第95話 魂の在処


 証拠を残してくれた者たちの弔いも終わり、神を含んだ一行はダヤンカーセの館へ足を踏み入れた。


 ここも無残に荒らされてしまっていたが、血の跡はなかったので館の中で死んだ者はいないようだ。略奪した価値あるものがされ、腹いせとばかりにシーツやソファが切り刻まれた程度で済んでいた。

 元々大事なものは全て船に積んで持ち歩く性質なのが功を奏したのだろう。


 キッチンの中までは荒らされていなかったのでそちらで座ることにした。

 勝手に薬缶を借り、水を入れ、竈に火を入れた。アッシュが腰のポーチから茶筒を取り出して紅茶を淹れてくれた。


 クルドは大したものじゃないが、とジャガイモのパンケーキを作って置いてあったリンゴをソースにしてかけてくれた。パーティの中で一番料理の上手いクルドは、こうしてあるものでぱっと作ってくれることがある。オカン、とあだ名がついているのはパーティの中だけの秘密だ。


 暫し無言で紅茶とパンケーキを食べた。

 リンゴの甘酸っぱさにハチミツの甘さ。パンケーキのもちもち感が不思議と深い深呼吸をさせた。紅茶は渋みが少なく香り高く、口内に残った甘さとねっとり感を綺麗に流してくれる。


「人心地がついたよ、ありがとう」

「それはよかった。セルクス、随分とお疲れですね」

「あぁ」


 ヴァンが切り出せばセルクスは楽な恰好にふわりと着替え、机に少し突っ伏した。


「何から話せばいいのやら、ふむ、少しだけ待ってくれ」

「もちろんです」


 突っ伏したままセルクスはじっと動かず、クルドはアッシュと顔を見合わせた。

 シェイは腕を組んで瞑目し、ヴァンはただセルクスを見つめていた。


 半時も手持無沙汰な時間が過ぎた後、キッチンへ顔を出したのはラダンだった。

 すでに夕刻の時間になっていたので手分けして明かりを灯していた時だった。シェイはトーチを使えばいいと言ったが、こういう会話の時には蝋燭の明かりの方が良いとヴァンが言い張った。

 

「戻ったぞ」

「おかえり、どうだった?」

「見つけた。ウィゴールを呼んでくれたんだな、おかげで助かった」

「どこにいた」

「ハミルテへの航路に。船三隻、住民は全員乗ってた。命を落としたのは本当に守り人だけだったみたいだな…。食料に不安もあって一度連れて戻っているが構わないか?」

「あぁ、助かる。ヴァンドラーテでやり残したこともあるだろうし、弔いたい人もいただろう。時間をあげてくれ」

「ここはどうする」

「アギリットと会話するしかないね。今日明日の行動は無理だろうから、今のうちにウィゴールに伝言を頼むよ。…いいかな?」

「おうとも、若のお願いだったらいくらでも!」

「ありがとう」


 声を掛ければいつでもそこにいてくれる友人が、快諾を示してまた消える。

 そのやり取りが終わった頃、のっそりとセルクスが顔を上げた。


時の死神トューンサーガセルクス、お久しぶりです」

「あぁ、君も戻っていたのか、ラダン。騒がせているよ」

「いいえ、取り込み中でしたか?」

「それはこれからかな」


 ヴァンが肩を竦めてセルクスに向き直る。

 セルクスは空のティーカップを啜り、アッシュが慌てておかわりを淹れた。


「私は魂を運ぶ船、輪廻へ戻すいざないの担い手。だからこそ死した者の傍にいることが多い」

「えぇ、そうですね。あなたは人の終わりに、生命の終わりに寄り添う方だ」


 合いの手をヴァンから受けて、セルクスは頷く。


「だが、最近は死に気づけないことが増えた」

「…耄碌したか?」

「シェイ!」

「そう言われても仕方のない事態ではある、が、まだ二百年ほどの任期だ、若輩者だよ」

「時間の感覚はわかりかねますが、それで?」

「そうだな、続けよう」


 セルクスは合間合間に紅茶を飲み、唇を濡らしながら続けた。


 ここ最近、ぷつりと魂が消えることが増えた。

 時に人は穴へ落ちて別の世界へ飛ぶこともあり、最初はそういった現象かと思っていた。

 けれどそれが等間隔、かつ、少しずつ間隔が狭くなってくれば話は別だ。神となってからしばらくは理に疎く、魂を誘うことで必死だったが、慣れてきたからこそこの違和感と向き合わねばならなかった。


 世界を見てみても、この現象があるのはスヴェトロニアだけだった。

 断ち切られた感覚を感じれば即座にその場へ出向いたが、明確な場所がわからずに周囲をうろついて終わったことも多い。後になって弔いの火を見つけて運んだ覚えのない亡骸を見て、魂がどこにもないことに気づく。


 セルクスはどうにかして犯人を見つけたかった。

 魂をどうしたのか、取り戻せるものならば輪廻へ還してやりたかった。


「あちこち飛び回って、最近はにも帰れていない」

「珍しい、愛妻家のあなたが帰れないとは」


 ヴァンは目を瞬かせた。


 ひょんなことから知り合いになったこの神様は、世襲制で時の死神トューンサーガを継いでいるのだと教えてくれたことがある。

 長くて千年、短くて五百年と幅はあるが、その時間だけ神として魂と触れ合うのだ。

 そして今代の時の死神トューンサーガセルクスには妻と息子がいる。いつかその息子がこの力と役目を背負う時が来るのだ。

 この世界リガーヴァルではない別の場所で一族と妻子と共に穏やかに暮らしているのだと聞いて、友であるこの神が羽を休められる場所があることに安堵したのも懐かしい。

 妻の膝枕が好きなのだと少し照れながら惚気られたこともある。


 およそ四年前のアズリア・スカイ戦役でスカイ側が兵を不必要に殺さなかったのは、実はこの点にある。

 理を知っているからこそ、無駄な殺戮は行わなかった。


 だが、そういった小さな善意が無駄になるような、セルクスが帰れないほど飛び回っている今の現状は異常事態だった。


「そしてまた今回も魂は見つけられなかった」


 悔やむような音で言い、セルクスは肩を落とした。

 輪廻に還らなければまた生まれることはない。それはその者の消滅を意味する。記憶も歴史も未来も何もかもが無に帰してしまうことは、悲しいことだった。


「ヒトの目でわかったことを教えてもらえないだろうか」

「もちろん、アッシュ、ラダンも来たし説明してもらっていいかな」

「了解、えっと」


 アッシュは広場でヴァンに伝えたことを繰り返した。

 ラダンは難しい顔で腕を組み、セルクスは目をきょろきょろさせていたので何かを読んでいるのだろう。人には見えない本のようなものがあり、それはセルクスが今まで見聞きしたものが詰まっていたり、世界の辞典のようなものなのだという。管轄している世界がここだけではないので、そういったものが能力の一つとして身についているのだそうだ。蓄積された知識と記憶は先代から今代へ、今代から次代へと引き継がれる。

 時にその人の記憶を覗いたりもするが、それは必要に迫られた時だけのことだ。


「マナリテル教とアズリアの特殊部隊か…、ううむ、神として手出しするには理由に欠ける」

「覗いたりするのは?」

「それは可能だが、マナリテル教自体がここ二百年ほどで出来た新興宗教なのでね、私の辞典にも情報は少ない。調べるにも、もう少し理由が欲しいところだ…。ただ人同士の争いであるとしたならば、私は外野だ。何事にも介入出来てしまっては理のルールに触れてしまうのだよ」

「ッチ、面倒くさい、これだから神というのは嫌なんだ」

「ふふ、それには反論しないよ。私もこういうときは肩書を捨ててしまいたくなる」

「そういうことは捨てられる覚悟が出来てから言え」


 吐き捨てるシェイにセルクスは苦笑で返した。

 ヴァンは慌てて話題を変えた。


「ところでシェイ、君からの報告はないのかい?」

「あぁ、そうだった」


 ヴァンドラーテに着いてから魔力を視ていたシェイは、それに関しての報告をまだしていなかった。全員から視線を受けてシェイは言った。


「残滓だが、魔力は赤。それも色濃く残っていて、このヴァンドラーテを今も包んでいる」

「それほどまでに強い魔力なのか」

「そうだな、この残滓を読もうとしたんだが…、不思議なもので様々な絵が見える」

「もう少し、わかりやすく」


 シェイは目を細めて違う何かを眺めているようで、目の前のヴァンへは焦点が合わない。


「少年、男、少年、女、少女、男、女、老人…男…何百人もの向こう側に隠れている奴がいる」


 細かい文字を見ることに疲れたような顔で、シェイは眉間を揉んだ。


「隠れられる魔法なんてあったかな?」

「記憶する限りは、ない。何か理由があるのだとは思うが、今明確に答えは出せん」

「なるほど、ありがとう、シェイ」


 キッチンに沈黙が下りて皆が皆考え込んでしまった。

 ふぅ、と息を吐いたのはセルクスだ。何もない掌を見てぱちりと音を立てた。そこにセルクスだけが見える懐中時計があるのだ。


 再び白いローブに着替え、よっこら立ち上がって腰を撫でる。


「すまないが、もし今回と似たような場面に遭遇したら呼んでくれないか」

「構いませんが、大丈夫ですか?」

「気遣いに感謝する」


 微笑みを浮かべてヴァンの肩を叩き、セルクスはまた重力を無視して浮かび上がった。


「ダヤンカーセへ謝罪を、彼らの魂は必ず見つけ、私が誘うと伝えておいてくれ」

「必ず」


 礼を尽くせばセルクスは頷いて小さな光の玉を残して消えた。


「随分疲れてたな…見ろよ、リンゴソースが一滴も残ってないぞ」


 クルドがセルクスの皿を見せて緊張感のないことを言った。

 何故だか笑いがこみあげてきて堪えきれなかった。


「ぶはっ、クルド、そこ重要かな?」

「馬鹿言うな、真面目に言ってるんだぞ!疲れてると甘いものが欲しくなるだろ!」

「あーだめだめ、ヴァンは常に甘いものを食べてるからその理論は通じない」

「うるさいなぁ、策指揮は頭使うんだよ!」


 唇を尖らせて言えば親友たちがさらに揶揄ってくる。

 その関係性に温かさを感じながら、ヴァンは窓の外で僅かに顔を見せた月を見た。



「何か起こっている、何かが。世界を巻き込む、波乱の風が」



 その事実だけが今ある真実だった。



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