第8話
奏風環が奏でる曲は、ゆったりとしたテンポで、どこか懐かしさ――郷愁なのだろうか――を感じさせるもので。
俺達はその場に座り込んで、すっかり聞き入ってしまっていた。
そのかたわらで、ティアさんは静かに魔法でお湯を沸かして、お茶の用意を始めた。
例の厨二ポーズが必要なミサキ式ではなく、この世界の人だけが使える魔法で、宙に炎が生まれる。
カップにお茶を注ぐ時も――遮音効果のある魔法でも使ったのだろうか――ティアさんは、まるで物音を立てなかった。
静かに差し出されたカップに口をつけ、俺とタマちゃんは、古代の異物が風と織りなす音色に聞き惚れる。
一時間もそうしていただろうか。
「……あ、一周したみたいですね」
タマちゃんが気づいて、顔を上げた。
ふたり揃って録音を解除して。
それから空になったカップを水の魔法で洗って、ティアさんに返す。
「それでは、そろそろ参りましょうか」
ティアさんの言葉にうなずきを返し、俺達は訪れた時とは違って静かに、奏風環の音色を名残惜しみながら、ゆっくりとその場を後にする。
来た道を少し戻って、途中にあった分かれ道に進む。
三十分も歩くと、俺達はようやく奏風環の威容と、それが奏でる音色に魅せられた夢見心地から抜け出して。
「……すごかったですねぇ」
「――ホントにねぇ」
ぽつりぽつりと感想を言い始める。
人間、圧倒的な感動の前には、言葉を失ってしまうんだと思い知らされた。
「お喜び頂いて、なによりです」
そう言って会釈するティアさんも交えて、雑談しながら風穴を進む。
一時間も歩くと、緩やかだった傾斜はやや急な勾配になって、俺とタマちゃんは壁に手をつきながらティアさんの後に続いた。
やがて風穴は終わりを迎え、石畳の敷かれた道が俺達を出迎える。
空はいつの間にか赤みを帯び始めていて、もうじき夕焼けとなるだろう。
右手は山の斜面になっていて、岸壁にまばらに草が生えていて。
左手は急勾配になっていて、青々とした木々が森を形成していた。
「この石畳は、三十年前ほど前、この島を調査した学者達の要望によって敷かれたものです。
おふたりとも、おつかれさまでした。
――ここまで来れば、あと少しで今晩の宿泊所ですよ」
ティアさんが指さした先――石畳の道の向こうに、上空から見えた湖と、その湖畔に建つ二階建てのログハウスが小さく見えた。
距離的に一、二キロというところだろうか。
出張で歩き慣れてる俺と違って、普段はインドア派だというタマちゃんは、すっかり肩で息をしていて。
「ほら、タマちゃん、もうすぐだって。頑張れ!」
タマちゃんの肩掛けバックを持ってやりながら、俺が言い。
「つらいようでしたら、一度休憩にしますか?」
心配そうに尋ねるティアさんに、タマちゃんは顔を歪めながら、それでも笑みを浮かべて。
「だい、じょぶ……です。
もうちょっと、だもん。がんばる!」
胸の前で拳を握り締めるタマちゃんを励ましながら、俺達はログハウス目指して、再びゆっくりと歩き出した。
ログハウスは遠目で見て想像した以上に、しっかりした造りをしていた。
三百坪くらい広さがあって、豪邸と言っても良いほどだ。
腐食防止に表面を焼かれた、炭色のログハウスに辿り着くと、その横で腹這いになって休んでいたシルフィーちゃんが、首を伸ばして出迎えてくれた。
「調査隊用の基地として建てられた時は、もうちょっと小さかったそうなんですけどね。
ここは気象調査や飛びトカゲの生態調査にも向いているので、どんどん建てましされて行ったのです」
食堂兼談話室なのだという広間で、ティアさんはお茶を用意しながら、そう説明してくれた。
現在はどの調査も一区切りついた段階らしく、利用者が居なくなった為に、王様が観光客用に開放したのだという。
疲れ切っていたタマちゃんは、テーブルに突っ伏してそれを聞いていて。
「タマちゃん、今のうちに足冷やしておかないと、筋肉痛がヤバいかも」
そう言って、俺はタマちゃんに氷の指印を作って見せる。
「あー、そっかぁ。魔法ってホント、便利ですよねぇ」
タマちゃんは前かがみになって、テーブルの下で魔法を使う。
吹き出した冷気が、ほんのりこちらの足元まで伝わってきた。
「それではわたしは夕食の用意の為、少々外させて頂きますね」
お茶のカップを俺達の前に置いて、ティアさんはそう告げた。
俺でもやや疲労感を感じているというのに、ティアさんにはそんな様子がまるで見られない。
「休憩しないんですか?
ティアさん、タフ~……」
タマちゃんが驚いてそう言って。
けれどティアさんは、いつもの微笑を浮かべて首を振った。
「こちらの世界では、日本ほど交通機関が発達してませんから。
移動は基本的に徒歩になる為、自然と鍛えられるのですよ」
それだけで、シルフィーちゃんの背中までジャンプできるようにはならないと思うから、きっと異世界の人特有の体質なのかもしれない。
あるいは俺達が使えない、本来の魔法による作用なのかも。
そんな事を考えながら、俺は出されたお茶に口をつける。
「そうそう、屋内はどこでも見て回って結構ですが、わたしが居ない時に外には出ないようにお願いしますね?」
その言葉に、俺達は首を傾げる。
「周囲に獣避けの魔道器は設置しているのですが、絶対というわけではありませんので……」
困ったような笑みを浮かべるティアさんに、俺達はコクコクうなずいた。
野生動物が危険なのは、日本でも異世界でも変わりないようだ。
「それでは行って参ります」
と、ティアさんは部屋を出て行く。
厨房は奥にあるようだから、倉庫に食材でも取りに行くのだろうか。
どのみちくたびれ切っていた俺達は、一歩も動く気になれず。
俺はスマホを取り出して、風穴で録音した奏風環の曲を流しながら、背もたれに身を預ける。
「……良いですねぇ……」
タマちゃんが間延びした声で呟く。
ゆったりとした時間。
いつしか俺も、ウトウトし始めて。
気づいた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「――お待たせ致しました」
まるで頃合いを見計らっていたように、ティアさんが奥にある厨房からカートを押してやってくる。
いつの間にか戻って来ていたらしい。
「いや、すっかり寝ちゃってましたよ」
俺は苦笑して、ティアさんに応える。
そんな俺達の声で起きたのか、両腕に顔を埋めていたタマちゃんが、ビクリと肩を揺らして顔を上げる。
「あは、眠っちゃってました」
照れ笑いしながら、さりげなく乱れた前髪を整えるタマちゃん。
「いえいえ、今晩は少し夜ふかしして頂く事になりますので、お休み頂いて、ちょうど良かったと思いますよ。
それより、夕食に致しましょう」
そうしてティアさんは、テーブルに皿を並べ始める。
今日は昨晩のようなコース式ではなく、一度にすべてを並べる方式らしい。
昨日、お城で食べたのとは違う野菜が使われたサラダが取り分けられる。
パンの入ったバスケットが置かれ、その横に炊いた白米の入った、おひつが並べられる。
「ご飯?」
タマちゃんが首を傾げると、ティアさんが微笑む。
「今日の料理には、お米の方が合うという方もいらっしゃいますので。
あと和食が恋しいと仰る方も。
なので、両方用意するようにしているんです」
そう言いながら、ティアさんはお椀を取り出し、そこにスープを注いで行く。
「この島で採れる干し茸の戻し汁をベースに、飛びトカゲの尾骨でダシをとった澄まし汁です」
ふんわりと香る椎茸に似た香りに、お腹が重低音で空腹を主張する。
そして最後に並べられた皿を見て、俺達は歓声をあげた。
「――お刺身だっ!」
まさか空の上にあるこの場所で、こんなメニューが出てくるなんて。
驚く俺達に、ティアさんは満面の笑みを浮かべて。
「鮮度が大事なので、ここでしか食べられない料理です。
――飛びトカゲのお刺身ですよ。
不肖、わたしが捌かせて頂きました」
誇らしげに胸を張るティアさんに、俺達は顔を見合わせた。
「――ドラゴン刺し身っ!?」
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