第四章 海の底に眠るモノ⑤

泳いでいた魚が一瞬にして骨になった。肉も皮も失せた魚は、秋に木の葉が落ちるように墜ちていった。

貝もヤドカリも殻だけ残して中身は枯れた。


息が苦しくなった。肺から空気が奪われていく。呼吸が渇れていく。

体が重くなった。海の底へと引っ張られていく。誰も引っ張ってなどいない。

空気が欲しい。海の中ではなく、空の下へ戻りたい。見上げた水面はどんどん離れていく。

水中をゆらゆらと漂うものは海藻ではなく、由実自身の髪だった。

足の爪先から体が冷えていく。体温を奪うものは誰だろう。海はこんなにも冷たいものだっただろうか。




海の底には何があるのだろう。




由実は下を見た。足の下に顔を向けた。




泳いでいたはずの魚の骨が、木の葉のように落ちていった。落ちて、同じように沈んだ骨たちの上に積み重なった。

真っ白な骨だった。余計なものが何も付いていない、綺麗な白骨だった。砂浜の砂のように、真っ白だった。


光が届かないはずの海の底は夢の中ではよく見えた。

一面に広がる骨の山。突き出した尖った物は肋骨か。腕か脚か、同じような部位がいくつも折り重なっていた。中身が空っぽの頭がそこかしこに転がっていた。

散らばった細かな骨は大きな骨と骨の間を埋めて一枚の広く大きく厚い骨の絨毯を作り出していた。

他には何も、なかった。


これが、噂の「何もいない海」なのか。ゆっくりと沈みながら由実は思った。

町の人たちが見るなと言い続けた正体は、この墓地のような景色だったのだ。海の底がこんなことになっているのなら、確かに見るべきではない。

だが、何故こんなことに。

海で亡くなった生き物たちが沈んで、亡骸が底へ積もったのか。しかしそれなら、どこの海だって同じだ。見つからない亡骸は全て沈む。底がこんな風になっていてもおかしくない。


由実は沈み続けた。


氷水の中にいるようだった。海の底へ近づくにつれて、体が凍りつく。

自分もあの骨たちと一緒に眠るのか。

由実は心のどこかで安堵を覚えた。


ゆっくり、ゆっくり、体は沈んでいった。

それでも視界ははっきりしていた。

目の前には骨だけが映っていた。

そして、とうとう足がそこへ触れようとした時だった。




眠りの底へ落ちていくような感覚から、由実は一気に覚醒した。体が冷たいと感じるものとは別の寒気にあてられ、鳥肌が瞬時に広がった。




ココハダメダ




由実は生きているものの本能で察した。この海の底へはいってはいけない。今にも足が触れようとしているのに、本能が今さら危険を訴えてきた。


「いや」


由実は初めてそこで拒絶した。

海はそれを受け入れなかった。

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