第92話 魔力指南
ツカサの話は三時間にも及んだ。
元々の経緯を知る相手ではないので話が脱線を繰り返し、余計なことまで話してしまったような気がする。ヴァンは聞き上手で一つずつツカサが説明できるようにし、逸れた会話を戻すのも上手かった。
ようやく、記憶を取り戻し王都を出てダヤンカーセと合流したところまで辿り着いた。
「なるほど、それでダヤンカーセと合流して、船に乗ったんだね」
「はい。想定していた時間よりも随分後になってしまって、その、叱られました」
「はは! 仕方ない、船乗りっていうのは海のご機嫌と天気を読みながら生きるからね、準備はかなり、少し大げさなくらい綿密にするんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだとも。船を出せばそこは助けを求められる隣人のいない、ただ一隻で生きるしかない場所なんだから」
「あぁ、そうか、そうですよね。食料だって水だって」
「そう。それが三か月も遅れたなら、だめになった食料も、検討していた商売もあがったりだろう?」
「…すみませんでした」
「気にすんな、その件はもういい」
「ありがとう」
ダヤンカーセは肩を竦めて言い、ツカサは苦笑を浮かべた。
ダヤンカーセとやり取りをしている間にヴァンは少し考え込んでいた。腕を軽く組んで唇に人差し指を当て、時々ぶつぶつという。それからふっと顔を上げて振り返った。
「うーん、聞いた限りだと目に付くのは馬車の乗り継ぎだけど、馬車を乗り継いだだけで後を追われるものかな? アッシュ」
「どうだろうな、馬を乗り潰したとかいうなら犯罪者の逃走か貴族の伝令に見えるけど、馬車の乗り継ぎは商人が先を急ぐ時にやる手法ではあるから珍しくても怪しくはない行動だ。特にアズリアは商人が黄金の神は足が速い、って考えてるからな」
「なるほどね、なら行動を疑われたとは考えなくていいね。それならどうしてヴァンドラーテだったのか。あとは現地で調べるしかないか。盗賊や山賊の線は薄いんだよね? ラダン」
「そうだな、前回あの周辺を馬で駆けたけど綺麗に掃討されていたし、なにより
「ありがとう」
それぞれの得意分野なのだろう、ぽんぽん目の前で繰り広げられる会話に不謹慎だが面白くなってしまう。
「受け取った
「なら早く行った方が良い、魔力が薄くなればなるほど時間がかかる」
「魔力が薄くなる?」
魔導士だからこそ気になったその言葉を繰り返せば、冷ややかな金の眼がツカサを捉えた。
じっと目を細めて何かを見られている気になり、ハッとして、見せたくないと心を強く持った。
ふん、と鼻で笑う音がしたので【鑑定眼】を使った。
「うわっ」
バチン、と強めの静電気を感じてたたらを踏む。
ヴァンは突然ツカサがよろめいて悲鳴を上げたので驚き、手を伸ばしてきた。
「大丈夫? どうかした?」
「あ、いえ、その」
弾かれた時に閃光を見た気がして、視界が少しだけチカチカしていた。何度か瞬いて落ち着いてきたころ顔を上げヴァンを見る。
視界に映った物に少しだけ唇が開いてしまった。
目の前の【快晴の蒼】は全員に【認識阻害】と【鑑定妨害】が表示されていて、名前すら見えなかったのだ。
そしてそれを実現しているのがシェイなのだとツカサにはわかった。シェイにはわざと見せているのだろう【妨害】というスキルだけが表示されており、詳しく読めば仲間へ付与できるとあった。
ツカサが目をやられたのはそのスキルというわけだ。
【鑑定眼】を解除する。今までの経験からこの人は真摯に対応すべきだと気づいたからだ。
ツカサがスキルを解けばシェイは興味を失くしたように視線を他へ移した。
おおよそ、それで何があったのか察したのだろう、ヴァンは苦笑を浮かべてツカサの背中をぽんぽんと叩いた。
「君は魔導士なのかい?」
「はい、でも、短剣使いで登録してます」
「いいね、最大の能力は隠しておくべきだ。だからこそ魔力が薄くなる、というのが気になったんだね? 師事はしてないのかい?」
「師事…あ、魔法の師匠はいません、短剣の方は兄が」
「なるほど、なるほど」
ヴァンはうむうむと頷いた後、にんまりとした笑顔を浮かべてシェイを振り返った。
「お詫びに少し教えてあげたらどうだい? シェイ」
―― 今日もまたツカサの背後にアーシェティアは控えている。
あの日から、こうして港に降りた時にはどこからか現れて背後に控えるようになっていた。
港の崖穴の一室で温かいお茶をもらいながらシェイと差し向かって座り、ツカサは居心地悪そうに何度も尻の位置を直した。シェイは優雅な手つきで紅茶を含んではゆっくりと飲み込んでいる。
「いつからここに?」
低い声で問われ尋問に近しい気持ちになってしまったが、当のシェイ本人は普通に聞いただけのようだ。深呼吸をして緊張を押さえる。
「ハミルテには三日前から」
「違う、
膝に置いた手がぴくりと動く。表情は動かさないで済んだと思うが、目の前の魔導士は見透かすような眼を瞬きに合わせて紅茶からツカサへ移した。手にしていたカップを置いて頬杖をついて嘆息を一つ。
シェイはアーシェティアを見遣り、視線でドアを指した。ダヤンカーセの貴賓と主、少しだけ悩んだ様子だったが、アーシェティアの中で折り合いが付き、部屋の外に出た。
扉が閉まるのを待ってからシェイはツカサに向き直った。
「心配するな、スカイでは渡り人なんて横を見ればいるくらいだ」
「いえ、あの、どうしてわかったんですか?」
「魔力を見ただけだ。…とはいえ、これもわからないんだろうな?」
「すみません」
「素直に認められるのは良いことだ」
シェイは紅茶で温まったのかローブの首元を鎖骨の辺りまで下げた。それから両手を差し出してボゥと音を立て赤と青の火を現した。長い指は節があり、それを見ると男性なのだと思う。咳払いが聞こえて手から炎に視線を戻した。
「
「それは、どういう」
「口を挟まれるのは好きじゃねぇ」
「あ、すみません」
乱暴な言葉遣いだがそれが素なのだろう、威圧はない。
ツカサが唇を結んだのを確認してから続きが話された。
「元々この世界に生きる者の魔力は、俺にはこっちの青い炎のように見える。逆に、渡り人の魔力は赤く見える。お前は赤、時々青が混ざって見える。だからいつ来たと聞いたんだ」
ツカサは言葉の意味を測りかねて少しだけ口をもごつかせた。
シェイはツカサの発言をじっと待ってくれていた。
「赤は、渡り人の色なんですか? その、魔力の」
「そうだ。まぁ、とはいえ最近は血も魔力も調和してきているから紫とか青を見ることが多い」
「俺の魔力に赤と青が混ざっているというのは、どういう状態なんですか?」
「適応と順応をしているんだろう。お前自身のここに慣れようという行動と、周りの影響で」
「なるほど…、シェイさん、は、どちらなんですか? その、赤も青もそうして出せていますけど」
「俺は
「温度の差なのかな…」
「何?」
「いえ、なんでも。ただ、そう聞くと赤を失いたくないなぁと思いますね」
「ほう? 何故だ」
「だって、俺の生まれ故郷の色なんでしょう?」
首を傾げて言えばシェイは少しだけ眼を見開いてそれから大声で笑った。
何故笑われるのかわからず怪訝な顔をすれば、シェイは片手を上げて詫びてきた。
「すまん、あまりにも自然に出てきた言葉に驚いた」
「だって事実なのに」
「そうなんだが、まぁ、いい。それでいつ来たんだ」
「えっと…だいたい三年くらい、前、です」
話を仕切り直され、ツカサは姿勢を正す。
「魔力が薄くなるというのがわからないんだろう」
「はい」
「【鑑定眼】があるんだ、コツさえ掴めばすぐに出来るようになる。荒療治と実体験とどちらかを選べ」
「それってどう違うんですか?」
「どっちも同じだ」
「イエスかはいみたいなことを言わないでくださ…」
ツカサは言いながらキンと高い音を聞いた気がした。
シェイの方からぶわりと魔力の圧を感じ、次いで両目が焼けるように痛くなった。ガタンと椅子から立ち上がり、そして倒れ両目を押さえた。
「うわあああぁ!?」
「主!」
ツカサの悲鳴に駆け込んできたアーシェティアは戦斧を手にして部屋を見渡した。
「落ち着け、修業をつけているだけだ」
敵の姿はなく、悠々と紅茶を啜るシェイの姿にアーシェティアは戦斧をホルダーに戻し、床でのたうち回るツカサを捕まえた。
「主! 落ち着くんだ」
「いたい…! いたい、なんだよこれ! なんだよ!」
「
言われ、ツカサは痛みを堪えて涙の止まらない眼をゆっくりと開いた。
劇薬を目に掛けられたかのように熱く、溶けるような錯覚を覚えていた。眼球の中から破裂しそうな圧迫感も怖かった。
うっすらと開いた先は世界の色が違っていた。
テーブルに座るシェイの周りには均等に魔力が纏われていて、その色は深い青色だった。時折金色の糸がふわりと見えるのが神々しい。凪いだ湖面のような静けさが品格を表していた。
ツカサは自身の手を見た。視界の全てが赤く、時々青がボッと音を立てて混ざるように燃え滾っていた。
「魔力の訓練はしているようだが、気を抜きすぎている。だから魔力がそうして漏れ出ているんだ」
「これ、制御できて、いないってこと、ですか?」
「制御は出来ている、お前魔法を暴発させたりはしないだろ?」
「それは、はい、しません」
「調整が出来ていないんだ。日頃魔法を思い切り使うことばかりなんじゃないか? お前トーチは使えるか?」
「使えます」
「やってみろ」
紅茶を飲みながら言われ、ツカサはアーシェティアに支えられながら立ち上がり、トーチを唱える。
四カ所に炎の明かりを灯し、部屋を明るくしてみせた。
「今トーチにしたことを、自身にも行なう」
それはトーチへ送った魔力調整を、ということだろう。
ズキズキと痛む眼を何度も瞬かせてやり過ごし、掌を見ながら全身に力を入れる。
「魔力制御の要領で全身を流れる魔力を意識しろ、魔力は筋肉じゃねぇんだぞ」
外から聞こえる声に頷き、いつもするように腹と心臓を意識して、廻る魔力を認識する。
それを燃え滾らないように、消えないように、じわ、じわ、とガスコンロのつまみを調整するように操作する。
ややしばらくして、まだふわっと自己主張をするときもあるがだいたい均等に魔力を抑えることが出来た。ツカサの視界の中で赤い色はもう燃え滾っていない。僅かに青が増えたような気がした。
「でき、た」
アーシェティアが起こしてくれた椅子にどさりと座り込み息を乱す。ぽたりと落ちたのは汗だ。
「まだまだ鍛練は必要だな、その感覚を忘れるな」
「はい」
「眼だが、いま調整したように魔力を眼に集めろ。自分でやれば痛くねぇよ、ほら、やってみろ」
「はい…」
魔力を眼に送る、送る、なんだか熱くなってきた気がする。
そうっと片目を開けば先ほどよりもぼんやりとシェイの周りの深い青が視えた。金色は視えなかった。
「筋が良い。そのまま見てろ」
シェイは紅茶のカップを置きながらトーチを使ってテーブルの上に浮かせた。
指で横になぞればトーチは蝋燭の火を消すように消えたが、ツカサの眼には深い青の靄がそこに留まっているように見えた。
「これが魔力の残滓だ。強い魔力であればあるほどこの場に長く残る」
「魔力が薄くなる…そういうことか…」
自身の眼で見て経験して、ツカサは言葉の意味を理解した。
感動を覚えている横でシェイは立ち上がり、ローブを鼻先まで引き上げた。
「その訓練、忘れるなよ」
ゴツ、と音を立てて部屋を出ていく背中に、ツカサは溢れる尊敬を込めて叫んだ。
「ありがとうございました!」
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