記憶と一緒にいるひとたち

第三章 灯が照らしたもの①

島との行来がなくなった後、灯台には明かりが灯らなくなった。しかしいつだったか、別の町の町長に勧められて灯台を増築しようという話が持ち上がった。

せっかくあるのだから、もっと利用すればいいではないか。何処かの町長は言った。その町長は海の先にある島のことも、そこにある村のことも知らなかった。

ただ、「そこに使えるものがあるのだから有効に使え」とだけ言ったのである。

そんな他人事にしか見ていない言葉に流され、渋々といった風に灯台は修繕された。更には展望台まで増築され、話を持ちかけた町長は満足げであった。

地元の町へ帰る直前に岬から転落死したことは不幸だったのか、予期されていたことだったのか。

町の人は誰も話題にすら出さない。


できてしまった灯台は時折火を灯すこととなった。しかし船は一隻も通らない。

灯台は展望台だけの役割を果たすこととなった。下を見れば注連縄が囲んだ岩が見える。

ただの岩にしか見えなかった。


いつの間にかその灯台も老朽化が進み取り壊されることとなった。町の人は名残惜しみ、せめて元の形だけでも残せないかと町長に言い寄った。

彼らは新しい形が欲しいのではなく、そのままの形で在り続けることを望んだのだ。

こうして今でもその岬には古い形の灯台が立ち続けている。灯台としての灯を灯すという役目を果たせないそれは、中身が空っぽのただのオブジェでしかなかった。

しかしそれでいいのである。過去と変わらぬものがそこにあるという事実に、町民は安堵を覚えていた。

何度崩れても、彼らはかつてあったままの姿で灯台をそこに残すのだろう。




由実はアパートの窓から海を見る。海の向こうにある故郷の島を見る。その途中にある岬に建つ灯台が、彼女は好きだった。灯台の光が海の上を進み、島の方へ向かっていく景色が好きだった。

ずっと昔には島からも光がやって来ていた。自分と同じようにたった一人でこの町に来て帰っていき、またやって来た。そんな灯台の灯りが好きだった。


町の灯台からいくら光を送っても、もう島からは何も戻ってこない。由実はそれが悲しかった。




久々に長い手紙を書いてみようか。

由実はそう思いながら、届き続けた母からの手紙の山を見た。




母からはいつだって手紙が届き続けた。しかしそのどれもが一方通行のものであった。

通じているようで通じていない内容。由実の尋ねた質問の明確な答えはどこにもない。話している事柄の季節が違う。天気が違う。いきなり話が過去に飛ぶ。

どうにも自分と母の歯車が噛み合わない。歯痒く思ったこともあった。どうしてこんな手紙ばかり送ってくるのかと、直接島へ行って問いたい衝動が胸から溢れそうになる時もあった。

だがそんな想いはとうの昔に置いてきてしまった。由実にはもう、母とも父とも話すことはできないのだから。

電話も通じない。ましてや直接帰ることなどできない。唯一それらの手紙だけが、離れた島に母がいるということを示しているのだ。


「帰りたいよ」


自分の故郷に帰りたい。由実は何度も願った。

友人と喧嘩をした時。成績が思うように伸びなかった時。嫌なことを押し付けられた時。朝から頭や腹の痛みが治まらない時。

何かに失敗した時、彼女は故郷に安らぎを求めた。次はきっとうまくいく。そう誰かに言って欲しかった。

何かに成功した時、彼女は故郷に甘えを求めた。よくやったね。そう誰かに褒めてもらいたかった。


町は決して嫌いではない。嫌なことがどれだけあってもそれ以上の輝く良いことが待っている。

それでも帰りたいと思う瞬間が彼女にはあるのだ。

今いる居場所を飛び出して、懐かしい場所へと還りたい。そう思える場所こそが故郷というものなのだろう。




灯りの灯らない灯台が岬に建っていた。夕陽に照らされて、その足下には長く細い影を作っていた。

島の方を向いて立つ姿に、由実は自分の姿を重ねた。

一人きりで島を見続ける灯台に、町に残された自分の心を重ねた。




その日も夕陽は静かに水平線へと沈んでいった。

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