第一章 すむ町―間の小島―海の向こうの故郷④

町と島の間にある海には何もなかった。

遠浅ということでもなく、波消しブロックがゴロゴロと並べられているような場所でもなかった。かと言って急深でもない海である。

過去に船が沈没した。鯨が座礁しやすい。そんな話もあるはずなく、その海はいたって普通の海であった。

その気になれば海水浴だって、潮干狩りだってできるのかもしれない。もしかしたらサーフィンやスキューバダイビング等の洒落たスポーツだって。

しかし誰もそんなことはしない。その海には何もないからである。


島を越えて更に沖に出れば魚も貝も獲れた。昔は町の端にある灯台の下の隠れた岩場等ではそれなりの魚が釣れていた。

いつからであっただろうか。

海だけでなく、海に近いものに違和感を覚える者たちが、出始めた。


灯台の近くにある砂浜では、町人たちは貝はおろか、カニやヤドカリの類の姿さえ見なくなった。魚が近海を泳がなくなったため、漁師たちは燃料の消費を増やすか船を売って廃業した。

海流の変化かといぶかしんだ。しかし、例年通りの温度の海水は変わらずゆったりと流れていた。気温もそれほど変動がない。

数字のデータは研究所に何十年分も残されている。そこからも海に異常が起こったとは考えにくかった。

漁師は言う。

「ある時、パタリとなんも獲れなくなっちまった。水中にも水面にも魚の影なんてどこにもねえ。変な余所者がどっからか来て、全部連れてっちまったみたいだ」


魚の群れも毎日そこを避けているとしか考えられなかった。なにせ、網には死体さえかからないのだから消えてしまったとしか言いようがない。

いつかは海鳥の鳴く声で賑やかであった海岸は、今や静まり返っている。釣り人も姿を消した。




研究所のすぐ横には海岸線が走っている。

吹き付ける塩と強い風、砂によって建物の風化と劣化の速度は速い。過去に何度も建て直しを行われた建物は、現在では比較的新しい見目を保っている。

由実が知っている限りでも、既に数回は姿が変わった。しかし、一度も場所を変えたことはなかった。


由実のお気に入りの場所である展示室の窓からはいつだって海が見えていた。さすがにその先にある自分の故郷である島までは見えずとも、挟んだ海の半ばほどまでは肉眼でもその青さを確認できた。


海鳥の声も聴こえない、命を感じさせない海。


自分の記憶の中の海は、こうだったっけ。

由実は記憶の中の海を思い浮かべる。彼女の中に、違和感が生まれ始めていた。その違和感は音もなく、ただ呆然と海の上に浮かんでいる。

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