第94話 ヴァンドラーテの弔い


「酷いな」


 ハミルテを出て僅か三日、【快晴の蒼】はヴァンドラーテに船を停めた。


 いつもならわいわいと賑わう港に人はなく、美しかった温かい色合いの家屋は焼け焦げ、冬を言い訳に出来ない鬱屈とした空気が漂っていた。

 がこん、と橋がかけられればヴァンが飛び出した。


「誰か! 無事な者はいるか!」


 後ろで、一人で行くな、待て、と叫ぶ親友の声を聞きながら、歩き慣れていたはずの道を駆ける。

 瓦礫が転がり無残な遺体がそのまま放置されている。どれほど叫んでも返す声はなく、風に乗って漂う死臭に顔が歪む。

 街の中心地まで来て愕然とした。


 そこには、共に酒を酌み交わし笑いあった知り合いが、友が、弄ばれてぼろぼろになった姿で首を吊られていた。中には串刺され悲鳴も出せぬよう喉から杭が天を目指している者もいた。

 美しかった噴水広場は赤く、黒く、肉片が積まれていた。


「あぁ、ボルドー」


 認めたくなかった、わかりたくなかった。

 きっと誰よりも抗い、多くを逃がそうと戦ったのだろう。だからこそボルドーは見せしめにされたのだ。

 首を切られ、四肢を千切られ、内臓は鳥の餌にされ海に還ることもなく。それぞれが海賊の武器に刺され晒されていた。

 見ていられるものではなかった。

 悔しさと悲しさと、それを超えるほどの怒りが胸の内を駆け巡っていた。堪えるように唇を噛んだ。


「ひでぇことしやがる、戦士への敬意もなしか」


 ヴァンの頭をぐしゃりと慰めながらクルドが呟く。

 後を追ってきた仲間たちはそれぞれが黙祷を行い、戦い抜いた戦士への敬意を払った。


「誰がやったのか調べよう、生き残りも探さないとだな」


 肩を撫でて柔らかい声で言ってきたのはラダン。


「俺は武器の形式を調べてくる」


 ず、と悔しそうに鼻を鳴らして駆けだしたのはアッシュ。


「安心しろ、全員同じ気持ちだ」


 ぶっきらぼうでも寄り添ってくれるのはシェイ。


「ありがとう」


 ヴァンは礼を言い、一度瞑目したあと強く前を見据えた。


「シェイ、を放って周辺を探らせてくれ」

「もうやってる」

「クルドは船員と僕と一緒に、彼らの弔いを」

「あぁ、わかった」

「ラダン、避難所に人が居ないか、他の船がないか、近海を一度見て来てくれないか」

「了解だ」


 それぞれが素早く動きだし、ヴァンは改めて遺体に向き合った。


「必ず仇は取るよ、約束する」


 強く握り締めた拳はぶるぶると震え、ヴァンは絞り出すような声で言った。

 肺を震わせながら一度深呼吸、冷静になるように努めた。


「ウィゴール、いるかい?」

「もちろんだ、

「悪いんだけど少し空気を動かしてくれるかい?」

「あいよ」

「ありがとう」


 ふわ、と風が動いて死臭が飛んでいく。

 後を追ってきた船員たちも言葉を失い、ヴァンの指示に従って遺体を助けていく。中には吐き気を催して海に走っていく者もいるが、責められはしない。

 戦場に慣れていない船乗りはこんな光景に遭うことも無いのだ。


 遺体を地面に降ろして四肢を並べてやる。

 誰も彼も苦悶に歪んだ顔で晒されていたが、こうして並べれば戦いきった勇者の顔で死んでいた。

 その表情はヴァンに一つの真実を伝えた。 


「逃がせたんだ」


 逃げる者の背を守り、敵をここに留めるための殿しんがり

 それを果たしたからこその穏やかな顔だろう。

 先ほど船を出して近海を見回りに行ったラダンに期待できるかもしれない。


「ウィゴール、ラダンに手を貸してあげてくれないか?人がいればそちらへ誘ってあげてほしい」

「いいとも!」


 ふわりと風が吹き抜けて海へ向かった。それを見送るヴァンの背中へ瓦礫を越えてアッシュが叫ぶ。


「ヴァン!いいか?」

「アッシュ、どうだった?」

「ちょっと面倒な結果だ」


 がしゃりと地面に放られた武器にはいくつかの種類がある。

 剣、弓矢、杖、それから人。

 ローブを着た死体を一つ、アッシュは拾ってきた。


「説明を頼む」

「了解。結論から言うよ、マナリテル教とアズリア王国騎士団が襲撃犯だと思う」

「なんだって?」

「剣は海賊衆の物と、アズリアの王国騎士団に支給されるロングソードだ。大多数は回収したんだろうけど、瓦礫に埋もれた奴は焼けてわからなくなると思ったんだろうな。あとで一緒に弔ってほしいんだけど、この剣を抱いて証拠を残して死んだ奴がいるよ。

 こっちの杖は魔導士だろう、というわけで周辺を掘ってみたらこっちのローブの死体が出てきた。これもまた、抱いて炎から証拠を守った勇者がいる。このローブには特徴があって、ほらここ、裏側にマークが刺繍されてる。これはマナリテル教だろう。

 それから最後、これが厄介だ」


 アッシュは最後に矢じりを差し出した。

 赤くねっとりとした物が付いていて、それが血だということがわかる。


「他の矢は回収されていたけど、これも一人、体内で隠してくれていた奴がいて取り出してきた」


 ヴァンは瞑目した。

 誰もが犯人の証拠を残すことを忘れなかった。必ず仇を討ってくれると信じ、任せてくれた道だ。

 矢じりを触ろうとして手をひっこめられた。


「触っちゃだめだ、毒がついてる」

「アッシュは触ってる」

「落ち着け、よく見ろ。血に濡れてるけど俺はグローブ着けてる」

「あぁ、そうか…ごめん、見えてなかったよ。それで、この矢は誰が犯人だと言ってるんだ?」

「アズリア王国の特殊暗殺部隊だ」


 アッシュの言葉にヴァンはぴくりと眉を動かす。記憶をばっと見直して書状の一文を思い出す。


「先の戦争を以て解散されたはず、させたはず。そこだけは殲滅したはずだ」

「本命は逃げ延びていたか、再編成されたかだ」

「馬鹿にしてくれるね」


 吐き捨てるように言い、ヴァンはまた一つ深呼吸をした。


「ありがとう、あとでみんなに共有しよう。証拠を残してくれた面々の弔いに手を回すよ、連れていって」

「あぁ、助かる」


 ヴァンがついと手を振ればガタイの良い男を筆頭に三人がアッシュに会釈をしてその後をついていく。

 目の前に転がった武器や魔導士の死体を眺め、胃酸が上がってくるような感覚を覚えた。


「ヴァン、そろそろ焼いてやろう」

「うん、そうだね」


 綺麗に並べられた遺体は布に包まれ瓦礫の中から掘り出した木材の上に並べられていた。

 それぞれの上に剣が乗せられ、幽世でも強くあれるように祈る。

 船員が松明を持ち、クルドが油を持った。

 ヴァンは胸に手を当ててから、本を開く所作をとった。


「戦女神ミヴィスト、今あなたの御許へ勇敢なる戦士たちが参ります。黄金に実る稲穂の中で、霊峰の麓で、晴れ渡る青空の下で、その魂を癒し傷を癒す時間をお与えください。

 赤く流れた血は愛すべき人の涙、風に乗る声は生きる者の記憶となって、私たちは決して戦士たちを忘れることはないでしょう。

 温かな炎の船に乗って、優しい水の褥において魂を眠らせたまえ。また大地より生まれ出づるその時まで」


 歌うように祈りを終え、ヴァンはまた胸に手を当てた。

 それを合図にクルドが油を撒き、船員が松明を寄せた。


 ごう、と炎はあっという間に戦士たちを包んだ。


「フレム、手助けを頼む」

「わかった」


 すぅ、とヴァンの隣に赤髪の男が現れて荼毘に付された者たちへ手を差し伸べる。

 炎は勢いを増してその身を焼いていき、後に残ったのは灰に近い骨だったものだ。男が手を振れば炎はふぅっと吹き消された蝋燭のように靡いて消えた。


「ウィゴール、海へ運んであげて」

「わかった」


 ご、と風が吹いて熱を持つ灰を巻き上げる。

 さぁぁと灰色の風が軌跡を描きながら空を飛び、青い海原を目指して消えていった。それを見送り、また一つ黙祷、しばらくして顔を上げた。



「今のは、誰を送った」



 怒るような声に振り返ればそちらにも友がいた。白いローブに美しい刺繍、手に持つのは命を誘う光輝な大鎌。


、どうしてここへ」

「答えろ、誰を送った!」


 時の死神トューンサーガの怒声に目を見開き、胸に手を当てて真摯に答える。


「海の民、ヴァンドラーテの守り人、ボルドー、以下十五名。このあと別途三名の予定だ。名前を全て言うかい?」

「頼む」


 眉間を揉みながらセルクスは挙げられていく名前を一つ一つ繰り返した。

 十五名の名を聞き周囲を見渡し、強く目を瞑って天を仰いだ。


 メキリと音がしたのはセルクスの足元だ。

 バゴン、と重い音がして足元が円形に凹み、周囲の家屋がセルクスに引き寄せられては灰燼に帰す。ローブははためきバチリと雷鳴が円を描く。


「セルクス! ヴァンドラーテを消すつもりか!」


 シェイが駆け寄りセルクスの周囲へ瞬時に障壁を張る。はっ、と目を開いてセルクスはふぅわりと地面に足をつけた。

 浮かび上がっていた瓦礫が音を立てて地面に落ちていく。セルクスは疲れた顔で前髪を掻き上げ、それから瓦礫に腰掛けて項垂れた。


「セルクス、何があったんですか」


 恐る恐るヴァンが声を掛ければ、藍色の瞳が怒りの色を込めて視線を合わせてきた。


「魂を冒涜する者がいる。今ここで送られた彼らの魂は、輪廻へは還らない」

「それはどういうことだい?」

「…ないのだ、送るべき魂が。今ここに来たのも弔いの火を見つけたからだ。これがなければ私は彼らが死んだことにも気づかなかった」


 ふらりと立ち上がった姿に心配になり、ヴァンはその体を支えようと腕を伸ばした。それを有難く受けて、セルクスは身を起こした。


この世界リガーヴァルで異変が起きている」


 曇った空は答えを返すこともなく、セルクスの静かな声は近くにいる者だけに染みていく。


「今はスヴェトロニアだけだが、これがオルト・リヴィアまで広がれば…追いきれん」

「詳しく話を聞かせろ」


 シェイが言い、ヴァンが頷く。


「この世界のことであれば、生きる僕らにも関係がある。何よりも疲弊した友の力になれるのならば」


 ヴァンが微笑めばセルクスは眩しそうに目を細めた。


「時間を貰えるか」

「それはこちらのセリフですよ、あなたが一番忙しいでしょうに」

「間違いない」


 クルドが揶揄うように言えば微かな笑いが起こった。

 


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