第四章 海の底に眠るモノ③

噂話に惹かれてその町を訪れる人は後を絶たなかった。そして、その足取りが跡を絶つのもよくあることだった。

彼らは噂の「何もいない海」を探して町を訪れ、「底を見てはいけない海」をきまって覗き込むのである。その後に起こったことなど誰も知る由もない。なぜなら、町人は幼い頃からずっとその海の底を見てはいけないと言われ続けながら育ってきた。誰も海の中を捜索するはずもなかった。

浜辺に死体が流れ着くこともなかった。

単に蒸発しただけかもしれない。人がいなくなるなど、このご時世ではよくあることなのだ。

行方不明者として捜索願いが出され、進展がないまま打ち切りとなり、誰からか死亡届けが役所に出される。よくあることであった。




その日も小杉は由実へ話しかけた。いつもと違っていたのは、彼が珍しく真面目な顔をしていたことだった。


「井ノ上さん、ちょっといいかな」


由実は小杉のその時の顔を見るまで一言で会話を終わらそうと思っていた。だが、いつもはふざけたように笑う彼の顔は疲れていた。


「なんですか」


彼女は珍しくも小杉の話す内容に耳を傾けたのだった。


先日、小杉の友人がこの町を訪れる予定だったこと。町に到着したというメールを受け取った後、音信不通になったこと。その後、浜辺で友人の荷物だけが発見されたこと。

友人がしきりに、この町の海を見てみたいと言っていたこと。


「捜索願いは出したんだけど、俺たちここの出身じゃないからさ」


見つけるのは難しいと思う。

彼は言わなかったが、おそらくそういうことなのだろう。いや、もう彼の心の中では見つかるはずないという結果が分かっているかのようだった。


「多分、見つからないと思います。今までも町に来ていなくなった人って結構いて、その、みんな見つかりませんでした」


その人は、どんな人だったんですか?

由実が小杉に尋ねると、彼は笑って言った。


「軽いやつだったよ」


待ち合わせの日付を聞いた時、由実は金髪の青年を頭に思い浮かべた。多分、あの人だ。


「やっぱり見ちゃったんだろうな」


彼女は小さく呟いた。


「ん? 何か言ったかい?」


「いいえ、別に何も」


そこで二人の会話は終わった。

件の青年の死亡届けは、目の前の小杉が出すことになるのだろう。彼は何処へいってしまったのだろう。




あの日の子どもたちの夏休みの宿題は無事に終わった。研究所の窓から海を渡ってきた風が入ってくる。

由実は鼻がツンとするのを感じた。

いつもの潮の匂いに混ざって、ほんの少し生臭い臭いが意識を掠めた。

件の青年の死体は何処へいってしまったのだろう。由実は窓から海を眺めた。彼女はその底を覗き込むことは決してしない。

たとえその底に青年たちの死体が横たわっていようとも。




海には誰もいなかった。

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