町から海を隔てて。島から海を隔てて。

第一章 すむ町―間の小島―海の向こうの故郷①

井ノ上由実の住む町は岬の町である。海に面した小さな町。人口は、それほど多くはない。

過疎化しているなどとまことしやかに噂されるが、あくまで噂にすぎずそれなりに若者の姿もあった。住民の年齢層が片寄っていることもなく、各々の施設には各々の人間が賑わいを見せている。

ただ、賃金がいいとは言えないため共働きの家庭が多いのだろう。小学校の近くにある学童保育を兼ねた公民館や境内では、日が落ちるまで子供たちのはしゃぎまわる声が聞こえている。

その中には、かなりの確率で由実の声が混ざっていた。


「よっちゃん、今度はあれで遊ぼう!」

「ダメだよ。もう暗くなるからおしまい」


面倒見の良い由実は、誰に言われるでもなく近所の小学生の遊び相手となっていた。全ての家庭が料金を払ったとしても、信用できる保育先を手に入れられるとは限らない。せめて日が落ちる時間までは我が子を外で遊ばせたい。

そんな親の声を知ってか知らずか、由実は子供の世話を自ら買って出る。


「はい、今日の宿題出して」

「そんなのないよー」

「嘘。○○ちゃんは次の授業までだって言ってたよ。明日、あるんでしょ」

「う、ばれてたか」

「はい、出して出して」


なにより、子供たち自身が由実にとてもなついていた。相談事があるとすぐにアパートの呼び鈴を鳴らしに行く。何もなくても、数人で集まって由実の所へ行けば保護者代わりとなってデパートへ買い物にも着いてきてくれる。果ては、進路の相談を親ではなくまず由実にする子供まで出てくる始末であった。

そんなことが許されるのも、子供たちの両親を含んだ大人たちの信頼が由実にはあったからである。

地域で行う子育てとはよく言ったものだ。

由実を中心としてこどもネットワークは機能していた。




井ノ上由実という少女は比較的周囲に溶け込みやすい少女であった。地域の人たちからは親しげに「よっちゃん」と呼ばれる。

逆に距離を置こうとする人は、彼女を「井ノ上さん」と呼ぶ場合が多い。下の名前を呼んだとしても、「ゆみ」と読んでしまえば第一印象は悪くなるだろう。たとえ由実自身が許したとしても、間違えたという事実は呼んだ人にその後の付き合いを一歩引かせたものにする。

結局、彼女を「井ノ上さん」と呼ぶことに落ち着くのであった。




ところで、由実が住むその岬町には独特な風習があった。町に住む住人全員がその存在を知っているわけではない、隠れた風習である。

その起源や内容を詳しく調査するために、海のすぐ側には小さな研究所が建っていた。

もちろん、その風習を調査することだけを目的として研究所が建てられたということではない。研究内容としては民俗学的なものが多数だが、中には地域に貢献するための農法や太陽光発電のパネル、風力発電の風車の設置ビジョンをテーマとした研究室もある。

建物の一角には誰でも見学ができるように展示室が設けられ、年中解放されていた。由実はその部屋に興味を持ち、文字が読めない頃から入り浸って遊び場所にしていた。

そこで出会った他の子供たちとも、手を引いて解りやすい言葉で説明をした大人たちとも、由実は顔見知りとなった。

「お兄さん」「お姉さん」と呼んでいた友人が前の年に研究所の職員となったとき、由実は初めて彼らの名前を知った。しかし、彼らは制服を着て展示室へ行った由実を「よく来たね、よっちゃん」と笑って迎えた。彼らと由実はそんな間柄だったのだ。




今日も彼女は一人きりでアパートへと帰る。明かりの灯ることのない一室は、扉を開けると酷く冷えていた。

開いた窓からはいつもと変わらず潮風が吹き込んでいく。

髪を揺らしながら、彼女は窓の向こうの海の先を見る。

遠くて、波の音はまだ聴こえてこない。


由実は、窓に鍵をかけてカーテンを閉めた。部屋の中はとても静かだった。


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