと頭を下げる。

 お母さんは少しだけ目に涙を浮かべて、「もちろんよ。こーすけくんは息子みたいなものだからね」と笑った。


「……別に、決意表明をしたからって消える類のものでもないよな」

 俺たちは来た時と同じように二人でおねえさんの家から出た。

『お母さんと何話してたの?』

「おねえさんみたいな大人になるから見守っててくれって」

 正直にそう言うと、おねえさんは照れたように笑った。


 こうして俺は、十七歳になった。






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