第三章 灯が照らしたもの②
由実の住むアパートから程近い場所に住宅地はあった。そこには彼女が特に気にかける姉弟がいた。
姉は小学五年生、弟は小学二年生に上がったばかりだった。両親は家にはいなかった。春も夏も秋も、冬でさえ外が暗くならないとどちらも帰宅することは決してなかった。
幼稚園にいる頃から由実は二人のことを知っていた。
桜の花弁が舞う日に真新しい真っ赤なランドセルを背負って笑う女の子と、アヒルのアップリケをした黄色のスモックを着て母親の手を握る男の子。大雨になってその雨と同じくらいの泣き顔で真新しい真っ黒なランドセルを背負う男の子と、そんな弟の手を握りながらもう片方の手は傘を持つ女の子。
運動会。遠足。夏休みのお泊まり会。餅つき。七夕。
由実は長い時間、その姉弟を見守り続けた。
姉弟の母親と由実は知人であった。同級生であったこともあった。
「よっちゃん。あたしの子と遊んであげてね」
夕焼けの中で由実と彼らの母親は話をした。その流れでの軽い約束であったのかもしれない。彼女は覚えていた。
ある日、姉弟の父親の帰りが酷く遅くなった夜があった。いくら待っても連絡すら来ない。
やっと来たのは一本の電話であった。母親は慌てて家を出ていこうとした。それを見てまずは弟が、次いで何かを察した姉が泣き始めた。その時、偶然にも丁度家の近くを由実が通りがかった。
真っ青な顔をした母親と二人の子供の大きな泣き声に足を止め、由実は思わず母親に駆け寄った。
「なにかあったの?」
母親は由実に留守と子供の付き添いを頼み、父親の所へ急いだ。そしてその彼女も父親と同じく帰らぬ人となったのである。
以来、由実は町の中でも特にその姉弟の世話を焼くようになった。
自分の家ではなく姉弟の家へ行き勉強を教えたり、姉と一緒に料理もした。たまに泊まったりして弟とも最近流行っているテレビ番組のことで盛り上がったりもする。
姉は彼女の母親と同じように由実のことを「よっちゃん」、弟の方は「ねえちゃん」と呼んで親しんでいる。
両親がいなくなった穴を由実が自然に埋めた。姉弟は寂しさを感じることなく、毎日を笑顔で生きることができている。
かつて由実が彼らの母親と語り合った時のように、三人は夕陽に照らされながら灯台を眺めた。
「ねえ、よっちゃんの小さかった頃ってどんなだったの?」
「どうだったかな」
「ねえちゃんのいた島ってあっちにあるんだろ? おれも行ってみたいなー」
「ごめんね。もう誰もあそこへ行っちゃいけないんだ」
姉弟の中ではしっかりと母親も父親も存在していた。どうなったのかとは尋ねないが、亡くなったらしいことは知っていた。
人が死ぬということ。亡くなるということ。帰らぬ人になるということ。
まだ幼い子供には理解が難しい。しかし彼らなりに「両親ともう会えない」ということは理解できたのだろう。だからこそ、彼らは由実という新しい家族を受け入れることができたのだ。
灯らない灯台の灯りを思い出しながら由実は一人、アパートの部屋で呟いた。
「お母さん」
その日も島には灯は灯らない。
ただ、海からやってくる風が波の音を由実の耳へと届けていた。
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