幕間 少女たちのあれから



 オルワートで別れた少女たちを覚えているだろうか。


 アイリーンの手筈で隊商の護衛任務につき、ヴァロキアを目指した二人の少女と、別で移動したもう一人の少女。【微睡みの乙女】という解散したパーティだ。


 タチアーナとベルベッティーナは同行した隊商と、それをメインで護衛する先輩冒険者に様々なことを教わった。

 護衛をする際の注意点、旅をする際の準備、野営の仕方。

 本来そういったことを進んで教える必要はないのだが、ギルドマスター・アイリーンの願いや本人たちの向上心もあって彼らは惜しげもなく教えてくれた。実際、教えれば教えるだけ伸びる後輩というのは見ていて気持ちの良いものがある。

 むしろなぜ今までオルワートに留まっていたのかが不思議でならなかった。

 今回のメイン護衛である【水辺の花】は女性のみのパーティだ。街近辺のダンジョンでは稼げないことを知り、早々に護衛や他国でのランク上げを選択した英断できるパーティだ。たまたま折り良くオルワートに滞在していたところをアイリーンに依頼された形である。


「君たち、どうしてオルワートにそんな長い間いたんだい?」


 リーダーであるフリューアが問えばタチアーナはむすりと腕を組み、ベルベッティーナはおろおろとその顔を横目に見遣るばかりだ。

 パーティが解散した話はギルドマスターから聞いたが、面倒そうな事情を察知した。話したくないならいいよ、と切り上げればタチアーナが呟いた。


「リーダーが、オルワートのダンジョンに拘ったんです」


 話したくはないが、誰かに話したい、そんな心境だったのだろう。タチアーナは休憩時間に堰を切ったように話し出した。

 本当はヴァロキアの迷宮崩壊ダンジョンブレイクに参加して、ランク上げと稼ぎを得たかったこと。

 リーダーがオルワートのダンジョンに拘り、ここを経験してからでないと嫌だと言ったこと。

 初めて組んだパーティだったので出来れば全員で行きたくて、我慢したこと。

 けれど、リーダーはいつの間にか方針を変えていて、オルワートの専属になると言ったこと。

 フリューアは苦笑を浮かべた。目の前でぶつぶつと文句を言うタチアーナは随分前からダンジョンの様子を知っていたようだ。ということは情報収集の出来る子なのだろう。その背に隠れるベルベッティーナも気弱だが冷静に利を考えられる。

 こういう子たちは場所と機会さえ与えれば、その教えに応えてくれるタイプだ。

 惜しいなと思った。ヴァロキアで一躍有名になった【異邦の旅人】が渡した紹介状さえなければ、この二人をパーティに入れたかった。冒険者としての素質は今後問われるが、任せられるところを任せればいいだけの話だ。


「大変だったね」


 常套句の労いではあったがそれが嬉しかったようだ。タチアーナは泣きそうな顔で笑い、ベルベッティーナは俯いて少しだけくすんと鼻を鳴らしていた。

 今はまだこれでいい、だが、ヴァロキアに着くころには自分の感情を隠すように言わねばなるまい。

 素直すぎるのはそれはそれで危険なのだ。



 もう一方、ファーリアは隊商の荷台でぼんやりとしていた。

 

 故郷であるフェネオリアを出る。

 その挨拶をした時にも、父王と兄からは達者でなと肩を叩かれたくらいで終わった。

 姉たちは少しだけ心配そうにしながらも、その方がきっとファーリアのためになるわ、と頬を撫でてきた。

 いくらかの資産を渡され、ギルドで預金をした。今までパーティメンバーと住んでいた部屋は引き払った。管理はナルーニエがしていてくれたので言われた金額だけを支払っていて、正直あの家賃がいくらだったのかも把握していなかった。四人でシェアしていたからこそ安かったが、一人で借りるとなるとあの金額を負担し続けるのは気が滅入った。

 それに、宿に泊まるのはいくら必要だろうか。毎日の食事は誰に頼めばいいのだろうか?わからないことがあれば誰に聞けばいい?


「わかんない…」


 ファーリアはガタガタ揺れる荷台でぼんやりと空を見上げた。

 そんな姿を見て、護衛についていたパーティ内で顔を見合わせる。


「…なぁ、姉さん。あの子、ギルドマスターからの依頼で引き受けたけど、大丈夫なのか?」

「あたしらが気に掛けることじゃないだろ」

「そうかもしれないけど…」

「あんたはいつも通りの仕事してなさい」

「わかったよ」


 姉二人弟一人のパーティ【三つのしずく】は、声を掛けられるまで放っておくつもりだ。

 向上心のある冒険者は自ら教えを乞うてくる。そうでなくては覚えない、身につかない。それは冒険者の常識であり真理だ。

 本来の護衛業ならばああして荷台でぼんやりする暇もないのだ。三人は常に横を歩き、後ろを歩き、時に前に出て先の安全を確認したりと忙しい。せめてその姿を見て学んでくれればいいものの、ファーリアはためにならないことを延々と考えているのだ。

 その態度は【三つのしずく】だけではなく、アイリーンに頭を下げられた隊商側の敵意ヘイトも稼いでしまった。


 野営時、竈やテントの設置を手伝いもせずに空を見上げていたファーリアは、食事の時だけのろのろと近づいてくる。支度をした商人も、足りない分を自分たちで補っている【三つのしずく】もその姿を見て眉を顰める。

 これが何度目なのかもわからない。


「なぁ、あんた」


 商人はいい加減耐えきれない様子で器を置いて声を掛けた。


「あんたの分はないんだよ」

「え…」


 言われ、ファーリアが鍋を覗けばスープは取り尽されて残っていなかった。手に持った器が悲し気に地面に落ちる。


「どうして」

「どうしてって、あんた、護衛をやる気がないんだろう? こっちはギルドマスターから頭を下げられたから初心者を連れているのに、あんたは無料で移動したいだけじゃないか」

「そんな、だって」


 誰も護衛の仕方なんて教えてくれなかった。

 言葉が出かけてきゅっと唇を噛んだ。ちらりと【三つのしずく】を見れば、姉の一人がはぁ?と言いたげな顔でファーリアに視線を返す。

 

「怠け者に飲ませる水はないとはよく言ったもんだよ。いい加減にしてくれないと、これ以上連れて行くのも無理だ。あんた一人分軽くなるだけで馬はよく進むようになるんだから」

「それは、それは困る。私はヴァロキアに行かなくちゃならないの」

「だったら働くんだね」

「どうやって…」

「今この時までしっかり護衛してくれてる冒険者がいるだろう」


 商人はそれだけ言って食事を始めてしまった。

 ファーリアは所在なさげにしばらくその姿を眺めた後、とぼとぼと【三つのしずく】のところへ行って膝を抱え座り込んだ。


「あの、どうすればいいの?」

「はぁ?それが教えを乞う態度なの?」

「姉ちゃん言い方がきついよ…」

「うるさいわね、あんただってぶつぶつ言ってたでしょ!」

「そうだけど、面と向かってなんて」

「もう黙ってて!あのね、あんた。ギルドマスター・アイリーンからの依頼だから何もしなくても許されると思ってるかもしれないけどね、冒険者はそんな甘い世界じゃないのよ」


 違う、何もしなかった訳ではない。誰ものだ。

 文句を言いたげな視線に気づき、妹の方が舌打ちをする。


「教えて欲しければまず態度から直しなさいよ、あんた何様なの」

「…第三王女」

「はぁ?」

「フェネオリアの第三王女、ファーリア」


 少しだけ大きめの声ではっきりと言ってみせた。商人の食事の音も止んで焚火の音だけになり、ファーリアはそうっと顔を上げた。

 そこにあるものは畏怖と敬愛を込めた表情だと思っていた。

 けれど現実は違っていた。


「バカじゃないの。王女だったとしたらなんなの?ここにいるあんたはもう王家でもないじゃない」


 ファーリアは愕然とした。

 オルワートでは皆が優しかった。冒険者であっても敬意があった、優しい眼差しで見守ってくれた。

 目の前の人々は嘲笑し、蔑む目でファーリアを見た。まるで価値のない何かを見る様な眼に思わず目を逸らして顔を伏せた。

 馬鹿にする視線が注がれる、耳を塞いでも罵倒する声が聞こえる。


 冒険者になど、なるのではなかった。


「違うもん…」


 悪いのはパーティを抜けたタチアーナとベルベッティーナ。

 悪いのは突然頭のおかしいことを言い出したナルーニエ。

 悪いのはお前が必要だと言ってくれなかった父上、兄上、姉上たち。

 悪いのはこんな依頼を宛がったアイリーン。


 悪いのは、ヴァロキアに行くことを条件にした【異邦の旅人】のツカサ。


 悪いのは全部、私以外のすべて。


 ファーリアはゆっくりと、嘲笑を続ける【三つのしずく】を睨み上げた。

 憎悪の籠った眼差しに、その気迫にびくりと肩を震わせ、三人は黙る。


「争いごとは困るんだがね」


 食事を手に寄って来た商人が呆れたように言うのを、立ち上がって振り返る。

 またそちらもびくりと肩を震わせて後ずさった。


「控えろ、無礼者。今すぐ私の食事を用意しなさい」


 有無を言わせぬ圧を感じ、商人は小さく頷くと小姓に言いつけ、一人分を追加した。

 それを優雅な手つきでいただきながら、ファーリアは濁った眼を空へ向けた。


「許せない、全部、復讐してやる」


 ありとあらゆるものを理不尽に呪い、責任転嫁をした果てに、ファーリアはようやく王族としての威厳をその背に負った。

 例えそれが過ちを孕んで居ようとも、ファーリアには関係なかった。

 

 

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