第一章 すむ町―間の小島―海の向こうの故郷②

井ノ上由実は海に面した岬町に住んでいる。しかし、産まれたのはその町ではなかった。

その町から海を見ると、天気が良い日に限るがうっすらと見える影がある。ぼんやりと霞んで見える、海に浮かぶ小さな島。そこには村落が一つだけあった。




島の半分以上は手付かずのままの森が残っていて、島の子供たちは一度はそこで迷子となる。家出をして夜を秘密基地の中で過ごす幼子もいれば、宝物探しに夢中になった小さな探検家もいた。

もちろんその森は由実の記憶の中にもあった。木の実やキノコを探しに籠を背負って森の中へ入り、夕方になっても戻らない由実を両親が心配したのは片手では済まなかった。


島の一角には畑が作られていた。住民たちが飢えない程度の野菜たちと、蓄えておくための小麦、わずかばかりの米がそこでは栽培されていた。動ける住民は子供であっても積極的に手伝いに参加した。

由実は特に芋が好物であった。毎食芋が食卓に上がっても喜んで口にした。しかし、芋の蔓は好きではないようだった。

自分より年下の子供が手伝えるようになると、由実は数を揃えて芋掘り隊を作り出した。芋は栽培自体が簡単なため、大人たちは手を出さずに芋掘り隊の活動を見守った。掘り出された芋たちは村の食料庫を満たし、芋掘り隊は大変な功績を残したものであった。


島の周りではそれなりに魚が獲れた。時には大物も獲れたため、住民の中には小さな船で沖に出て一攫千金を狙う若者もいた。しかし、大抵そんな若者たちは二度と帰って来なかった。

島の周りを囲む潮の流れは速く、小さな手漕ぎの船など数分で沈んでしまった。島を出るには潮に流されない大きな船が必要だった。


島の住人は、海を挟んだ向こうに見える町の存在を昔から知っていた。足が着かずとも対岸にはいくつも灯りが灯っていたため、人が住んでいることだけははっきりとわかっていた。

それは町の住人たちも同じだった。


船という懸け橋を得た村と町は歓喜した。

見えていただけの灯りと、やっと同じ地に立つことができたのだ。彼らは記念に小さな灯台を各々の地に建てた。行く先を照らす灯りは、その日から毎日互いの方角を示し続けた。

灯台が建ってから、島と町の間には船が行き交うようになった。

船には人が乗り込み、様々な物品が積まれた。金銭や労働を得るために乗り込んだ大人もいれば、勉学の機会を得るために送り出された子供たちもいた。その中には町へ定住した家族もいたかもしれない。村へ移住した人もいたかもしれない。

ただ、彼らはどちらで産まれたのかは気にしなかった。

「町から来た」

「村から来た」

「町へ行く」

「村へ行く」

「町へ帰る」

「村へ帰る」

彼らは生まれを気にしてはいなかった。




由実の両親は島に住んでいた。産まれも育ちもずっと島の中で、外に出たことはなかった。

島の中で育ち、出会い、恋に落ち、由実を授かった。

家族揃って島の中で一生を終えるのだと彼らは思っていた。そう思わせるだけ、彼らは島の暮らしに満足していた。

しかし、島と町の間を行き交う人が増えたことで両親はこう思うようになった。

「娘にもっと外のことを見させるべきではないのか」

両親は既に町に移住していた親戚を頼った。

「娘を町の学校に通わせて欲しい」

由実とも仲のよかった親戚は喜んで了承した。毎日通うのも大変なので居候させ、長期の休みだけ由実は島へ戻った。


町の研究所を由実が見つけたのもこの頃であった。

学校帰りに見つけた白い建物のことを親戚に聞くと、面白い場所があるから行ってみるといいと由実は言われた。その次の日、帰宅したその足で由実は探索に出掛けたのである。


見つけた研究所の展示室には、ミニチュアの町と島の模型が置かれている。それは多分地図を参考にして作られた物だったのかもしれない。

見知った灯台、船着き場、村落や田畑の位置が完全に再現された模型は、幼い子供の興味を掻き立てた。

読めない文字で書かれた説明を気にすることなく、時間が経つのも忘れて黒白の写真の魅入った。色がなくとも、その写真たちは由実に島をつぶさに思い出させた。

こうして幼い由実は、故郷に帰れない期間を思い出すことで寂しさに震える心を温めたのであった。

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