第9話
皿に盛り付けられた刺し身は、白身と赤身があった。
ティアさんの説明によると、尻尾や四肢、それと表皮付近の肉が白身なのだという。
赤身は主に筋肉なのだそうで、マグロのような光沢を持っている。
「お醤油は日本製のもので申し訳ありません」
と、ティアさんは頭を下げる。
なんでも、フォーティンの豆で再現しようと試行錯誤しているそうだが、いまひとつ上手く行っていないのだという。
「いえ、気にしませんよ」
よく知らないけど、醤油や味噌は酵母が必要だったはずだ。
それから再現しようとなると、一朝一夕でどうにかなるものじゃないだろう。
俺はさっそく赤身を口に運んで見た。
マグロのような見た目なのに、食感はコリコリしていて白身魚に近い感覚。
味もあっさりしていて、後に残らない。
次いで白身に手を伸ばし、口に放り込む。
「――トロだコレっ!?」
同じように白身を口にしたタマちゃんが、頬を押さえて喜びの声をあげた。
タマちゃんが言ったように、舌の上でとろける感触は、まるでトロ。
それなのにすっきりしていて、ほのかな香味が鼻に抜ける。
俺達は夢中でドラゴン刺し身を口に運び、白米を掻き込んだ。
「あと、こんなのも用意してみました」
そう言って、ティアさんが運んできたのは。
「唐揚げ!」
大皿に積み上げられたそれを見て、タマちゃんが両手を上げる。
「以前のお客様にご好評だったので、作ってみました。
飛びトカゲの羽根肉の唐揚げです」
さっそく食べてみると、パリパリの衣から、肉汁と一緒に飛びトカゲ特有の香味が口の中に溢れて、ハーブチキンの唐揚げを彷彿させる。
下味はきっと塩胡椒だけ。
なのに香草のような香りがすっきりとしていて、いくらでも食べられる気がする。
お酒が欲しいと思ったが、この後まだなにか、見物するものがあるそうだから、ぐっと我慢した。
代わりに啜ったお吸い物も、風味が利いていて美味しかった。
「ティアさんは食べないの?」
タマちゃんが首を傾げるが。
「わたしは調理中に味見で食べましたので」
ティアさんはそう告げて、給仕に専念するようだ。
俺達はたっぷりおかわりまで堪能し、非常に満足した。
ステーキにでき、刺し身も美味しくて、からあげにまでなる飛びトカゲ。
さすが異世界食材だ。
とにかく美味しいという感想しか出てこない。
食後のお茶を愉しみ、ひと心地ついたところで、ティアさんは窓の外を覗いて。
「……そろそろ頃合いですね」
俺達はティアさんに誘われるままに、ログハウスの外に出る。
「うわぁ……」
まず驚かされたのは、夜空に浮かぶ月の大きさだ。
空の半分を埋め尽くすほどの巨大な緑色の月。
そのやや上方には、地球で見えるくらいの、けれどひし形をした赤い月も浮かんでいる。
昨晩は気疲れからか、夜空を見上げる間もなく眠ってしまったから気づかなかった。
「この世界の月は、緑と赤なんだねぇ」
タマちゃんも俺と同じように空を見上げて、呆然と呟く。
「ええ。緑の大月は豊穣の女神様のお名前からディトレイアと。小月はその娘神からモニアと呼ばれています。
今日は見えていませんが、もうひとつ、白いディオラという月もあるのですよ」
それぞれの月を指差しながら、ティアさんが説明してくれる。
「ん~、ひょっとしてフォーティンって、ディトレイアの衛星なんじゃないのかなぁ……」
タマちゃんが腕組みしながら呟く。
確かにあれだけ大きいなら、この星が衛星ということもありえるかもしれない。
「以前のお客様もそういう想像を巡らしていらっしゃいましたね。
リーシャ王国の学者にも、そういう説を提唱する方がいらっしゃいます」
「――という事は、証明されてない?」
「ええ。この日本のように、宇宙まで昇る技術はフォーティンにはありませんし。
そもそもこの世界が、地球のように惑星なのかもわかっていないのです……」
そう告げるティアさんに、タマちゃんは首を捻って。
「西か東にずーっと行けば、一周できるんじゃない?」
「三百年ほど昔、事故でこの世界に迷い込まれた日本の方もそう仰ったそうで。
彼は王国から大船団を率いて、東の果てを目指したのですが……」
そこで彼女は鞄から、一枚のバインダーを取り出す。
「――目覚めてもたらせ……」
短くティアさんが呟くと、バインダーの上にひとつの映像が空中投影される。
大海原から空の彼方までそそり立つ、大小様々な歯車でできた巨大な壁。
歯車は一番小さいものでも、一緒に写っている帆船より大きく見える。
「これが現在知られている、この世界の東の果てです。
壁の切れ目を探して、計五回、南北に進路を変えて彼は東の果てに挑戦したそうですが、いずれもこの壁に阻まれたそうです。
そのため、いまだにこの世界は、地球のように球状なのか、あるいは平面なのかもわかっていないのです」
「そっかぁ。異世界だもんね。地球と一緒って考えちゃダメかぁ」
「でも、世界の果てを目指した人は、ロマンがあったんだなぁ」
見知らぬ異世界で、五回も航海にチャレンジするなんて、俺にはできそうにない。
「彼は日本に帰る手段を求めて、世界中を巡ったそうです。
冒険者のみなさんからは、伝説の探検家として尊敬されていますね」
ティアさんの言い方から察するに、その彼はきっと帰還果たせぬまま、この地で果てたのだろう。
「そんな彼のお陰で、わたし達は日本という異世界の存在を知る事ができたのですけどね」
そして魔法で日本との往来が可能になり、俺達は気軽に旅行に来れているというわけだ。
俺とタマちゃんは、かつてこの地で果てたという、日本の探検家に手を合わせて黙祷する。
「……ありがとうございます」
ティアさんはお礼を言って。
「それではこのツアー、最大の目玉スポットをご覧頂きましょうか」
そうして右手で背後を示して見せた。
木々に縁取られた湖。
緑の月光を映して、静かにさざ波を寄せるその周囲に多くのドラゴン――飛びトカゲが集まっていた。
チラシの写真からはわからなかったが、飛びトカゲは想像していたより、ずっと小さくて。
尾まで入れても、一二〇センチ前後くらいだろうか。
青緑色の肌をしていて、背中から生えた羽根を気持ちよさそうに月光にさらしている。
ティアさんに案内されて向かったのは、湖の岸から十メートルほどのところに建てられた丸木小屋で。
「飛びトカゲの生態調査をしていた学者達が残した観測小屋です」
湖に向かって大きなガラス窓が設えられた室内で、ティアさんは丸椅子を俺達に進めた。
「……そろそろですよ」
鏡のように夜空と月を映していた湖面が波立ち、やがて角の生えた大きな飛びトカゲが無数に現れた。
「大きい……」
浜にいたのは一二〇センチほどだったが、今現れたのは二メートルくらいあるだろうか。
「あれがオスです。
彼らはメスにアピールする為、まず獲物を狩って、力を示すのです」
確かに、現れたオストカゲは、どれも口に大きな魚を咥えている。
「基本的に湖畔に生えた苔を主食にしている彼らですが、この時期だけは繁殖に備えて、栄養を蓄える為に肉食になるのです」
そうして浜辺のメスの群れに進んだオス達は、咥えた巨大魚を地面に下ろし。
「――笛の音?」
「飛びトカゲの唄です。おふたりは運が良いですね」
和笛――龍笛って呼ぶんだったか。
それに似た音が長く強く夜空に響き渡り、オスの飛びトカゲ達は競うように、夜空を見上げて喉を震わせる。
「あれが彼らのメスへのアピールの仕方なのです。
――そして……」
ぽつりぽつりと。
飛びトカゲ達の周囲に青色の燐光が浮かび始める。
「彼らの唄に精霊が反応していますね。あの状態の精霊を、精霊光と言います。
大規模魔道を行使する際にも見られる現象なのですが、自然界で見られるのは、飛びトカゲの求愛行動を合わせても、そう多くありません」
まるで唄に合わせるように、舞い飛ぶ精霊光に、俺達は言葉を失った。
王様がネタバレを恐れて隠すわけだ。
ひどく幻想的な光景。
「あれ、なに? 小人?」
と、タマちゃんが指差す方を見ると、背中に蝶の羽根を生やした女の子達が、精霊光と一緒に舞い踊っている。
薄いワンピース姿をした幼い彼女達は、近くの飛びトカゲの頭くらいのサイズしかなくて、しかもほのかに輝きながら、半透明に透けている。
「リ・ト――地球で言うところの妖精のようなものでしょうか。
彼女達は精霊を糧に生きる種属で、こういう精霊光が舞う場に、よく姿を現すのです」
飛びトカゲ達も彼女達には慣れているのか、頭の上で踊られても襲いかかかる気配はない。
飛びトカゲの唄に合わせて、リ・トと精霊光が舞い飛び踊る。
ふたつの月が二色の柔らかな光を投げかけて、鏡のようになった湖面を照らし出していた。
あまりに美しい景色だ。
自然と涙がこぼれ落ちて、景色が滲む。
そうだよ。こういう……心揺さぶるような景色が見たかったんだ。
ずっとずっと願っていた。
「――あだじ、来でよがったぁ……」
隣に座るタマちゃんもまた、洟をすすりながら涙を流している。
俺はタマちゃんにハンカチを手渡しながら、自分の目尻を袖で拭う。
「……ああ、俺もそう思うよ。本当に……」
飛びトカゲの唄をBGMに、俺達は写真を撮るのさえ忘れて、目の前の幻想的な光景に見入った。
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