第三章 灯が照らしたもの⑤

別の町からやって来た職員見習いのもう一人は小杉という男性だった。

年齢は松村よりも更に上。誰でも聞いたことのある遠くにある都会で生まれ育った青年である。彼が何故この町にやって来たかは誰も知らなかった。本人は受かりそうな求人があったから受けたと言っている。

この青年は話上手だった。研究所にやって来た日から周囲とすぐに打ち解け合い、由実とも気軽に話をするようになった。

小杉は由実を妹のように可愛がった。最初は名字で呼んでいたが、気づけば笑顔で隣に立ちこう言い出した。


「ねえ、下の名前教えてよ」


由実が研究所内で着ている制服には名字だけが記された名札が付けられていた。小杉は下の名前を知らなかった。

由実は自分の名前を教えなかった。


嫌いではないのだ。おそらく。しかし他の人と比べて明らかに距離が近く、スキンシップが過剰であった。

元々そういう人かと思い、由実は周りを観察した。彼は確かに距離が近く、親しみやすい話し方をしていた。

彼は身長が他と比べて特に高かった。だから由実はいつも見下ろされていた。年上の男性に見下されているという感覚が不快だったのかもしれない。しかし身長の高い男性ならば他にもたくさんいた。年上の男性ならもっとたくさんいた。

これが都会の人というものか。一時はそう納得した。

しかし、彼が下の名前を尋ねるのは由実に対してだけであった。彼は執拗に由実の名前を知りたがった。


所内では職員はマナーとして名字に「さん」を付けて呼び合う。先輩後輩の間柄である松村と由実でさえ「松村さん」「井ノ上さん」と呼び合い、外で会うときには「先輩」「よっちゃん」と長年親しんだ呼び方へと変わる。それがマナーであり、ルールであった。

当然、小杉もそれを知っているはずである。しかし、あえて彼は由実の名前を知りたがった。これはプライベートでも親しくなりたいというアピールに他ならない。小杉は積極的に由実へ近づこうとした。


由実が小杉に持つイメージは「良い青年」である。「良い青年」過ぎて気味が悪かった。

兄のように自分を構い、ペットを愛でるように体を触ろうとする。過剰なスキンシップと距離感を由実は苦手に思っていた。これが都会人というものなのだろうと納得もしようとした。納得はしたが彼を受け入れることはできそうになかった。

由実は小杉に名前を教えたくなかった。彼に名前を呼ばれたくなかった。もちろん、他の人と同じように「よっちゃん」という愛称も同じである。

何故だかわからないが、由実は彼を好ましく思っていなかった。


松村は彼女に言った。


「あいつには気をつけなよ」


それは、先輩から後輩への忠告であり、同じ女性としての助言でもあった。

松村は都会という外の世界を知っていた。だからこそ小杉の何を由実が嫌っているのか、感じ取っていたのかもしれない。




小杉は「良い青年」であり続けた。

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