それはあってはならないもの

第二章 カミノイワ①

町と島の間の海には何もなかった。それは事実である。

研究所の中にある古い資料の中には、町と共に生きてきた海についての記述が数多く残されている。いくつかのファイルに綴じられた紙には、海洋生物の生態系についても細かく調査されていた。しかしそれもいつの間にかぱったりと途絶えてしまった。

文字や数字だけでなく、記録は画像や映像という形でも残されていた。それらが撮られた年は不明だ。

中には白黒のフィルムも存在している。明らかに紙の素材自体が別の物というものさえあった。


昔は他の海と何ら変わらない海であったのだ。それはこれらの資料たちが証明している。

そして、それが一変し何もいない、何もない海へと変わってしまったのも事実なのである。


これは明らかに異常なことだ。

更に異常なことに、それを誰も追求しようとしないことが異常であった。


だから、ある時唐突に、なかったはずのない物が其処にあることに気がついたとしても。誰もそれを問うことをしないのであった。




その海には確かに何もなかった。

海底には岩などなく、ただ砂が敷かれていただけの他と何も変わらない海であったはずなのだ。




では、由実が今見ているあれは何なのか。




研究所の窓からも見える海に生えた、一本の角のような岩。空に向かって鋭く尖った岩礁の先が海面から覗いていた。

その岩礁をぐるりと囲んだ縄には神社などによく見られる白い紙が垂れ下がっていた。注連縄と呼ばれる縄と、紙垂と呼ばれる紙。どちらも人の手による物である。


一体いつの間にこんなものがここに。

そう感じる人は確かにいたが、誰も口にしない。

「この岩はずっと昔からここにあったのだ」

そのような雰囲気が町の中にはあった。だから、誰もそれをおかしいと言えないのだ。


それはある時突然そこに現れた。

それまでは確かになかったことと、いつの間にやらそこにあったこと。それは研究所の中にある資料が証明していた。

同じ視点から撮影された写真たち。全く同じ場所のはずなのに、その写真たちには岩が「ない」写真と岩が「ある」写真に分けられる。

その岩は始めからそこにあったのではなく、突然現れたのだ。

しかも町の歴史が記述された文献をいくらひっくり返しても、地震や地面が隆起したなどという文面など一切ない。

その岩はいつ、どうやって現れたのだろうか。




町には風習として、その岩を祀る祭りが行われる。

祭りという催事は町の人と密接な関わりを持つ。一定周期で行われるそれは、町に住む人の心に徐々に刷り込まれていき自然に馴染んでしまう。

何を奉っているのか。何を崇めているのか。そんなことはどうでもいい。催事を行うこと自体が役目なのだと人々は思い込むようになった。

目的を見失った人々にはその祭りの意味を思い出すことなどできない。ただ彼らは、その催事を次の世代へと受け継がせ続けていた。

内側からは見えない異常さが外側からは見えてしまうものだ。例えば単身赴任で町の会社の寮に入った時、地元の社員からその祭りの存在を聞いてこう疑問に思うだろう。

「これは何の祭りなんだろう」

しかし、次第にそんな疑問も薄れてやがてはこう思うのだ。

「これはこういうものなんだ」


それは自然に溶け込む。ゆっくり、ゆっくりと、溶け込み、混ざり合い、違和感なくそれを隠し共生させる。それがあることが、いることが刷り込まれ、当然のことのように同化している。

それらは生活の中に、人の意識の中にゆっくりと刷り込まれていっているのであった。

町では違和感を感じつつも、誰もそれを決して口にすることはない。




「よっちゃん、お祭り行こう」


由実はまた今回も近所の子供たちに祭りへ誘われる。

白い法被を羽織って出かける町の人たち。由実はそれを見ながら、なぜか背筋に寒いものを感じる。それが何なのか、彼女が思い出すことはないのだろう。




件の岩に巻かれた注連縄は、しっかりと何かを囲っていた。

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