幕間 陸の男


 アズリアに潜入をしてからもう十年になる。


 恋女房も出来ず、王都を中心にアズリア中を商売し情勢を常に張っていた。

 先代の頭は陸のことにあまり興味が無かったが、成人もしていない若は陸を知らねば略奪仕事ができぬと男を陸に出したのだ。そうして出された者は十人になる。

 内の一人である男は陸の商売も面白いと思っていた。大きな街で仕入れ、小さな村で売り、小さな村で仕入れ、物珍しさを種にして大きな街で売る。

 粗利が出れば嬉しかった。いつからか船から来る資金よりも自分で稼ぐ方が楽しくなり、船からの仕送りはただ貯まって行った。

 もちろん元の目的は忘れていない。アズリアの情勢を掴んでは定期的に報告書を送った。


 ある頃から若はハミルテ以外に陸に拠点を造ると言い始めた。

 

 ハミルテのような良い故郷がありながら何故なのかと思えば、堂々と船を着ける場所が欲しいと言った。

 若は先代の仕事の合間に大きな取引をいくつか行い、私財を蓄え、アズリアの金に汚い貴族の遠縁として養子になった。もちろん書類上だけの話だ、若は絵を描くだけで表に出したのは別の者だ。彼は若が命を拾ったアズリアの者だった。助けられた恩に報いるため、彼は懸命に若の代わりを務めた。

 強欲だった貴族は一人また一人と一族郎党全て殺し、血はなくとも唯一の親戚であった彼は名実ともに領主に納まった。

 アズリアという国は税を収めれば誰でもいいらしく、そのまま野放しにされたのも都合が良かった。


 そして若は陸の拠点を手に入れた。

 名はカモメの波止場ヴァンドラーテ、若らしい名前だった。


 ヴァンドラーテが出来てからは様々なことが早かった。

 先代が体調を崩し若が頭になってからが、陸に送られた男たちの本領発揮だった。

 定期的に入る情報を精査、若は的確に船を走らせ略奪をし、部下を、家族を豊かにしていった。時には戦力を持つ商船を装って他の商船を守り、顔を繋いだ。その時表に出るのは別の者なのが若らしい。はそうして商船の中で頭角を現した。


 若は表に顔を出しても良いことはないと言い、常に存在を隠した。

 家族が出来て船を降りた者、若に救われて住まうようになった者、様々な理由があるが皆が皆若を慕ってヴァンドラーテの発展に努めた。


 楽しかった。


 稼げば稼ぐだけ情報も集まった。

 顔馴染みが出来れば自然と話が入って来た。

 若への土産にもなる、それが嬉しかった。


 だが状況は一転した。

 アズリアがスカイへ戦争を仕掛けたのだ。


 若がひょんなことからスカイの者たちと関わりを持ち、手伝ってやると笑ってから数か月後のことだった。

 アズリアの前王が崩御し、王太子が戴冠。

 その戴冠式に主賓として、スカイ国王の名代として出席した王太子を名指し宣戦布告、地下牢に閉じ込めてのことだった。

 軍師が先陣を切って駆けつけ王太子を救出したというが、その実王太子は早々に影により逃され高みの見物をしていたのだと聞いて恐ろしくなった。スカイという国の底が知れない、けれど若は面白い船に乗ったと笑うのだ。


 男はその騒乱の中、変わらずに情報を集め続けた。

 治安の悪化するアズリアでの商売は命がけだった。賊に襲われることも増え、国境を越えて逃げる者たちも居た。

 その中で男は山村から逃げて来た少女と出会った。


 足の裏は擦り切れて真っ赤、顔は木切れで引っ掻いたのだろう傷で血だらけ、それでも生に貪欲だった。


 助けてくれた両親がいるのだ、ここで死ぬわけにはいかない、と男にも抗おうとした少女を慌てて宥めた。携帯食料を取り出し、傷薬を地面に置いて野生動物に接するように距離をとった。

 少女は何日も逃げ続けていたのだろう、空腹に耐えきれずやがて噛り付き、嗚咽を零した。

 男は少女が気絶した後手当てをしてやり、荷台に乗せて運んでやった。


 目を覚ました少女は警戒を続けていたが、商売を手伝わせて各地を回る間に打ち解けて来た。

 あっという間に戦争が終わったこともあり、治安の悪化は徐々に収まり、それに伴い少女は笑顔を取り戻した。

 けれど、ずっと連れ歩く訳にはいかない。

 少女はこのまま商売を手伝いたいと言った。野宿も苦ではない、恩を返したい、と。

 男は笑った、安心しなさい、悪いようにはしないから、と。


 男は王都に辿り着いた後顔馴染みを尋ねた。いつも立ち寄って食事をとる場所で、人を雇ってくれないかと聞いた。

 少女はぎょっとしていたが働いている少女たちの年齢や店の位置などで少しずつ顔が輝いて来た。これなら大丈夫だろう。


「働き者なんだ、けれど私が連れ歩くには少し若すぎるのでね」

「ううむ、まぁ、そうだろうなぁ、あんたは足が速いからな」


 一人で身軽、途中自分で稼いだ金を使ってマジックアイテムを買ったこともあり荷そのものも軽い。ゆえに移動が早いのだ。

 だから少女の足では追いつけない、仕事が遅くなる。何よりも男本来の仕事は危険なのだ、巻き込めない。


「どうだろう、雇ってもらえないか?」

「ううむ、あんたの紹介なら悪い子ではないんだろう、試してみるか」

「よ、よろしくお願いします!」


 少女はがばりと立ち上がって深々と頭を下げた。

 自分が足手まといになることもよくわかっている。与えられた機会に跳び付く思い切りの良さもある。


「住む場所を決めて、落ち着いたら仕事を覚えると良い」

「はい!」

「住む場所は一緒に探してあげるから安心しなさい」

「ありがとう!」


 少女は野に咲く小さな花が生命を輝かせるように笑った。


「頑張りなさい。ここからは自分で生きるんだよ」


 はい!と返って来る声の気持ちよさに目を細め、ヒューゴはその栗色の頭を撫でてやった。


 王都に立ち寄ったら必ず様子を見るようになった。

 会う度に元気に何があったのかを教えてくれる。

 小さなお土産を買っていけば喜んで受け取り、使い古すまでしっかりと愛用してくれた。

 家族を持たない男は、妹のような、娘のような感覚で少女を大事にしていた。


 どちらの仕事も順調だったが、急に風向きが変わった。

 アズリアで戦争の機運が高まり、商売がやりにくくなった。

 フェネオリアの第三王女を迎えたふりをして戦争のきっかけにする、などと乱暴な謀略があることを知り、慌てて連絡を取ろうとした。


 その姿が目立ってしまったのかもしれない。


 普通に商売をしていたはずだった。

 突然囚われて拷問にかけられ、我を失う薬を使われて、束の間の理性に救われてどうにか逃げ出した。

 自分を認識している時間が短くなっていく。

 スカイへ責任を擦り付けてしまったが、あの国へは簡単に手を出さないだろう。

 ここはどこだ、どこを目指している。

 会いたい人がいた気がする。

 時々訪ねては元気な姿に安堵して、いつからか勝手に娘のように思っていた。

 

「あ…ぅ…」


 顔が思い出せない。笑った顔に霞がかかる。

 忘れたくないなぁ、あの子は、あの子のことは。

 覚えていて欲しい。


 そんな思考もまた薬に溶けて消えた。


 次に意識が戻ったのは狭い部屋の中だった。

 ギィ、ギィ、と揺れる音が懐かしく、あぁ、ここは船倉だと気づいた。


「ヒューゴ?」


 誰かに名を呼ばれたが、喉が渇いて仕方なくて叫んだ。


「薬を…薬を…!」


 違う、こんなこと言いたいのではない。


「薬を…」


 若、と言ったはずの喉はからからに乾いていた。


 気づけば自分の体に怪我が増えていた。

 我を取り戻した時の周囲の臭いにも吐いた。

 あとどれくらい自分でいられるだろうか。


「頼む、俺が俺でなくなる前に、ころしてくれ」


 何も話せないまま死んでしまうことは怖かった。けれど、それ以上に自分として死ねないことが怖かった。


「わかった。任せろ」


 分厚い扉の向こう側からトランぺットのような声が応えた。

 不思議な安堵が胸に広がり、ヒューゴは目を瞑った。


 次に意識を取り戻した時は、喉の渇きが癒え、やけに頭がはっきりとしていた。

 真っ直ぐに自分を見て来る若の眼差しに泣きそうになった。

 伝えることを伝えなくては。

 徐々にまとまりを失っていく思考の中でヒューゴは懸命に話し、訴えた。


 かくしてヒューゴは命を賭して伝え、その命を願った人に刈り取られた。


 血の海に沈みながら僅かな瞬き、死ぬまで見届けてくれる若の眼差しと、記憶の向こうに霞んでいた少女の笑顔が見えた。


 こんな終わりなら悪くないかもしれない。

 ふ、と息が零れたと同時、ヒューゴは息を引き取った。

 


「――― あの」


 寒風の吹く甲板で声を掛けて来たのは少女だった。


 【異邦の旅人】の弟が色気づいて連れて来た少女、ダヤンカーセにとっては面倒な荷物の一つだ。

 船が出航してからは船室で石鹸作りに励んでいると報告を受けていた。鋭い視線に肩を丸め、委縮した様子で言葉を選んでいる。


「なんだ?」


 続く言葉が出て来ないので促せば、覚悟を決めたように胸を張った。


「お手紙を、お願いできませんか?」

「手紙だぁ?」


 少女は勢いこそ我を救うとでも言うかのように手紙を差し出してきた。

 宛名を見て内心で息を飲んだ。


「なんでこれを?」

「アズリアの王都でお世話になった方なんです、行商人の人だから、出て来る時に挨拶が出来なくて。もし可能なら、冒険者ギルドに預けて頂きたくて…。あ! あの、ちゃんと依頼料は」

「いらねぇよ」


 手紙をついと奪い取って、ひらりと手を振った。ぱちくりと眼を瞬かせて少女は少しだけ首を傾げた。

 納得していないらしく、でも、と食い下がろうとするのを手で制した。


「いい、大した額じゃねぇ」

「で、ですが」

「いいっつってんだろ」


 語気が強くなってしまい少しだけ後悔した。恫喝したいわけではないのだが、元の言い方が乱暴なのでこうなってしまう。

 少女は少しだけもじもじした後、バッと頭を下げた。


「よろしくお願いします!」

「あぁ」


 頼むことが出来て肩の荷は下りたのだろう、ほっと息を吐いて向こうで待つ青年の元へ戻ろうとした。

 その背に声をかけてしまったのは、きっと嬉しかったからだ。


「おい」

「は、はい!」


「ありがとうな」


 え、と困惑した様子の少女をそのままに、ダヤンカーセはその場を立ち去った。

 この手紙は一緒に埋めてやろう。


「ラブレターは読まないでおいてやるよ、ヒューゴ」


 ザァ、と鳴った海が、通った風が、濡れた頬を優しく冷やしてくれた。



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